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【ドラマ大奥感想レビュー第8回】
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人の心がわからぬ上様を諌める藤波
出産を終え、政務復帰した吉宗は【上米の制】について、久通と案を練っています。
一万石につき百石の米を献上させる代わりに、参勤交代で江戸にいる日数を一年から半年にする制度。
聡明な吉宗は、大岡の長所である落とし所を探る術を身につけつつあるようです。大岡を勧めた久通も嬉しいことでしょう。
しかし、吉宗は納得できていない様子。何かがずれている気がしてならないようだ。
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実家の母の具合が悪いから、宿下りをしたい――藤波からそんな申し出があったと報告されます。
お庭番の知らせでは怪しいところはないと、久通は吉宗に報告。
そうですね、ただのドリームおじさんですもんね。そんな藤波から「狸ババア!」と罵倒されている久通の方が腹黒いでしょう。
吉宗に呼び刺された藤波は、金目のものを持ち出さないか?調べられたとして、流石にムッとした様子です。
『没日録』が紛れ込んでいないか、という吉宗の疑念は隠しておいたのでしょう。
そして淡々と暇金(退職金)が渡されるのですが、うやうやしく膝行(しっこう)し、受け取る片岡愛之助さんの所作が実に美しい。
「その額でよいか?」と聞かれた藤波は、金という実利でなく、あまりに情緒がない吉宗に不満がありました。
俸禄が大事だと言う吉宗に、人は牛馬ではないと説き始める藤波。
衣食住だけじゃないでしょ。生きていれば満たされるわけじゃないでしょ!
と、綱吉と右衛門佐の話にも通じることを藤波が持ち出しました。
吉宗は声音に動揺をにじませつつ、わかっていると返す。これは本人も自覚があるのかもしれません。
藤波は、父親を定めぬと言い出した吉宗がまだ許せない。大奥の男を種馬扱いもここに極まれりだと怒りをぶつけます。
それでも話が通じない吉宗に、藤波は言い募る。
大奥の男たちは確かに種馬だけども、それをあからさまにしてはあまりにも虚しすぎる。そこにいかにも「情けが通っているもののように彩ってきたのが大奥だ」と説きます。
あの有功、そして右衛門佐ときて、藤波が総取締を務めてきました。当初は、この役目も堕落したものだと思えたものですが、そうではなかったのです。
子作りだけでなく、情緒を養う場とする伝統を彼も受け継いできた。
派手なお鈴廊下。煌びやかな装い。上様に恋をした。上様から選ばれた――卑しい種馬にそんな夢を見せることも、大奥の役割なのだと。
それでも口を尖らせ不満そうな吉宗に、金をかけずとも情を示すことはできると訴える藤波。
文、言葉、剣術というスポーツ。そんな青春の楽しみ方のようなことをレクチャーします。
政治が忙しくても、もう少し、奥の男に情をかけて!
そう切実に願いつつ、藤波は去ってゆきます。大奥プロデューサーとしての意地でした。
片岡愛之助さんは、老獪で重々しいようで、愛嬌のある藤波を演じました。
まさか藤波のことをこんなに好きになれるとは思いませんでした。夢をプロデュースしたい。彼の熱い気持ちはわかります。
しかし、吉宗は面白くない。何が情をかけろだと、愚痴りつつ、杉下の前で酒を飲む。
ただ、それでも酒は銚子一つまでと決めていると自分を律するところが“らしい”ですね。
吉宗は、藤波の言うことも理解しています。
彼女は人の心がわからない。大奥の夢を求める男の気持ちもわからないし、大阪の商人の心意気もわからぬ。
久通や杉下は、一方的に吉宗の意を汲んでくれるからこそ、うまくいっているようなところはありますね。
「人の心が分からぬから、従えられぬ。背かれる」
産婆も、赤子が生まれたばかりなのに米の値のことばかりを気にかけている吉宗に呆れていたとか。
「私はどこか人として、すっぽりと欠けておるのかもしれぬ……」
杉下はそんな吉宗を受け止め、どこか欠けているとすると言い切ります。否定するのではなく、肯定するのです。
そのうえで自分も種がないと言いながら、何一つ欠けるものがない者など、この世にいるのか?と問いかけます。
「ご案じのところは微力ではありながら、私が補って参ります」
そう言い切り、久通もそう思っているだろうと続けます。吉宗は前を向き、政治をしていけばよい。上様にしかできぬことだと、励ます杉下。
確かに吉宗にはそういうところがありますね。はっきりと、普通の人とは違うと示されています。
子どものころ、綱吉の前で語った時も違っていた。賢いだけでなく、空気を全く読まない。周りが綱吉の権威にひれ伏しているような状況でも、彼女だけは思うままに振る舞っていました。
吉宗は普通ではないのです。
江戸の街には、無惨の極みがある
吉宗は目安箱の投書に目を通しています。
江戸の街には貧しい者があふれ、病気になっても治療もできない。無惨の極みだ――そう訴える小川笙船という町医者の訴えに目を止めます。
そして、暴れん坊将軍らしく、颯爽と江戸の街を見物に出向く吉宗。
大岡ですら「(小川笙船を)呼び出せばよい」と言うものの、定期的に街を見て回らねば気が済まぬようです。
街の中には、貧しく家もなく、道端に座り込む百姓親子がいました。倒れて動けない者もいる。
そんな行き倒れの人々に声をかけている者がいます。
小川笙船でした。
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さっそく小川を助ける吉宗が向かった先は、貧しい病人があふれた治療所でした。小川が行き倒れを拾っていたのです。
子どもの体を拭いて欲しいと頼まれ、手伝う吉宗。大岡が城へ戻りましょうと囁くも、吉宗は手助けを続ける。
診療所にうごめく人々たちに目をやりながら「このままでよいのか?」と吉宗が問うと、食わせて休ませれば大方のものは治ると、小川は言い切る。つまり、貧困ゆえに患者が生まれているのです。
すると小川は、吉宗への失望を吐き捨てました。
切れ者だっていうから期待していたのに、ぜいたくすんな、倹約しろってばかりじゃねえか!
ただでさえ赤面で人が死ぬのに、死なせてなるものかという考えにはならんもんか!
キッパリと吉宗の政治に対して不満を口にします。確かに最貧困層にとってはそうでしょう。
人は国の宝。それとも貧乏人は人と思っていないのか。
そう詰められ、吉宗はこう言うしかない。
「そなたの言う通りじゃ。まことそなたの言う通りじゃ、小川笙船」
吉宗が目安箱の投書を取り出すと、小川は「まさか……」と驚きの表情を浮かべます。
「いかにも吉宗じゃ」
そして施薬院を作ると宣言します。
「ははっ」と平伏する小川たち。目安箱の意見が実った瞬間でした。
吉宗は、幕府の財政改善で生まれた金を民のために使う、施薬院を作ると久通に語ります。
久通は感激し、今までで一番よい思いつきだと涙ぐんでいます。
「久通は、信様はいつかこうなさると!」
興奮して「信」と呼んでしまい、吉宗は咎めるどころか「お通(みつ)」と呼びかける。
このシーンは、大河ドラマ『麒麟がくる』の果て、麒麟が到来した地点のようにも思えました。
光秀は、民のための政治を行う主君を探していました。
それを足利義昭、それから織田信長に見出しても夢は叶わず、本能寺へと向かってゆきます。不幸な着地点でした。
しかし、この『大奥』ではそれが叶った。民を思う主君のために尽くすこと――その幸せな着地点がこの加納久通です。
女としての幸せをあっさり無視される上様
施薬院の場所は小石川がよいと大岡が提案しています。
薬草を育てている御薬園が横にあり、費用の節約にもなる。元々は普請奉行だった大岡の案はバッチリです。
それから田嶋屋の進吉を呼び出し、薬草栽培の相談をします。
各地の薬草を植えたらどうか?と提案され、随分とやる気になったものだと興味を抱く吉宗。
赤面を治せるということは、男だけでなく、女にとっても幸せなこと。もとは女の幸せのために大奥入りを目指した進吉にとって、使命感を満たせるのです。
それにしても、中島裕翔さんは町人髷と服装が似合いますね。
武士のキリッとした衣装とヘアメークよりも似合っているかも。江戸っ子らしい話し方も適役に思えます。
江戸時代にはその時代なりのおしゃれやダンディズムがあったわけで、そこを活かし現代でも受け入れられるようにするアレンジが大事。そのお手本のようです。
思わず吉宗も、大奥から出したことを悔やんでしまうほど、健康的な色気がある。
「どうじゃ。そなた私も女じゃ。ぐるっと幸せというのなら、もう一度、私を幸せにしてみるというのは……」
「もちろん! 上様のために、赤面の薬を探し出して見せまさぁ!」
おっと、吉宗なりの精一杯婉曲的なお褥の誘いが、全く通じていない!
「……うん、頼むの」
吉宗、気づかれることすらなく振られました。
めんどくさい。もう今のままでいい。そうなってもおかしくはなさそう。色気がまるでありません。
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