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【『進撃の巨人』は日本の幕末維新に通ず】
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自由なき世界、理想なき歴史
「マーレ編」になってからの悪寒とは、幕末を経て明治維新が始まった歴史を振り返るときのものと似ています。
パラディ島にも感情移入できない。
かといって、マーレはどうかというと、国家としてはあまりに酷すぎる。
これは明治の日本も直面した問題。
当時先進的とされていた欧米列強は、実際は、あまりに酷い政治を行っていたのです。
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エレンは壁の外に戸惑いと失望を見せます。
彼のように曇りのない目で見たら、そうなるかもしれない。その嘆きには既視感があるといえばそうかもしれません。
そんなエレンの異母兄であるジークは、獣の巨人として登場した頃、この島にもこんな技術があるのかと興味津々の目線でした。
あの目線は、幕末に来日した外国人のような好奇心もあったのだと、今ならば感じられます。
壁の内側も、外側も、理想の自由はなかった――。
最終盤、そんな絶望的な思いに読者まで巻き込んでくる『進撃の巨人』。
この苦い思いは何か?
突き詰めてゆくと、近現代史の苦い味とも似ていると思えてきます。
本作の文明進化過程におけるモデルである、一世紀前の世界を想像してみてください。
彼らは科学革命、市民革命、産業革命を経て、人類としてより高い極みに登ったと感じていたことでしょう。
新たな世界を築き、流血の大惨事よりも、理性ある話しあいで問題を解決できると思っていたことでしょう。
しかし、彼らの前に待っていたのは、二度の世界大戦でした。
フィクション経由で幕末ものなりを楽しんで、より深く踏み込んでゆくとか。
「我が国の歴史はきっと誇りあるべきものであるはずなんだ! 悪くいう奴らこそ嘘つきだ!」と高揚してゆくとか。
そういう精神のハイテンションを味わったあとで、冷静に突き詰めて考えてゆくなり、勉強をしていくとじわじわと燃え尽きてゆく……そんな地獄を早送りにするような、そんな精神の拷問が『進撃の巨人』にはあります。
迫害されている復讐を胸に宿し戦いぬく。
クーデターを成し遂げ、正当なる君主を擁立する。
さぁ、我々は外に飛び出す。世界を見るんだ――自由はそこにある!
そんな高揚感を胸に飛び出していった、その目の前にあった現実は、死屍累々であったのです。
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近現代史とはそういうものであった――そのことを反省する時代が、『進撃の巨人』が終焉へと向かう2020年代に訪れました。
BLM運動に揺れる世界では、歴史上の偉人とされてきた人物のモチーフが破壊され、駆逐される事例が起きています。
かつて、歴史を学ぶこと、愛国心を称揚することは、心おどることでした。
しかしそれは、踏まれる側の痛みを無視してのことであると、認識されるようになったのです。
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称揚と墜落の衝撃を『進撃の巨人』は早回しで見せる、そんなことまで突きつけてきます。
この作品が2020年代を予見していたとまでは断言できないかもしれない。けれども、歴史の向かいつつある流れを先んじていた、だからこそ世界的なヒットを果たしたのではないかと思えることは確か。
この作品を読んでいて広がる苦い味は、紛れもなく、唯一無二の強みであるのです。
最後に、日本の特異な歴史フィクション事情でも。
特定の人物を理想化し、それをプロパガンダや愛国心に結びつけること。それは危険であるとみなされる流れが世界的にあります。
表立って規制はされないものの、政治的な導線があるとみなされると、批判は避けられません。
英雄像ではなく、庶民目線での話であったり、架空の人物を主役に据えるといった、楽しむ側のテンションを上げすぎない配慮もあります。
日本のフィクションはそこにワンクッションを置く工夫があまり感じられず、フィクションを教科書のように信じてしまう弊害も生じています。
昔からそうしてきた。『三国志演義』やシェイクスピアだってそうだ。そういう言い逃れは苦しい。
人類が進化する過程で、危険なものは配慮されてきました。
日本の歴史フィクションにだって、当然のことながら必要なはずなのです。
付け加えておきますと、こうした古典でも批判は常にされておりますし、上演の際には注釈が入ることは当然の配慮としてあります。
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それを踏まえますと、『進撃の巨人』のやり口は、ワールドスタンダード型で極めて優れていると思えるのです。
フィクションを楽しむ。
歴史や政治とは関係ないと切り離さず、さらに考えてゆく。
参考となる論考を学ぶ。
そのことで深まる認識もあることでしょう。
そこに挑むことで、あなたにとっての“自由の翼”が見つかることを願ってやみません。
文:小檜山青
【参考・TOP画像】
『進撃の巨人』1巻(→amazon)&34巻(→amazon)