『進撃の巨人』1巻&34巻/amazonより引用

この歴史漫画が熱い!

『進撃の巨人』は日本の幕末維新に通ず!? 奇妙な違和感の正体はこれだ

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
『進撃の巨人』は日本の幕末維新に通ず
をクリックお願いします。

 

お好きな項目に飛べる目次


自由なき世界、理想なき歴史

「マーレ編」になってからの悪寒とは、幕末を経て明治維新が始まった歴史を振り返るときのものと似ています。

パラディ島にも感情移入できない。

かといって、マーレはどうかというと、国家としてはあまりに酷すぎる。

これは明治の日本も直面した問題。

当時先進的とされていた欧米列強は、実際は、あまりに酷い政治を行っていたのです。

インドの飢餓地獄
英国領インドの飢餓地獄が凄絶すぎる~果たして飢饉は天災なのか人災だったのか

続きを見る

産業革命の闇
産業革命の闇が深すぎる~大英帝国ロンドンで悪臭漂う環境に置かれた子供たち

続きを見る

救貧法
人がゴミのようだ!った英国「救貧法」地獄のブラック労働とは?

続きを見る

レオポルド2世とコンゴ自由国
コンゴ自由国では手足切断当たり前 レオポルド2世に虐待された住民達

続きを見る

エレンは壁の外に戸惑いと失望を見せます。

彼のように曇りのない目で見たら、そうなるかもしれない。その嘆きには既視感があるといえばそうかもしれません。

そんなエレンの異母兄であるジークは、獣の巨人として登場した頃、この島にもこんな技術があるのかと興味津々の目線でした。

あの目線は、幕末に来日した外国人のような好奇心もあったのだと、今ならば感じられます。

壁の内側も、外側も、理想の自由はなかった――。

最終盤、そんな絶望的な思いに読者まで巻き込んでくる『進撃の巨人』。

この苦い思いは何か?

突き詰めてゆくと、近現代史の苦い味とも似ていると思えてきます。

本作の文明進化過程におけるモデルである、一世紀前の世界を想像してみてください。

彼らは科学革命、市民革命、産業革命を経て、人類としてより高い極みに登ったと感じていたことでしょう。

新たな世界を築き、流血の大惨事よりも、理性ある話しあいで問題を解決できると思っていたことでしょう。

しかし、彼らの前に待っていたのは、二度の世界大戦でした。

フィクション経由で幕末ものなりを楽しんで、より深く踏み込んでゆくとか。

「我が国の歴史はきっと誇りあるべきものであるはずなんだ! 悪くいう奴らこそ嘘つきだ!」と高揚してゆくとか。

そういう精神のハイテンションを味わったあとで、冷静に突き詰めて考えてゆくなり、勉強をしていくとじわじわと燃え尽きてゆく……そんな地獄を早送りにするような、そんな精神の拷問が『進撃の巨人』にはあります。

迫害されている復讐を胸に宿し戦いぬく。

クーデターを成し遂げ、正当なる君主を擁立する。

さぁ、我々は外に飛び出す。世界を見るんだ――自由はそこにある!

そんな高揚感を胸に飛び出していった、その目の前にあった現実は、死屍累々であったのです。

白バラ抵抗運動
ヒトラーに異を唱え処刑されたドイツの若者【白バラ抵抗運動】の覚悟

続きを見る

近現代史とはそういうものであった――そのことを反省する時代が、『進撃の巨人』が終焉へと向かう2020年代に訪れました。

BLM運動に揺れる世界では、歴史上の偉人とされてきた人物のモチーフが破壊され、駆逐される事例が起きています。

かつて、歴史を学ぶこと、愛国心を称揚することは、心おどることでした。

しかしそれは、踏まれる側の痛みを無視してのことであると、認識されるようになったのです。

アメリカを揺るがす「リー将軍の銅像撤去問題」とは何なのか? 歴史的見地から紐解く

続きを見る

黒人奴隷
「黒人奴隷少女は恐怖と淫らさの中で育つ」ハリエット 地獄の体験記はノンフィクション

続きを見る

称揚と墜落の衝撃を『進撃の巨人』は早回しで見せる、そんなことまで突きつけてきます。

この作品が2020年代を予見していたとまでは断言できないかもしれない。けれども、歴史の向かいつつある流れを先んじていた、だからこそ世界的なヒットを果たしたのではないかと思えることは確か。

この作品を読んでいて広がる苦い味は、紛れもなく、唯一無二の強みであるのです。

最後に、日本の特異な歴史フィクション事情でも。

特定の人物を理想化し、それをプロパガンダや愛国心に結びつけること。それは危険であるとみなされる流れが世界的にあります。

表立って規制はされないものの、政治的な導線があるとみなされると、批判は避けられません。

◆ 暴君・始皇帝を賛美する中国ドラマ──独裁国家を待ち受ける滅亡の運命(→link

英雄像ではなく、庶民目線での話であったり、架空の人物を主役に据えるといった、楽しむ側のテンションを上げすぎない配慮もあります。

日本のフィクションはそこにワンクッションを置く工夫があまり感じられず、フィクションを教科書のように信じてしまう弊害も生じています。

昔からそうしてきた。『三国志演義』やシェイクスピアだってそうだ。そういう言い逃れは苦しい。

人類が進化する過程で、危険なものは配慮されてきました。

日本の歴史フィクションにだって、当然のことながら必要なはずなのです。

付け加えておきますと、こうした古典でも批判は常にされておりますし、上演の際には注釈が入ることは当然の配慮としてあります。

三国志演義
『三国志演義』は正史『三国志』と何が違うのか 例えば呂布は美男子だった?

続きを見る

謎多きシェイクスピアの生涯~なぜ名前や功績に反して私生活は謎だらけ?

続きを見る

リチャード3世
リチャード3世は邪悪なヒキガエル? むしろ冤罪被害者だったかもしれない

続きを見る

追っかけから始めて何が悪い『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』

続きを見る

それを踏まえますと、『進撃の巨人』のやり口は、ワールドスタンダード型で極めて優れていると思えるのです。

フィクションを楽しむ。

歴史や政治とは関係ないと切り離さず、さらに考えてゆく。

参考となる論考を学ぶ。

そのことで深まる認識もあることでしょう。

そこに挑むことで、あなたにとっての“自由の翼”が見つかることを願ってやみません。

文:小檜山青

【参考・TOP画像】
『進撃の巨人』1巻(→amazon)&34巻(→amazon

TOPページへ


 



-この歴史漫画が熱い!

×