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【尾形百之助】
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母方一族は「士族かもしれない」
尾形に注目してみますと、彼の母方一族は「士族かもしれない」と思わせる要素があります。
他の素朴な兵士たちとはちょっと違う、洗練性を身にまとった人物像です。
尾形は異母弟のような「祝福された道」について父に問いかけます。
彼のように知勇兼備で、父によく似た青年ならば。
上等兵にまで上り詰める能力の持ち主ならば。
確かに、祝福さえされれば、弟のように気品溢れる立派な軍人となっていたのではないかと思わせる、そういう説得力があるのです。
それが、何かの少しのズレで、そうはなれなかった――いわば宿命がまとわりついているように思えます。
尾形の母は、客であった父に惚れ込むほど、純情である。
芸者とは本来、芸を売るものであり、客と性的関係は持たない(持つと「山猫」と陰口をたたかれる)。
それを越えてしまうほど、二人は親しくなった。
尾形の母には相当な覚悟があったのでは?
尾形の祖父母、母ともども姿勢がよく、どこか気品を感じさせます。
彼自身も、どこか洗練性がある。
アメリカ独立戦争での狙撃手について知っているほど知性的で、博識。
幼少期の尾形が身につけた射撃の術と銃は、幕末に戦った祖父から受け継いだ可能性もありますね。
「之助」という名前は武士由来
『ゴールデンカムイ』の人物名を見ていると、実は共通点がある人物がおります。
「之助」と「之進」は、共通点があります。
ウィキペディアの【仮名(通称)】から引用させていただきますね。
〜之介、〜之進
武士が官職風の仮名を名乗る過程で、京官の地下人たる「進」、地方官(国府)の次官である「介」「助」などの呼称が人名として用いられるようになる(鉄之助など)。町人の中にも助という名乗りをする者がいたが、「〜介」「〜之介」「〜之進」などの名乗りはほとんど武士階級のみが用いた。
この二人は、名前からすると士族両親の子の可能性があるわけです。
尾形家とは、幕末の動乱で落ちぶれた水戸藩士族で、貧しさのあまり、娘を芸者としたのかもしれません。
そう考えると、明治政府真ん中でエリート街道を歩んだ花沢家との格差に驚かされます。
「祝福された道が俺にもあったのか……」
尾形は、父にそう語りかけますが、これは水戸藩が言いたかった言葉ではないでしょうか?
もしも水戸藩が祝福されていたら、幕末から明治にかけて、もっと別の道があったでしょう。
尾形という男は、両親から幕末の因果を受け継いだ、業の深い人物です。
薩摩出身の父に復讐を遂げたとはいえ、主人公の杉元たちとは激しい対立軸があります。しかも、射殺した異母弟・勇作の亡霊に取り憑かれているのです。
尾形という人物は、歴史の亡霊に取り憑かれたかのような、暗い魅力があります。
彼は深い業と運命を背負った、宿命の中から生まれた人物なのだ、と思わざるを得ません。
そこが人気投票でも首位を争う、魅力なのでしょう。
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文:小檜山青
【参考文献】
野田サトル『ゴールデンカムイ』(→amazon)
一坂太郎『明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す』(→amazon)
半藤一利『もう一つの「幕末史」』(→amazon)