日本中世史のトップランナー(兼AKB48研究者?)として知られる本郷和人・東大史料編纂所教授が、当人より歴史に詳しい(?)という歴女のツッコミ姫との掛け合いで繰り広げる歴史キュレーション(まとめ)。
今週は、本能寺の変の後に徳川家康が命からがら逃げ出した「神君伊賀越え」の新説ニュースに注目だ!
お寺か?それとも一揆勢を避け山城か?
まずは考古学関連のニュースから!
◆【回顧2015文化】考古学 イスラム国、シリアの神殿破壊 舒明天皇の幻の古墳?(産経新聞)
1400年前の飛鳥時代の首都・奈良県明日香村で、舒明(じょめい)天皇の幻の古墳かと話題になった石敷きの濠(ほり)が出土、兵庫県の淡路島では弥生時代の銅鐸が7個も見つかるなど研究者の度肝を抜く発見が相次いだ。
一方、樋口隆康・京都大名誉教授ら戦後考古学を支えた学界の重鎮が死去。
その樋口氏が調査に当たったシリアの世界遺産・パルミラ遺跡では、過激組織「イスラム国」(IS)により神殿が破壊されるなど、文化財の光と影が際だった一年だった。
本郷「昨年は考古学の樋口隆康先生がお亡くなりになった年だったね」
姫「京都大学名誉教授であり、奈良県立橿原考古学研究所所長、シルクロード学研究センター所長などを歴任されたのよね」
本郷「業績は数多くあるけれども、なんといっても『邪馬台国は北九州ではなく、畿内にあった』という学説の代表的な研究者として名高いね」
姫「三角縁神獣鏡(銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡)は卑弥呼が魏から下賜されたものである、という捉え方をして、この鏡が多く出土する畿内にこそ邪馬台国はあった、と説かれたわけね」
本郷「95歳だそうだから、大往生だね。ご冥福をお祈りします」
◆世界遺産の平等院など剥落数十件、接着に使用の合成樹脂原因か 文化庁が方法見直しへ(産経新聞)
本郷「これはたいへんな問題だね」
姫「そうねえ。当時の人は、これが最先端の修理方法だ、って疑いをもたずに修理したのよね、きっと。でも時間がたってみると、それはとても問題のあるやり方だったわけね」
本郷「そういうことだね。文化財の修復の難しさだね。科学が進歩した後の時代から見ると、えー、へんなことをしてくれたなあ、ってなる。でも、その時点では、放っておくわけにもいかなかったんだろうからねえ」
姫「建物ではないもので、同じような話はない?」
本郷「あるある。たとえば福井県大野市の宝慶寺っていう格式高いお寺に、道元禅師の画像がのこされているんだけど」
姫「道元禅師といえば、中国大陸で禅を学び、帰国してから曹洞宗を開いた方ね」
本郷「そうそう。この画像は建長元年(1249年)、禅師が生きているうちに描かれたもので、その風貌を一番よく伝えていると言われている。ところが、そんな大事な肖像画なのに、重要文化財指定から漏れてしまっているんだ」
姫「それはいったいなぜ?」
本郷「後の人が筆を加えてしまっているから。それはもちろん善意でだよ。肖像画がいたんで、墨がうすくなってしまったところに上から加筆してしまった。重要文化財は「その時代をよく表すもの」でなくてはならないので、いつの筆かわからない直しのあるこの作品は、指定されていないんだ。これなんかも、せっかくの修補が裏目に出てしまっている例といえるんじゃないかな」
◆家康の「伊賀越え」、宿泊は寺 滋賀・甲賀の郷土史家、資料発見(京都新聞)
本郷「神君伊賀越えかあ」
姫「三方ヶ原の敗戦と並んで、德川家康の2大ピンチに数えられる事件よね。本能寺の変が起きたとき、家康一行はもと武田家重臣の穴山梅雪(母は武田信虎の娘・妻は武田信玄の娘・通称アナ雪さん)ともに堺見物をしていたのよね。それで信長が討たれたのを聞いて畿内を脱出しようとしたのだけれど、一揆勢に襲われる心配があって、道中は困難が予想された。実際に、別行動を取ったアナ雪さん一行は一揆勢に殺害されている」
本郷「そうなんだ。家康一行は本多忠勝や榊原康政ら30人ほどだった。いかに彼らが強くとも、大勢に襲われたらひとたまりもないからね。それで、彼らはまず宇治田原に出て、この地を治めていた山口甚介という人物を頼った」
姫「この甚介って、名前は?あ、諱(いみな)のことよ」
本郷「いろいろ伝わっているけれど、禅定寺文書などによると秀康が正しいようだね」
姫「へえ。それで、その甚介秀康の子が、山口宗永。早くから秀吉に仕え、まず小早川秀秋の付家老になるのよね。それでそのあと独立して、加賀・大聖寺城6万石くらいの城主になる人」
本郷「その通り。彼は関ヶ原で西軍につき、東軍についた前田利長(利家とまつの長男)の大軍と戦って滅亡するんだ。彼の子は大坂の陣で大坂方として戦ってもいる。まあそれは後の話だけれど、さっきの山口甚介の実家が甲賀の多羅尾という家。その居城が小川城。甚介は家康一行を多羅尾氏の勢力範囲まで送り届けた。そのあとは多羅尾氏の庇護のもと、家康一行は伊勢の白子というところに出る。そこからは船に乗り、何とか三河に帰った、というわけだね」
姫「多羅尾氏はこのあとどうなるの?」
本郷「秀吉に仕えてそれなりの領地をもらう。それから近江八幡の城主になる豊臣秀次とも深い関係を結んだ(多羅尾氏の娘は秀次の側室の一人となる)。ところがこれがあだになり、秀次が失脚したときに領地を没収されちゃう。その後、江戸幕府のもとで復活し、この辺り一帯の代官となるんだ。土着勢力で周辺の代官を務めたわけだから、伊豆の江川太郎左衛門みたいなものだね。なかには多羅尾氏を忍者の元締めだ、なんていう人もいるけれど、それはどうだろうね」
姫「ふーん。それで、今回の記事については、あなたはどう思うの?」
本郷「うーん、あまり賛成できないんだなあ。だって、妙福寺さんだっけ、そこが家康公は私の寺に宿泊されました、って申し出たのは江戸時代なわけでしょう? それって、とても名誉なことで、そういうことを言えば、幕府から褒められる。恩賞だって出るかもしれないわけだよね。そういう報告が、簡単に信頼できるのかな?」
姫「でも城郭研究家の中井先生も、小川城には宿泊スペースはない、っておっしゃってるわよ」
本郷「いやいや。家康一行が500人とかなら話は別だろうけれど、30人だよ。もしその人数が寝泊まりできない城だとすれば、それは敵が攻めてきても立て籠もることのできない役立たずの施設だ、ということにならない?」
姫「あ、そうか。でも、お寺が宿所に選ばれることは普通だった、というのは?」
本郷「それは確かにそうだよね。本能寺が良い例だし。お寺には石垣とかあって、防禦にも向いてるかもしれない。だけど、一揆勢がいつ攻めてくるか分からない、って時にお寺に泊まっているのと、窮屈な思いをしても何日か山城に滞在するのと、どっちを選ぶ? ぼくは命が惜しいから、山城にいるけれどもなあ」
姫「そうねえ。その理解は一理あるわねえ。まあ、結論を急がず、これからの議論の進展に期待しましょうか」
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