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おんな城主直虎特集 今川家

新野左馬助親矩とは? 井伊の血脈を後世に残した気骨の武人【おんな城主 直虎人物事典⑫】

更新日:

 

親兄弟が血で血を洗う戦国時代にあって、仁義や恩などという言葉は存在しない。
そう考えても仕方のないほど全国至る所で殺伐とした光景が広がっていた。

しかし、戦乱の世にあっても危険を承知で人助けに尽力する武人も皆無ではない。
いや、むしろ、後世に名を残す武将や大名家には少なからず忠臣がおり、徳川家康率いる三河武士の結束などは今も語り継がれているだろう(勝者による美談の歴史だとしても……)。

2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』では、新野親矩がまさにその人。
同ドラマでは苅谷俊介氏といういぶし銀の俳優が演じる気骨の武将であり、後の徳川四天王・井伊直政が生き残るには彼の尽力なくしてありえなかった。

直虎人物事典第12回は、新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)にスポットを当ててみたい。

【TOP画像】熊谷光夫画「新野親矩公」

 

太原崇孚の提言により対井伊家の方針が変わり……

新野親矩(ちかのり)の生まれた年や場所について詳細を示す史料はない。実父は上田民部で、新野氏の養子になったといい、新野氏の居館は新野新城付近にあったという。現在、ここの城山は採土のために削り取られ、居館跡も城跡もほぼ残っていない。

新野新城

新野新城跡

親矩の運命が動き始めたのは、今川氏の宗主が今川義元に替わり、軍師・太原崇孚の指示が出されてからだ。これまで井伊氏に対して高圧的だった今川氏は急接近して、自らの傘下に引き入れ、より密接な関係を築こうとする。

これを井伊氏から推し進めたのが、井伊家の筆頭家老・小野政直であり、両者は以下の3項目で関係強化を図った。

①井伊直平(直虎の曽祖父)の娘を人質として今川義元に差し出し、義元の側室とする
②今川義元は井伊直盛(直虎の父)の烏帽子親になり、今川庶子家・新野氏の娘(新野親矩の妹あるいは娘)と結婚させる
③今川氏庶子家の新野親矩は、井伊氏庶子家・奥山氏の娘を正室に迎える

実は井伊家の内部には、今川氏と戦って敗れた経験を持つがゆえに彼らの傘下入りを嫌う一派もあった。その筆頭が井伊直満(井伊直政の祖父)・直義兄弟であり、この2人は親今川派・小野政直の報告によって誅殺される。こうした場合、普通は親子はもちろん、その一族も責めを負うことになるが、前宗主の直平や現宗主・直盛は誅殺されていない。

上記のように直平と直盛の2名は今川氏と深い関係があり、小野政直も「井伊直満・直義の反抗はあくまで2名だけのクーデターであり、直平や直盛は全く関係ない」と訴えている。もしかしたら「助けてやった」と井伊家に恩を売る作戦だったのかもしれないが。

その一方で、直満の子・亀之丞(井伊直親・井伊直政の実父)には殺害命令が出されている。亀之丞は直虎の許婚者であり、何もなければ二人が夫婦になって井伊家を継ぐハズだったが、命を狙われたことにより亀之丞は信州へ逃亡。これは息子の小野政次を直虎と結婚させようと考えた政直と今川の共謀だったという説もある。

 

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殺害命令の下された直親親子の助命嘆願

井伊直満・直義を誅殺したとはいえ、まだまだ安心はできぬ――。そう考えた今川が次に取った策が新野親矩を目付家老として、井伊谷へ送り込むことだった。

結果的にこの人事が後に井伊家を救うことになり、後に今川家の崩壊にも間接的に関わるのだが、ともかくこの段階で主君より命令を受けた親矩は、嫡男・甚五郎(功刀君章『井伊年譜』では「新五郎」)に家督を譲り、井伊谷に移り住む。その屋敷は、現在の井伊谷小学校の西側にあった。

一方、亀之丞も信州からの帰国を果たし、元服して井伊家24代宗主・直親となる。

井伊家系図

父を殺された恨みからであろう。直親は反今川・反小野の気持ちが固く、「鹿狩りに行く」と言っては城を出て、徳川家康と連絡を取り合っていた。これにいち早く反応したのが小野政次(ドラマでは高橋一生さん)である。小野家では政直が病死し、息子の政次が跡を継ぎ、今川氏真に報告をあげた。そして今度は、直親・虎松(後の井伊直政)親子に殺害命令が下されるのである。

この時、駿府へ出向き、必死に助命を願い出たのが他ならぬ新野親矩だ。

親矩の必死の説得により、氏真もいったんは直親親子の殺害命令を取り消した。しかし最終的に、井伊直親は駿府へ弁明に出向く途中で今川家臣によって殺されてしまう。もしも直親が駿府で氏真に会って弁明を済ませてしまったら、しばらく討つ機会を逸してしまう――おそらく今川や小野はそう考えたのであろう。そのため駿府城へ到着する前に襲いかかったと考えるのが自然だ。

もしも井伊直親が、親今川派の小野政次と仲良くし、今川庶子家の娘と結婚していたら?
桶狭間の戦い」の直後に今川氏真がすぐに弔い合戦をして織田信長を倒し、駿河から尾張までを領する大名になっていたら?
そうすれば井伊直親は誅殺されずにすんだかもしれないが、歴史に「たら・れば」は無い。
結局、井伊直親の死は、「家臣の暴走」で片付けられた。

 

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なんとしてでも虎松(後の井伊直政)だけは助けねばなるまい

直満に続き、直親までもが殺されてしまった井伊家。
『なんとしてでも直親の子・虎松(後の井伊直政)だけは助けねばなるまい』
そう思ったのは、誰あろう新野親矩だった。
親矩は「虎松を養子にして新野家で育てる!」と断固主張し、井伊谷の新野屋敷で母親と共に匿ったという。ただしこれには諸説あり、虎松は近隣の浄土寺で育てられたとか、「出家させる」として鳳来寺に送られたとか、はたまた「井伊家でも新野家でもなく、奥山家で育てる」(新野親矩の妻も、虎松の母も奥山氏)とか伝わっており、ハッキリしない。母と共に龍潭寺の松岳院で暮らしたなんて話もある。

左馬武神社道標

左馬武神社道標

いずれにしても虎松は生き延びて後に徳川四天王・井伊直政となるが、この虎松を助けた新野親矩にはその後、2つの死亡説が流れている。

一つは、引馬城の飯尾氏を討つ討伐軍の大将として出陣し、永禄7年(1564)9月15日に「天間橋」で討たれたというものだ。飯尾氏は、武田、徳川と寝返りを繰り返し、今川から狙われていた。

このとき親矩の義兄である新野親道や、井伊家の宗主代行をしていた中野直由(中野家は井伊家庶子家)も同時に討たれており、結果、井伊直虎が虎松の後見人とならざるを得ない状況に陥る。おんな城主はこれを機に誕生したのである。

もう一つの死亡説は、飯尾氏が駿府の今川館へ行った際、今川氏が飯尾氏を誅殺しようとしたところ、抵抗にあって親矩が討たれたというものだ。永禄8年(1565)12月20日のことだという。

現段階では、どちらが正しいか分からない。

新野親矩は駿府の新野屋敷から井伊谷の新野屋敷に転居して、今川館には詰めていなかったと思われるし、新野親矩の同心であった幡鎌半兵衛(本貫地は静岡県掛川市幡鎌)が、「(新野親矩の死亡により?)今後は幡鎌山虎の同心になるように」と申し付けられている永禄7年10月20日付の文書があるので、合戦による死亡説の方が自然だろう。

 

小田原合戦で恩人の子を殺してしまったのか!?

新野親矩の墓は、井伊谷の龍潭寺と、渋川の東光院にある。

新野親矩の墓(龍潭寺)

新野親矩の墓(龍潭寺)

東光院墓所(このうちのどれかが新野親矩の墓)

東光院墓所(このうちのどれかが新野親矩の墓)

渋川の東光院は住職を能仲和尚(龍潭寺・南渓和尚の弟子)が務めており、能仲は新野出身で親矩の弟とも言われる。東光院には「新野塚」という親矩の墓があったが、そこに渋川小学校を建てることになって墓石が運ばれた際、行方不明になったという。また、東光院に保管されていた新野親矩の遺品は、新野親良(井伊直弼の異母兄)に懇願されて差し上げたので、今は無いそうだ。

最後に、新野親矩の子らの数奇な話を掲載しておこう。

親矩の一家は系図によって異なるのだが、『新野村誌』などによると、
・長女:上田又右衛門秀光室 号:清光玅秀尊尼
・次女:三浦與右衛門元貞室 号:花山昌栄大姉
・三女:井伊信濃守直盛室 号:松岳院殿壽窓祐椿大姉
・四女:瓜木右近室 再嫁戸塚左太夫正次 号:生誉曅性大姉
・五女:狩野主膳室 再嫁木俣土佐守守勝 号:栄光大姉
・六女:和田新左衛門常閑室
・七女:庵原助右衛門朝昌室
・長男:新野甚五郎 号:貞岩忠公大居士
の8人とあり、井伊直盛の妻(「おんな城主 直虎」では千賀)は、新野親矩の妹ではなく娘になっている(狩野主膳と新野甚五郎は北条家の家臣)。

一方、千賀を新野親矩の「妹」とする系図によると、親矩の子は、
・長女:三浦與右衛門元貞室
・次女:戸綿太郎右衛門正金室
・三女:戸塚左太夫正次室
・四女:和田新左衛門常閑室
・五女:三条殿御廉中 ※「御廉中」は貴人の室(妻)のこと。
・六女:木俣土佐守守勝室
・七女:庵原助右衛門朝昌室
・長男:新野甚五郎 号:貞岩忠公大居士
の8人である。いずれにせよ子の数が多いのは側室の子が含まれているからであろうか? 男女比が女に偏っており、多くが「養女」の可能性も考えられる。

なお、数奇な話とは新野親矩の長男・甚五郎のことであり、彼は後北条氏の家臣となっている。
このことを知った徳川家康は、井伊直政に「呼び寄せ申すべし」と言ったが、呼び寄せる前に「小田原籠城之節戦死」してしまい、新野家は絶えてしまった。
「小田原城の戦い」といえば、井伊直政隊による蓑曲輪と捨曲輪への攻撃が豊臣側唯一の攻撃だと言ってよい。だとすると、直政隊の誰かが直政の命の恩人である親矩の子・新野甚五郎を殺し、新野家を絶やしてしまった可能性も否定できない。
井伊直政はその後悔や、「今川庶子家の人間でありながら、井伊家を救った情けの武将」である新野親矩への恩もあって、新野親矩の娘達を家臣に嫁がせた。

また、直政の次男・直孝は、新野親矩の娘達に10人扶持(10人の1年分の扶持米)を与えている。

新野親矩おんな城主直虎人物事典12-8

左馬武神社(御前崎市新野)

(了・第12回へ続く)

 

おんな城主直虎 登場人物の史実解説&キャスト!

井伊直虎(柴咲コウさん)
井伊直盛(杉本哲太さん)
新野千賀(財前直見さん)
井伊直平(前田吟さん)
南渓和尚(小林薫さん)
井伊直親(三浦春馬さん)
小野政次(高橋一生さん)
しの(貫地谷しほりさん)
瀬戸方久(ムロツヨシさん)
井伊直満(宇梶剛士さん)
小野政直(吹越満さん)
新野左馬助(苅谷俊介さん)
奥山朝利(でんでんさん)
中野直由(筧利夫さん)
龍宮小僧(ナレ・中村梅雀さん)
今川義元(春風亭昇太さん)
今川氏真(尾上松也さん)
織田信長(市川海老蔵さん)
寿桂尼(浅丘ルリ子さん)
竹千代(徳川家康・阿部サダヲさん)
築山殿(瀬名姫)(菜々緒さん)
井伊直政(菅田将暉さん)
傑山宗俊(市原隼人さん)
番外編 井伊直虎男性説
昊天宗建(小松和重さん)
佐名と関口親永(花總まりさん)
高瀬姫(高橋ひかるさん)
松下常慶(和田正人さん)
松下清景
今村藤七郎(芹澤興人さん)
㉙僧・守源

 

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著者:戦国未来
戦国史と古代史に興味を持ち、お城や神社巡りを趣味とする浜松在住の歴史研究家。
モットーは「本を読むだけじゃ物足りない。現地へ行きたい」行動派。今後、全31回予定で「おんな城主 直虎 人物事典」を連載する。

自らも電子書籍を発行しており、代表作は『遠江井伊氏』『井伊直虎入門』『井伊直虎の十大秘密』の“直虎三部作”など。
公式サイトは「Sengoku Mirai’s 直虎の城」
https://naotora.amebaownd.com/
Sengoku Mirai s 直虎の城





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