上野彦馬

坂本龍馬と上野彦馬/wikipediaより引用

幕末・維新

あの龍馬の写真にも関わった 上野彦馬は日本人初のプロカメラマン

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
上野彦馬
をクリックお願いします。

 

パイオニアは引っ張りだこに

そして迎えた幕末から明治期にかけて、彦馬は引っ張りだこになりました。

肖像や風景だけではなく、様々なものにシャッターを切ったのです。

それは一体どんなものだったのか?

 

証拠写真

幕末は、血なまぐさい攘夷事件が多発していた時代でもあります。

殺傷された外国人の遺体、刑死された生首といった写真も、結構な数が残されております。

幕末外国人
幕末の外国人は侍にガクブル 銃でも勝てない日本刀も切腹もヤバすぎ

続きを見る

現場の証拠保全のため、彦馬も事件現場で撮影をしました。

警察誕生前夜、証拠をおさめるカメラマンはいたのです。

一例としてヒュースケンの遺体写真も、残っています。

ヒュースケン
幕末日本を愛したオランダ青年 ヒュースケン殺害事件が悲し過ぎる

続きを見る

 

日本初の天体写真

1874年(明治7年)。
金星の太陽面通過という天体現象が起こります。およそ一世紀ぶりという珍しいものでした。

しかも、欧米では観測できません。

日本、中国、インド、満州といったアジアに、世界から撮影隊が派遣されました。日本でも、海軍が観測を行っています。

アメリカからやってきたダビッドソンの隊に、彦馬も参加。残念ながらこのとき撮影した膨大な写真は紛失し、未発見です。

それでも彦馬にとって、大きな経験であったことは確かです。

 

日本初の戦場カメラマン

日本史上初の戦場カメラマンともいえる、それが彦馬でした。

1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、彼と弟子たちは戦場を写真に収めることとなりました。

まだ写真への理解が足りず、費用を申請すると高すぎないかと言われることもあったとか。

絵から写真へ。
戦争を残す技術も、かくして変貌してゆきました。

西南戦争
西郷を美化するなかれ~とにかく悲惨だった西南戦争リアルの戦場

続きを見る

 

アート写真

明治は、キリシタンの魔術であった写真が、芸術とみなされるようになった時代でもありました。

1877年(明治10年)の第一回内国勧業博覧会では、彦馬の写真が鳳紋賞を獲得。

「実に無比の芸術と云うべし」

そんなコメントを受けたのです。

こうなると、彦馬の元に続々と弟子も集まって来ます。

様々な工夫を凝らし、美麗な写真、実物よりも印象的なものを撮影すべく、彦馬は邁進したのです。

 

肖像写真

明治20年代ともなると、明治天皇皇后、海外の王族の写真がブームに。

彦馬は引っ張りだこで大忙しです。

長崎でのニコライ皇太子・この有名な一枚も上野彦馬が撮影したものです/wikipediaより引用

それだけではない、プライベートな肖像写真も、ブームとなります。

来日外国人が自分や家族のみならず、現地で作った恋人の写真撮影を頼んできていたとか。

『お菊さん』で知られるロティは、長崎の上野という写真家のことを書き残しています。

それだけ有名だったのでしょう。

ピエール・ロティ/wikipediaより引用

明治37年(1904年)に享年67で亡くなるまで、彦馬は写真家として満ち足りた日々を送りました。

忙しくも、飽くことのない、充実した人生でした。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-幕末・維新

×