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【大田垣蓮月】
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西郷隆盛の心をも動かす? 届けられた和歌
大田垣蓮月は、世を捨てた尼僧というわけではありませんでした。世の中の動きは察していたのです。
ただ、彼女は達観した人物でした。
ペリーの来航を知っても驚くことはなく、「世の中を動かすだろうが、騒ぐことでもない」と落ち着き、悟りきった心境でした。
この時点でペリー来航がむしろ世の中をよい方向に進める可能性があるのだ、と冷静に考えていたのですから、凄い人物です。
蓮月は「自他平等」という仏教思想を持っておりどちらかだけに味方するわけではありません。むしろ人々が争っていたらば、両者ともに憐れむような考えを持っていました。
慶応4年(1868年)1月。
蓮月のもとに、鳥羽・伏見の戦いの知らせが飛び込んできました。
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蓮月は怒り、再び心を痛め、和歌を短冊にしたためました。
そして薩摩藩士のツテを頼り、この短冊を西郷隆盛に届けさせたのです。
あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば
動かしたとも言えないが、響いてないとも言えず
技巧も何もない、ストレートな、だからこそ胸を打つ歌でした。
この歌を読んだ西郷はどう思ったのでしょうか。
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それはわかりません。
この歌こそ、西郷を江戸城無血開城に導いたとされることもありますが、流石にそれは話が大げさである気はします。
しかし、まったく西郷の心に響かなかった、とも言えないような、そんな力も感じます。
大田垣蓮月の嘆きとは裏腹に、日本は戊辰戦争の泥沼の中に転げ墜ち、同じ国の同士が殺しあいました。
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そんな内戦の悲惨さを歌に託したのが、蓮月なのです。
もしもこのとき、誰もが彼女の歌と同じ考えを抱いていたらば、いくつの命が救われたことでしょうか。
★
明治8年(1875年)、蓮月は85才という長い生涯を終えます。
夫や我が子をはじめとして多くの人々に先立たれた生涯。
しかし、実り多く感性の輝きに満ちた一生であったのではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
辻ミチ子『女たちの幕末京都 (中公新書)』(→amazon)