神戸事件

こちらは同様にフランス人が暴れた堺事件を描いた一枚/wikipediaより引用

幕末・維新

外国人が初めて見たハラキリは神戸事件が発端~その釈然としない結末

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神戸事件
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外国人が見た初めての切腹は滝善三郎

最初は伊藤博文が担当して失敗。

次に東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)という公家の人が交渉に当たり、最初に槍でフランス人水兵に怪我をさせた滝善三郎という人物を切腹させることで、この事件を丸く治めました。

外国人側にほとんど被害がないにしては重すぎる処分に見えますよね。

しかし、日本側が助命嘆願をしようとも、公使たちに却下されてしまったのでどうしようもありません。

なんだか釈然としないのですが、要は、英仏米に対する明治新政府の立場が弱かったんですね。なんせ、岡山藩が犯人の受け渡しを拒んだら、同藩を攻撃する方針であったと言います。

そして滝は切腹へ。

本来の作法で「ハラキリ」が行われたと言います。

実は、切腹も江戸時代末期になると、自分で本当に腹を切るケースは珍しく、介錯人による斬首というイメージに近いかもしれません。

それを検証のための外国人が見ているからか。

本人に腹を切らせたのです。

三宮神社の史蹟碑/Wikipediaより引用

三宮神社の史蹟碑/Wikipediaより引用

記録上は、このときが「外国人が初めて切腹を見たシーン」となっています。

「ハラキーリ!」のイメージも、ここが出発点でしょう。

この神戸事件から約1ヶ月後の慶応四年(1868年)2月15日には【堺事件】が勃発。

そのときは武士の集団ハラキリを見て、あまりにムゴいため、途中でストップさせたと言います。

 

 「牛肉食いたいから牛をよこせ」って……

こうした物騒な事件、幕末から戊辰戦争期の混乱によるものと思いきや、実はもう少し前から似たようなことが起きていました。

特徴的な例をもう一つご紹介しましょう。

現在鹿児島県に属する宝島というところで、文政七年(1824年)にイギリス人とのトラブルが起きたことがあります。

彼らの船はたまたまこの島へ流れ着いただけだったのですが、あつかましいことに現地の人々へ「牛肉食いたいから牛をよこせ!」と言ってきたのです。

西日本は比較的東日本よりも肉が食べられていたとはいえ、日本人にとって牛肉食は馴染みのないものでしたし、何より牛は農耕や運搬に使う大切な家畜。

ですから当然島民もお偉いさんも拒否しましたが、イギリス人たちが大勢でよってたかって牛を三頭も強奪し、本格的にドタバタ騒ぎになってしまいます。

結果、イギリス人のうち一人が射殺されるというこれまた国際問題モノの事態となりました。

この時期はまだ正式に国交を結んでいなかったおかげか、そこまでは悪化せずに済んだようです。翌年に異国船打払令が出されているので、影響の程がうかがえますね。

鹿児島県宝島/Wikipediaより引用

鹿児島県宝島/Wikipediaより引用

 

郷に入れば郷に従ってよ

ちなみにイギリス公使・オールコックが富士山で狼藉を働いたのが万延元年(1860年)なので、この二つの事件の間にあたります。

つまり数十年前からずっと似たような状況だったわけです。

オールコック富士登山記念碑
外国人初の富士山登頂は現代なら炎上もの?幕末のオールコック御一行

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そりゃ幕府側も「今は外国人ってだけで危ないんだから、馬に乗るなんてわざわざ顔をさらすような移動の仕方しないでくださいよ!」(超訳)って言いますよね。

ちっとも聞いてくれませんでしたけど(´・ω・`)

現代の日本では、最早この手の事件が起こることはないでしょう。

しかし海外だと「言葉が通じない」とか「日本では問題ないことも現地では失礼にあたる」ということがきっかけでトラブルになることは珍しくありませんので、その辺は心がけておきたいですね。

基本的に異文化交流はデメリットよりもメリットのほうが大きいですし。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
神戸事件/Wikipedia
宝島/Wikipedia

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