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【幕末でモテモテだったのは誰?】
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「情夫(いろ)にするなら彰義隊」
『西郷どん』では、モテたという設定の新政府軍も江戸っ子からは嫌われておりました。
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彼らが声援を送っていたのは、彰義隊士、会津藩と庄内藩。
幕府の誇りのために戦うと期待されていたのです。
これは江戸っ子のみならず「悪逆を倒してくれ!」あの天璋院篤姫も期待を寄せていたほどです。
実家の島津家から顔に泥を塗られるような真似をされていた彼女も怒り心頭であり、ドラマのような生ぬるい対応はまずありえません。
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彰義隊にしても、ドラマではまるで「聞き分けが悪い反抗期の子供たち」のような描かれ方をしておりました。
が、彼らとて命がけで武士の誇りを賭けて戦ったのであります。そして、これがもう最期になるだろうと遊郭に向かえば、江戸の遊女たちは大歓迎しました。
「情夫(いろ)にするなら彰義隊」
そう口にして、彼らをもてなしたのです。
一方で新政府軍の兵士は遊郭でも嫌われ、不運にも殺害されることすらあったのだとか。
その中でも嫌われ度ランキング堂々の一位は薩摩藩士でした。
理由は、言うまでもありませんが「薩摩御用盗」です。
江戸の家を焼き、財産を奪った相手を、誰が好きになるというのでしょう?
そしてこの「薩摩御用盗」を放ったのが西郷隆盛ですから、モッテモテどころか非モテの筆頭。むしろ西郷どんのせいで、薩摩藩士が嫌われてしまうのです。
のちに「血まみれ芳年」とすら呼ばれるほど残酷な画風が特徴であった月岡芳年は、上野戦争で倒れて死にゆく彰義隊士の姿をその目に焼き付け、後にその姿を描きました。
彰義隊士の無念を絵画に込める――。
江戸っ子は、自分なりの戦い方で、新政府のやり口に反抗する方法を模索していたのです。
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負け惜しみの強い江戸っ子と強情な会津っぽ
新政府の支配下になってからも、江戸っ子たちは腹の底では不満をくすぶらせていました。
そんな江戸っ子も西郷隆盛を賞賛した時があります。
それは別に西郷が好きというよりも「こんな新政府がでぇ嫌いでぇ、倒してくんな!」という意味のエール。
政府を下野して西南戦争に至る姿であり、モテと呼ぶにはさすがに無理がある。
負け組となった幕臣旗本も、新政府について働く人は少数派。
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なぜこうなったか?と申しますと、政府に仕えて東京で暮らし続ければ、近所から白い目で見られてしまうことすらあったのです。
八百屋や魚屋も、こうした家とは取引をしなかったことがあるほどだとか。
こうなると生活できないレベルです。
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『西郷どん』では「俺、西郷どんのファン!」とニコニコ笑顔の勝海舟も、実際はそんなはずはありません。
実際、あんなことをして鰻を一緒に食べていたら、江戸っ子からブーイングの嵐でしょう。
彼が新政府に協力的に見えたのは、主君である慶喜の身分を、政府に取り入ることで守るという意図がありました。
しかし、そんなものは福沢諭吉からすればお話にならない理屈。
「痩せ我慢もせずに明治政府に仕えて生きている勝海舟とか、榎本武揚とか、生きていて恥ずかしくないの?」という内容の『痩せ我慢の説』を発表し、大炎上を起こしております。
慶応ボーイのイメージとはかけ離れた反骨っぷりですね。
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福沢のようなガチで大炎上上等だった幕臣以外でも、江戸っ子たちの胸にも武士の誇り、将軍様のお膝元で生きてきたという思いがありました。
例えばこんな有名人がいます。
先祖は三河武士。しかもあの徳川家康の身代わりになっていた――。明治維新で没落したけれども、自分の体には誇りある血が流れている。
彼もそう思っていたことでしょう。
この人物は、イギリスに留学したのち、新聞記者、そして作家として歩みだします。
そうです、夏目漱石です。
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彼の代表作『坊ちゃん』には、維新で苦労した人々が登場します。
主人公は、無鉄砲な江戸っ子。
主人公を可愛がる下女の清は、維新で没落して苦労を重ねた女性。
主人公と気が合う、真面目で正義感の強い数学教師・山嵐こと堀田は、会津っぽ。
無鉄砲な主人公を取り囲む人物は、維新で苦労をした側ばかりなのです。
主人公と山嵐は、うらなりという弱々しい教師を救うべく、卑劣な上層部と奮闘し、敗北してしまう。そういうお話。
この二人は、互いに負け惜しみが強いわけだ、意地っ張りだと語りあいながら、意気投合してゆくのです。
ちょっと深読みかもしれないとは思うのですが、維新で負けた側が、それでも俺らはただ負けたわけじゃねえ、そう言い張っているような、そんなプライドを、漱石の作品からも感じてしまうのです。
話をモテに戻しますと……西郷も薩摩藩士も別にモテておりません。
明治以降も、あまりにワイルドな薩摩隼人ぶりがドン引きされたことすらありました。
黒田清隆に至っては、酔っ払って砲撃して死者を出すわ、妻を殺したという……。
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モテたどころか、むしろ江戸っ子から引かれていた薩摩藩士。
にもかかわらず大河ドラマで、捏造レベルで描くのは、今更ながらに『やりよったな……』という思いです。
全然モテなかった学生時代の記憶を改ざんして「いやあ、俺マジでモテて困っていたわ」と主張する人がいたら、聞かされる方は辛いだけでしょう。
なぜ2015年の長州大河でモテをテーマにしなかったのか?
薩摩隼人の魅力はモテではありません。他にいくらでも引き出す方法はあっただろうに……つくづく悔しい大河になってしまいました。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
南和男『幕末維新の風刺画 (歴史文化ライブラリー)』(→amazon)
森田健司『江戸の瓦版~庶民を熱狂させたメディアの正体 (歴史新書y) 』(→amazon)