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【幕末の侠客】
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死体の埋葬も買って出たのはナゼ?
本書では、戦場で武士顔負けの活躍をするアウトローや、名だたる志士を庇う義侠のふるまいだけではなく、他の人々がやろうとしなかった「仕事」を引き受けた話も掲載されています。
死体の埋葬です。
江戸時代を通じて「罪人の死体は晒しものにする」ことが通例となりました。殺すだけではなく、死体を晒すところまでが刑罰とされたんですね。
飢饉や災害で大量死が発生することはあっても、戦国時代のような合戦による大量死はなかったため、それでも問題になりませんでした。
しかし、戊辰戦争をはじめとする戦乱によって、各地で死屍累々となると、これが大問題となります。
戊辰戦争のリアルは悲惨だ~生活の場が戦場となり食料を奪われ民は殺害され
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官軍からすれば「罪のある賊軍の死体は晒すものにすべきだ」という理屈になります。
現代人からすれば「死体をそのまま放置するなんて信じられない」と思ってしまいますが、何百年と続いた当時の人々の常識は当然違うわけです。
実際問題として、人間の生活スペースに大量の死体があるというのは大変困る。
ところが、これを勝手に埋葬したとなると、お咎めを受けるかもしれない。多くの庶民にとっては死体に触れることすら慣れておらず恐ろしいことでしょう。
ここで汚れ仕事をかって出たのがアウトローの人々でした。
現在まで続く指定暴力団の祖となった「侠客・初代会津小鉄」は、彼を重用した会津藩の恩義に報いるため、鳥羽・伏見の戦いで亡くなった会津藩の死者を埋葬し、名をあげました。
清水次郎長は静岡の海に浮かぶ死体を「死ねば仏」であると、両陣営分け隔てせず構わず葬ったことから、感動した山岡鉄舟との交流が生まれました。
山岡鉄舟~西郷を説得して無血開城を実現させた生粋の武人53年の生涯
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しかし本書の筆者は、
美談というよりも死体が浮かんでいたら生活が成り立たなかったからではないか
とも冷静に分析します。
確かにこの死体の埋葬に関しては、義侠の行いではあるものの、それで終わらせてしまってもよいものか、という疑念も浮かんでくるわけです。さらに……。
歴史と意識の中から消えてゆく存在に
本書の優れた点は、アウトローという影となった部分を描くことで、明治維新というドラマがいかに「漂白化されているかを浮き彫りにした」点だと思います。
利用されるだけ利用されて使い捨てにされたように見える諸隊の隊士たち。
本来は死体を発生させるような状況を作った側がやるはずである「死体埋葬」という汚れ仕事を行うアウトローたち。
彼らを使い捨て、汚れ仕事を押しつけたからこそ、漂白された歴史の勝者。
そういう一面があることを教えてくれるのです。
そしてもうひとつ。私たちの意識からアウトローが消えつつあるということです。
国定忠治、清水の次郎長、黒駒の勝蔵といった、江戸時代のアウトローを主役とした物語は、時代劇全体の衰退とともに大衆演芸、映画、テレビから姿を消しました。
幕末は大河ドラマはじめ、様々なコンテンツで扱われる時代であるにも関わらず、彼らは登場しません。
登場したとしても『八重の桜』(2103年)で松方弘樹さんが演じた大垣屋清八のように、「京都商人の顔役」といった役割にされてしまいます。
現代のフィクション作品では、彼らも漂白化されてしまうのです。
かくして維新の歴史の中に埋没したアウトローたちは、記憶の中からも消えていこうとしている――。
それを痛感させてくれる興味深い一冊が本書なのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
伊藤春奈『幕末ハードボイルド: 明治維新を支えた志士たちとアウトロー』(→amazon)