幕末・維新

レオン・ロッシュが築いた幕末の日仏関係は情熱的~しかし見通し甘く英国に敗北

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レオン・ロッシュ
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慶喜は最愛の愛弟子

知性、エネルギー、魅力、行動力がズバ抜けている。

温和で聡明、端正で威厳があり、よく話を聞く、思慮深く勉強熱心……。

慶喜について筆を走らせるとき、ロッシュは恍惚の表情を浮かべていたのではないでしょうか。まるで恋人を表現するかのような情熱的な言葉が、彼の記録から確認できます。

素晴らしきこの慶喜を教え子とし、日本を変えてゆく――そんなロッシュのロマンのもと、幕府は最終局面へ向かってゆきます。

しかし、慶喜に惚れ込み過ぎてきたロッシュには、残念ながら脇の甘さがあったと言わざるを得ません。

深い付き合いも面識もなく、慶喜の建前、表層部分しか観察できなかったのでしょう。

要は慶喜の情けない一面、逃亡癖のある性格を知り得なかった。

ただしこれはロッシュだけの話ではありません。松平春嶽はじめ、多くの人物が慶喜について苦い思い出を残しています。

そもそも15代将軍も、慶喜にスンナリ決まったワケではありません。

慶喜の優柔不断さ、不誠実さについてはかなり悪評があり、将軍継嗣問題において慶喜支持のため薩摩から嫁いだ天璋院篤姫すらも見限っていまいした。

彼女は田安亀之助(幻の16代将軍と呼ばれる徳川家達)と考えていたのです。

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【一会桑政権】のときも、会津藩と桑名藩は慶喜に対して不信感を抱いていました。

温和な松平容保は不満を出さないものの、藩士たちは慶喜に厳しい目を向け、不満を漏らしています。

何よりも、本人が「将軍になりたくない」と固辞し続けていた。

そうした各方面における不協和音は、ロッシュが喧伝するタイクーン(大君・将軍のこと)像からは全く見えてきません。

まるで理想の生徒を得たロマンに溺れているかの様子――これはロッシュ、ひいてはフランスの外交的欠点でした。

比較としてイギリスを出しますと、彼らはパークスを筆頭に、かなり辛辣で自国の権益ありきで動いています。

明治政府の上層部となる人物に対しても容赦なく厳しい姿勢でした。

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また、ロッシュ自身の野心もあります。

極東にフランスの同盟国を築き上げれば、彼自身にとっても母国にとっても、大きな成果。ゆえに同国のジャーナリズムも彼の甘い夢を書き立てました。

フランスと夢の国・日本というロマンスが、新聞紙上を飾りたてたのです。

かくしてどこか見通しの甘い蜜月関係が、幕府倒壊前夜に成立したのでした。

 


幕政改革にのめり込むロッシュ

ロッシュの示した国政改革案は、フランス第二帝政をモデルとしたものでした。

「ナポレオン3世のようにおやりなさい」

そうロッシュは諭します。

身分制度改革。

陸海軍の整備。

経済改革。

海外貿易の促進……要するに明治政府と同じ方針です。

倒幕などなくても、日本は近代化が可能でした。

600万ドルにもおよぶ対日借款、武器売買契約も結び、幕府は急速に力を盛り返していきます。

なんせ、このとき幕府が買い取った後装式シャスポー銃は幕末最強の歩兵銃でした。

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一方でイギリスは、内政不干渉を表向き主張しながら、薩摩藩と手を結び、倒幕計画を進めました。

フランスと近い幕府を倒し、イギリスの意のままに動く新国家建設を目論んでいたのです。

そのためにパークスは「将軍は日本の統治者でない」と主張し、ロッシュが幼い帝を操る前に釘を刺す――そんな攻防がありました。

するとフランス本国は、徐々にロッシュに対して不信感を抱き始めます(1866年に外相がリュイエからムスティエに交代)。

日本に投資して見返りはあるのか?

個人的な思い入れで肩入れしてるのでは?

それでもロッシュは断固として慶喜を支持。

しかし思わぬ綻びが彼の母国・フランスで待ち受けておりました。

日仏関係強化の目玉として派遣され、留学を希望していた慶喜の弟・昭武一行がパリ万博に参加します。

このとき、イギリスは抜け目なく薩摩藩と連携し、幕府権威失墜をはかる工作をします。万博に幕府のみならず琉球国名目で薩摩藩も出展し、混乱を生じさせたのです。

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フランスのジャーナリズムは幕府が信頼をできるのかとバッシングを始めます。

しかも、ロッシュの通訳を務めたカションまでそうした論に同調するような投書をしてしまった。

こうした混乱の中、600万ドルの対日借款も取り消されてしまい、破綻は決定的なものとなります。

フランスは日本のロッシュに帰国命令を出しました。

しかし、それが届く前に政変が起こるのです。

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