美賀君(一条美賀子)

美賀君(一条美賀子)と徳川慶喜/wikipediaより引用

幕末・維新

美賀君(慶喜の正妻)は嫉妬深かったのか 夫の周辺女性エピソードと併せて考察

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美賀君と慶喜周辺の女性たち
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子沢山の側室・信と幸

明治時代ともなれば将軍でもない慶喜ですが、徳川家の血を絶やすわけにもいきません。

世継ぎを残すためにも側室が必要だったのは仕方のないことでしょう。

将軍職や政争のストレスから解放されたのか。

彼は趣味に打ち込むとともに、側室とされた新村信と中根幸との間に10男11女をもうけています。

夭折した子たちを含めると、さらに3人多いとの説も。

側室や女中は、慶喜が趣味としていた写真のモデルも務めていました。

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が、将軍の寵愛を受けたこの二人は、側女中という低い身分であり、我が子からすら呼び捨てにされてしまいます。

教育方針にも口を出せず見守るしかなく、正室・美賀との間にも、身分の壁がありました。

 

慶喜を嫌った天璋院と和宮

イケメンで上品で聡明――だからといって誰からもモテモテになれるわけじゃないのが世の常。

慶喜は大奥からは嫌われていました。

傾く幕府を立て直すためにも、大奥の予算を削減したい。そんな方針を打ち出したのですから至極当然のことと言えましょうか。父・斉昭とは別の理由で嫌われています。

当時、大奥の頂点に立っていたのは二人の女性でした。

一人目は和宮

攘夷を強硬に主張した孝明天皇の妹です。

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慶喜にも攘夷を促しますが、そう簡単に引き受けられるわけもありません。

なんせ幕府はフランスの支援を受けているのです。

そもそも彼女は、夫・徳川家茂が亡くなり、京都へ戻ってもよさそうなものを、それが実現できていないストレスがありました。

もう一人の女性が天璋院(篤姫)です。

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倒幕に立ち上がった実家の薩摩藩を憎むほど、徳川の女として生きる誓いを立てた彼女。

前述の通り「倹約しなさい」とうるさい慶喜が、同時に「美賀君のために部屋を開けて欲しい」などと要求することに対して怒りを覚えていました。

そんな慶喜がおめおめとフランス軍服を着て、大坂から逃げ帰ってきたのですから、大奥は塩対応となります。

「倹約していて、余った布団もありません」

そう言われて毛布にくるまるしかない慶喜。

その後も天璋院と和宮、そして大奥は、慶喜に対して何かと文句をつけています。

洋服はいかん、書状のこの文言は何だ……。

こう書くと心が狭く、諸事が何かと停滞してしまいそうですが、彼女らはきっちりと実務はこなしています。

江戸城の無血開城に一役買ったのも和宮だとされています。

彼女が朝廷へ謝罪の使者を送っているのです。

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天璋院篤姫は、実家の薩摩藩から嫌がらせのようなことをされております。

とにかく幕府と戦争をしたい薩摩藩の西郷隆盛らが、江戸でテロ行為を強行していたのです。

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ついには、

「江戸の街に火をつけて回っている連中は、天璋院様が目当てらしいぜ」

「マァ御台所っていっても、薩摩の姫だもんな。そのくれぇやらかすかもしれんな……」

こんなことを江戸っ子から言われ、天璋院がどれほど心痛めたことでしょうか。

慶喜が上野・寛永寺で謹慎して以降、天璋院と和宮は、慶喜と顔を合わせることはありませんでした。

それでも天璋院は、徳川の誇りを賭けて戦う【奥羽越列藩同盟】に向けて、激励の書状を送っています。

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彼女は徳川に忠義を尽くして生き、大奥もそんな彼女を称えていました。だからこそ慶喜個人に対して良い感情を持てなかったのでしょう。

天璋院が養育した徳川家達は、こう評していたそうです。

「慶喜は徳川家を滅ぼした人。私(家達)は徳川家を再興させた人」

和宮は明治10年(1877年)、天璋院は明治16年(1883年)に世を去っています。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
小西四郎『徳川慶喜のすべて』(→amazon
菊地明・伊東成郎『徳川慶喜101の謎』(→amazon
徳川慶朝『徳川慶喜家へようこそ』(→amazon
家近良樹『その後の慶喜』(→amazon
家近良樹『徳川慶喜 (人物叢書)』(→amazon
高野澄『徳川慶喜』(→amazon

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