明治27年(1894年)7月9日は徳川慶喜の正妻・一条美賀子(美賀君)が亡くなった日です。
大河ドラマ『青天を衝け』では慶喜との夫婦仲がうまくいかず、嫉妬のあまりに短刀を持ち出し、刃傷騒動を巻き起こす――なかなかキャラの濃い方でしたが、実際そんな史実があったのか?
そもそも徳川慶喜は、正妻に対してあんなに冷淡だったのか?
数多の疑問が湧いてきたかもしれません。
実のところ、慶喜の周囲にいる女性には興味深いエピソードが多いものです。
そこで本稿では美賀君(一条美賀子)はじめ、以下の女性たちに注目し、
徳川慶喜とのエピソードに注目してみたいと思います。
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慶喜はイケメンだった?
徳川慶喜はイケメンであった――。
慶喜の女性関係を考察していく上で、ここはまず押さえておきたいところ。
大奥がざわつくこともあった。ゆえに13代将軍・徳川家定が慶喜に反感を抱いていた……そんなゴシップ情報もあるほどです。
女性たちだけではありません。
フランスから贈られた軍服も着こなす慶喜に対し、来日した外国人も感心。
輝く瞳、形のよい鼻、上品に微笑む口元、健康的な肌などは、貴族的でまさしく紳士である、と複数名が書き残しております。
外見だけではありません。
慶喜の気品を保ったのは、母親の存在も大きかったことでしょう。
吉子(演:原日出子さん)の出自は、慶喜に大きな影響を与えました。
誇り高き母・吉子
徳川斉昭の妻であり、慶喜の母である登美宮・吉子。
有栖川宮織仁親王の女王であった彼女は、当時ならば「薹(とう)が立った」と囁かれる27歳で嫁ぎました。
むろん恋愛結婚などではなく、徳川光圀以降、尊皇を掲げていた水戸藩ならではの人選です。
そんな彼女の血筋を尊んだのか。
暴れん坊として知られる斉昭は側室を置かず、夫婦仲は睦まじかったとされます。
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しかし彼女は、ただおしとやかな女性でもありません。
あるとき、乗馬の練習をする吉子に対して、斉昭はゲスい冗談を言いました。
「女が馬に乗るときは、鞍に棒を立てたら落ちないだろう」
すると彼女はこう返したのです。
「御前は前壺に穴を開けたらよろしおすなぁ」
夫の女癖の悪さを皮肉って嫌味で返したのです。咄嗟にこんな言葉が出てくるとは、頭の回転が良いだけでなく、夫の性癖を快くは思っていなかったのでしょう。
なんせ斉昭は「側室は置かないが、お手付きをしないとは言っていない」というような、とんでもない品行の持ち主でした。
斉昭が大奥で嫌われることとなった事件があります。
不犯の誓いを立てていた女中・唐橋に対して、強引に性的な関係を持ったのです。唐橋を悪女とする見方もありますが、大奥やその他女性の反応からしてそうではないでしょう。
例えば、斉昭が水戸の偕楽園で梅見をする際、女中たちは未婚の証である丸髷を結いました。
既婚のあかしである島田髷にしておくと、斉昭が手をつけてしまうと噂されていたのです。
吉子は賢夫人らしく嫉妬を隠していても、本音が漏れることもあったのでしょう。
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そんな母と慶喜が、母と子としての時間を過ごせたのは、明治維新以降のことでした。
幼少期から将軍の座を追われるまで、慶喜は長く母と離れて生きていたのです。
斉昭は、江戸での生活が悪影響を及ぼしかねないと考えており、我が子を水戸に送っておりました。慶喜も生後七ヶ月で江戸を離れています。
慶喜は父の厳しい教育方針で、さぞや生真面目に育った――と思われそうですが、実際そうでもありません。
戦ごっこ、火事ごっこが大好きで、勉強は嫌い。
奥女中たちは「七郎麿様は何をするにも強気で困った……」とぼやいていたとか。
猫を木に縛り付けて、手裏剣の的にしていたというのですから、相当な暴れん坊の側面もあったようです。
そんな慶喜は、11歳で江戸に向かいます。
将軍・徳川家慶にとって、慶喜は甥にあたります。
家慶正室の喬子女王(たかこじょおう)が、慶喜の母・吉子の姉にあたる人物でした。
あこがれの若き祖母・徳信院
江戸についた慶喜の面倒を見たのは、慶喜の養祖母となった徳信院でした。
彼女は伏見宮貞敬親王の王女であり、名は直子女王(つねこじょうおう)。
11歳のときに京都から一橋家へ嫁いで来ました。
一橋家7代目当主・徳川慶寿(よしひさ)の正室となったのです。
しかし、夫は25歳の若さで早逝してしまい、彼女は出家して「徳信院」となりました。
慶寿が末期養子とした昌丸も夭折したため、その後継者に取り立てられたのが徳川慶喜です。
つまり彼女は18歳にして祖母となり、11歳の孫(慶喜)を見る立場となったのです。
幼くして母と引き離された慶喜にとって、この徳信院こそ母に代わる存在。
大河ドラマ『青天を衝け』で美賀君が嫉妬に狂っても不思議ではない年齢だったんですね。
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