薩摩義士碑

薩摩義士碑/photo by Mikeneke wikipediaより引用

江戸時代

木曽三川で起きた悲劇【宝暦治水事件】薩摩義士と家老の平田靱負は腹を切る

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赤痢による犠牲者も出て、靱負もついに腹を切る

しかし、状況は一向に改善しません。

それどころか、せっかく作った堤防がたびたび壊されるという不審な事件が起こるほど。

犯人をとっ捕まえてみたところ、なんと「幕府の指示でやったから俺は悪くねえ!」(※イメージです)とのたまう始末です。

これでは薩摩藩士たちが「幕府は民を救うつもりなんてない。薩摩の金を絞れるだけ絞って、取り潰すつもりなんだ!!」と思うのも無理のない話です。

そこで、宝暦四年4月14日に幕府への抗議として、切腹する人が出てしまったのでした。

その後も切腹する者は後を絶たず、実にその数53人にも達し(うち薩摩藩士が51人)、靱負は三重の面で困り果てます。

工事はうまくいかないし、お金は出て行く一方。その上、当時は勝手な切腹は重罪とされていましたので、それを理由として薩摩藩が取り潰されるかもしれないからです。

そうこうしているうちに、今度は慣れない土地のためか、薩摩藩士の間で赤痢が流行り始めてしまいました。

157名が罹患し、33名が死亡。

おそらくは、地元の人々も同じ病で命を落としたことでしょう。

それでも薩摩隼人の意地か、靱負以下、生き残った藩士たちは工事を完了させました。幕府方の確認も済み、靱負は国許へ報告書を出します。

次の日、靱負は腹を切りました。

おそらく、ずっと「全て見届けるまでは死ねん」と思っていたのでしょう。

鹿児島市平之町の平田公園内にある平田靱負像/photo by Sakoppi wikipediaより引用

 

完全に解決されるのは明治時代に入ってから

工事に要した費用は、現在の貨幣価値で300億円以上と推定されています。

平成28年度の鹿児島県予算が一般+特別会計を合わせて1兆478億円ほどですので、約1/30ってところでしょうか(鹿児島県HP)。

この莫大な金額を都合するため、薩摩ではサトウキビを強引に収めさせ、堺などの商人に渡すことでやりくりしていました。

が、サトウキビ農家からすればただの強奪にしか見えません。

このため、薩摩藩は靱負という大切な家老と藩士の多くが犠牲になった上、領内からの恨みも買うという散々な結果になっています。

工事は一応成功の部類に入っているので、全く無駄だったわけではないのですが……あまりにも代償が大きすぎました。

しかも、工事地域ではなかった木曽三川の上流地域では、逆に洪水が増したといいます。

完全に解決されるのは、明治時代に入ってお雇い外国人のヨハニス・デ・レーケが指揮する工事が行われてからでした。

それでも、近年の伊勢湾台風などの大きな災害では被害が出ています。

乱暴に言えば、「得をしたつもりになったのは、薩摩の財布をやせ細らせていい気になっていた幕閣だけ」だったのです。

 

悲劇は、大正時代にようやく知られ……

この悲劇は、幕府との関係や幕末のドタバタに紛れ、少なくとも大正時代あたりまで、地元鹿児島では全く知られていませんでした。

1920年に鶴丸城の裏あたりへ「薩摩義士碑」として、この事件の犠牲者を弔う碑が建てられ、ようやく鹿児島でも知られるようになってきたとか。

薩摩義士碑

靱負の話が教科書に載っているらしいので、小さい頃に聞いた覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

また、現地である岐阜県のお寺でも、薩摩義士を葬ったところや、資料館を併設しているところがあるようです。

以下のホームページの方が、詳しく現地レポートを書かれているので、紹介させていただきます。

◆「薩摩義士(宝暦治水跡)」(→link

いずれかの地を訪れた際には、こういったところにも立ち寄って、悲嘆と無念のうちに亡くなった薩摩の人々に手を合わせてみてはいかがでしょうか。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『朝日 日本歴史人物事典』(→amazon
宝暦治水事件/wikipedia
薩摩義士/wikipedia

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