元禄の大火

江戸時代

三度の大火事が江戸を襲った元禄の大火~すべて綱吉時代に起きていた

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三つ目は元禄十六年(1704年)11月

【水戸様火事】という、これまた変わった名前がつきました。

小石川(現在の東京ドームあたり)にあった水戸藩の上屋敷から出火したため、こう呼ばれるようになったそうです。

よりにもよって「御三家の屋敷から火が出た」というのもヤバイですが、この6日前には元禄地震(推定マグニチュード7.9-8.5・関東大震災と同レベル)が発生しており、江戸のあちこちで火災が起きたばかり。

江戸時代にもあった関東大震災=元禄地震でどれだけの被害が?

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さらに、水戸様火事の際は、途中で南西風から北西風に変わったために、被害が大きくなったといわれています。

水戸様火事だけでも武家屋敷275軒、寺社75ヶ所、町屋2万軒の被害が出ており、面積にして東西12km・南北8kmの範囲が焼けたそうです。

単純計算48平方キロメートルもの土地が焼けたことになりますね。

イマイチ広さがわかりにくいですが、これは現在の江戸川区(約49平方キロメートル)とほぼ同等です。

仮に、現在の小石川後楽園が火元の中心だったとすると、

・東はJR両国駅と錦糸町駅の間

・西は西武新宿線の中井駅

・北は六義園

・南は東京メトロ永田町駅

くらいの範囲が焼けたことになります。とんでもないですね。

「江戸のど真ん中」で「現代における行政区分ひとつがまるごと焼け野原になったも同然」かつ「この直前にも震災が起きている」ことを考えれば、この世の終わりのような光景だったでしょう。

「天災は為政者の失策に対する天罰である」と考えるのが当たり前の時代に、こんな大火事が続いては、将軍である綱吉の評判が下がる一方になるのも無理のないこと。

それでも江戸の町は再建し続けたのですから、火事対応力が凄まじいですね。

 


オマケ:江戸の三大大火とは?

規模も被害も大きかったのが以下の3つになります。

◆明暦の大火(別名:振袖火事

明暦三年1月(1657年3月)

四代将軍・徳川家綱の時代→推定死者は3~10万人超

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◆明和の大火(別名:目黒行人坂大火)

明和九年2月(1772年4月)

十代将軍・徳川家治の時代→推定死者は約15,000人

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◆文化の大火(別名:丙寅の大火)

文化三年3月(1806年4月)

十一代・徳川家斉の時代→推定死者は約1,200人

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とりわけ群を抜いて被害が大きく、日本史上最大ともされているのが明暦の大火(振袖火事)ですね。

以下の記事でも触れましたが

・呪われたかのような振袖を供養しようと焼いたら

大火事に繋がった――というシャレにならない火災となっています。

明暦の大火(振袖火事)
明暦の大火(振袖火事)は日本史上最大 3~10万人が亡くなり城も焼失

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言わずもがな冬の火の元は危険です。

皆様、くれぐれも気をつけてお過ごしください。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典「元禄の大火」
元禄地震/wikipedia
江戸の火事/wikipedia
元禄の大火/wikipedia
勅額火事/wikipedia

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