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【鬼平犯科帳の長谷川宣以(平蔵)】
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再犯防止だけでなく、社会のためになる
そんなわけで、わかりやすくいえば、
【人足寄場=刑務所+ハローワーク+職業訓練所】
のようなイメージの施設です。
現代では無職の人が必ずしも犯罪者になるわけではありませんが、当時はほぼイコールだったため「食べていくための技術を与えてやることが、再犯防止だけでなく、社会のためになる」という考えだったようです。
また、行跡の良い者は「寄場差配人」として、身寄りが遠くにしかいない収容者の身元引受人になることもあったようです。
現代でいえば、模範囚が賃貸物件などの保証人になるようなものでしょうか。
当時、遠国から江戸に流れてきた人は、長屋の持ち主に身元引受人をやってもらうことが多かったので、その辺から着想したと思われます。
もちろん、人足寄場も完璧ではないので、全員が完全に更生したわけではありません。
期間中に近隣ともめたり、出所後にトラブルを起こす者もいたそうです。
まあ、現代でも刑務所に出たり入ったりを繰り返す不届き者がいるそうですから、人間はそうそう変わらないということですかね。
非協力的だった松平定信も辣腕は認めていた
こうして公儀と本人、そして江戸の町のためにできた人足寄場でしたが、人を更生させるには、ただ単に懲罰をするよりお金がかかります。
そのため長谷川宣以は予算増額を願い出たのですが、定信は許可しませんでした。
仕方なく、宣以はいろんな意味でギリギリの手段に出ます。
予算として幕府からもらったお金を、賭博で増やして使うことにしたのです。
現代だったら国内どころか、外国からも非難轟々でしょうね。
もちろん、当時でもNGなことでしたから、定信との関係が良くなることはありません。
ただし、定信の自伝からすると、宣以の辣腕ぶりは認めていたようです。
金を重んじる姿勢が田沼意次を思い出させるため、気にそぐわなかったようで。
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他の旗本たちも「もともと素行の悪いヤツに大事な仕事をさせるから、こんな恥ずかしいことまでするようになった。一体、上様やご老中は何をお考えなのだ」と言っていたそうです。
手段を選ばなさ過ぎると、成果を上げていても風当たりが強いものですよね。
アレコレ言われながらも、宣以は人足寄場の長官を8年間務めました。
創立から軌道に乗るまでの間、と見てもいいでしょう。
寛政七年(1795年)に自ら職を辞し、認められた三ヶ月後に亡くなっているため、ギリギリまで仕事をしていたと思われます。
仕事ぶりはきちんと上まで伝わっていたようで徳川家斉から労われ、高価な薬を与えられていました。
家斉は西の丸にいた頃、宣以に世話になったことがあったのかもしれませんね。
犯罪のない世の中を作るのはほぼ不可能ですが、ほんのちょっとしたことで、減らすことはできるのかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
加役方人足寄場/wikipedia
長谷川宣以/wikipedia
日本技能教育開発センター(→link)
TOP画像コミック版『鬼平犯科帳』(→amazon)