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【永代橋崩落事故】
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明治になって作り直すも関東大地震でまた落橋
さすがに1,400人もの被害者が出ては、幕府も放置するわけにはいきません。
早速、橋をかけ直しましたが、明治時代に入る頃にはかなり傷んでいたといいますから、その後の整備もマメに進めていたワケではなかったようですね。うーん、どうにもお役所仕事的な……。
維新後の明治政府は「どげんかせんといかん」と考えたようで、明治三十年(1897年)に日本初の鉄橋に架け替えます。
しかし、完全な鉄橋ではなく、一部に木材を使用していたため、またも悲劇が起きてしまいます。
関東大震災でものの見事に焼けてしまうことになり、このときも多くの死者が出てしまったのでした。
なぜ「いざというときには落橋するほどの民衆が押し寄せる」ことがわかっている橋を、万全の作りにしておかなかったのかとツッコミたいところですが……まぁ、天災は誰にも予測できませんからね。
大正十五年(1926年)、橋は再三にわたってかけ直され、現在の永代橋となりました。
「帝都の門」として威厳あるものにすべく、モデルにしたのはドイツのルーデンドルフ鉄道橋。
第一次世界大戦に備えて1916年にかけられた橋で、第二次世界大戦ではドイツとアメリカによって熾烈な争奪戦が繰り広げられています。
が、ついに崩れ落ちることはありませんでした。
ウィキペディア先生にそのときの写真がありますので、ピンと来ない方は見てみるといいかもしれませんね。
江戸時代や明治時代の人々を笑えない?
落橋事故というのは国内外を問わず他にも例があります。
しかし「人出が多すぎて」という原因で橋が落ちた例はそうそうありません。
※2001年「明石花火大会」の日に歩道橋で起きた事故も人が多すぎたのが原因ながら、将棋倒しになったもので落橋ではありません
ほとんどは施工時のミス、つまり欠陥工事によるものです。
これは21世紀の今日でもたびたび聞かれますね。その次に多いのは、災害によるものでしょうか。
とはいえ、2007年にアメリカのミネアポリス高速道路崩落事故が起きたとき、日本の橋も相当な数が未点検だったそうですから、あまり江戸時代や明治時代の人々を笑えないです。
「橋一つで1400人もの方が亡くなることがある」というのはいささか大袈裟かもしれませんが、何事も注意してし過ぎることはないかと。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
国土交通省(→link)
永代橋/wikipedia