知恵内子

知恵内子/国立国会図書館蔵

江戸時代 べらぼう

『べらぼう』水樹奈々演じる知恵内子(ちえのないし)って何者?女性狂歌師の存在価値に注目

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肝心の女房がいなけりゃ

知恵内子はしばしば「元木網の妻」という紹介だけで済まされることがあります。

はたしてそれが当時の実際の姿として正しかったのかどうか。

狂歌仲間であった平秩東作の狂歌にはこうあります。

肝心の知恵内子は お留守にて
亭主馬鹿になり給ふかな

やれやれ、肝心の女房がいなけりゃ、亭主は気の利いた歌もひねれねえよ。そう苦笑する狂歌仲間の姿が見えてくるようではありませんか。

当時をする人からすれば、元木網こそ知恵内子の夫としてやっていけてるとみなされてもおかしくはないのです。

こうした揃って狂歌を詠む夫婦は、当時の江戸にはみられました。

朱楽菅江と節松嫁嫁(ふしまつのかか)も有名です。

そして「蔦唐丸」として狂歌に参加する蔦屋重三郎の妻も、赤染衛門をもじって「垢染衛門」と名乗る狂歌師でした。

『やすらはで寝なましものを 小夜ふけて かたふく迄の月を見しかな』月岡芳年『月百姿』/wikipediaより引用

狂歌師たちは身分も性別も捨て去り、「痴者」として詠み合うことで理解し合います。

大名から町人、男も女も関係なくひたすら楽しむ――そんな時代を超越した空間が存在しました。

 


狂歌は学ぶ価値がないのか?

『光る君へ』では、平安中期の女性文人たちが描かれておりました。

宮中に生きる女性たちは、主役のまひろ(紫式部)をはじめ、さまざまな思いを書き記していたものです。

時代が下り、乱世が終わった江戸中期となりますと、女性たちも筆を手に取り、書き記す時代が到来します。

すると、こんな疑問が芽生えてきませんか?

『光る君へ』の女性文人たちは名を残し、教科書にも掲載されている。

一方で、江戸中期の女性文人はなぜそうなっていないのか。

狂歌という文芸の特質もあるのでしょう。

その本質は滑稽なパロディであり、『べらぼう』でも第14回で示されていました。

名物である吉原忘八たちの趣味会合です。

このとき「和歌の会」が開かれ、百人一首を元にしたパロディを使い、面白おかしく会話をこなしていたものです。

あのようなくだらない作品は果たして記録するに値するものなのか――。

現代で例えるならSNSでのハッシュタグ遊びのようなもので、いちいちログに残す必要性を当時の人々も感じませんでした。

しかし、それが徐々に記録されるようになり、現代人が読んでも苦笑してしまうようなものが残されているわけです。

ただし、当時の風習や世相を批判しているため、元ネタを知らなければ笑えない。結果、パッとわかるのが、下ネタやどうしようもないネタとなってしまう。

『べらぼう』の番宣動画で「屁! 屁!」としょうもないことを言いながら踊っているのは、いかにくだらないか示すという意味では効率的でした。

かといって、そんな下ネタを教科書には載せられないでしょう。

江戸中期の狂歌師は、かくして「学ぶ価値がない」と見なされるようになりました。

 


男女そろってインフルエンサーとなる近世都市・江戸

しかし、です。

アホな狂歌を詠んでいた彼ら彼女たちは、無駄なパリピだったのでしょうか。

いいえ、決してそうとは言い切れないでしょう。

彼女のような女性狂歌師は、当時の女性の日常を反映させた作品もあります。それが記録されているからこそ、当時の暮らしぶりもわかる。

そして今後の『べらぼう』の展開も大きく動くと予測できます。

蔦屋重三郎は江戸っ子の需要に聡い人物です。

蔦屋重三郎/wikipediaより引用

しょうもない狂歌はその場で詠んだきりで、振り返ることもないしょうもないものとされていましたが、そこに需要を見出し秀作を集め、狂歌師で細見を作り、売り出そうとするのです。

現状、ドラマの中で蔦重と【地本問屋】は手打ちができておりません。この状況をどうするのか。

狂歌の会において、蔦重の隣には「垢染衛門」として妻のていが座ることになりますが、ここが重要なポイントになってくるのでは?

地本問屋と手打ちができずに苦戦している蔦重。

そんな彼が書店の娘を妻とし、共に狂歌に参加するとなれば、事態が大きく動くことが予測されます。

ドラマ序盤のヒロイン瀬川だって、むろん蔦重には重要でした。二人は本で結びついておりました。

その後に登場する妻の“てい”も、共に文学と出版を通して結ばれてゆくのでしょう。

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