通俗道徳

憲法発布略図/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

お前が貧乏なのはお前の努力が足りんから 明治時代の通俗道徳が酷い

歴史ってロマン溢れますよね。

「創建当時の江戸城や大坂城を見てみたい!」

「龍馬と一緒の船で大海へ繰り出してみたい!」

そんな願望を抱くからこそ、漫画も映画もタイムスリップ作品が人気を博したりします。

しかし、です。

いざ興味を持って【リアル】を追っていくと、その思いは『あぁ、現代人に生まれてよかった……』と変わっていきます。

戦国時代なんて、死が日常のハードモード。

それは江戸期に入っても楽ではなく、武士は、何かあれば失職や切腹という事態が待ち受けておりました。

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では、明治時代はどうでしょう?

時代区分的には【近現代】ですから、仮にタイムスリップしたとしても結構ラク……ってワケにはいかないんですよ、これが。

そこは江戸時代までの倫理観と近代的な自己責任論が混成されたハイブリッドワールドです。

特に自己責任の考え方は【通俗道徳】とも呼ばれ、貧者はもはや人扱いされないほどでした。

2021年の大河ドラマ『青天を衝け』でも浮浪児やホームレスの集う【東京養育院】に触れられましたが、あれとてほんの一部に過ぎません。

明治時代――それはそれは厳しい社会の始まりだったのです。

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19世紀は世界史的に見ても残虐な時代

前提として振り返っておきたい点があります。

明治時代は、日本ばかりが悪かったわけではないということです。

西欧諸国による植民地支配。

アメリカの奴隷制。

このように世界規模で見ても、数多の悲劇が生み出されていました。

確かにフランス革命から、人権という概念が生まれたものの、あくまで限定的なものです。

少数民族、貧困層、女性……と、弱者の人権が実現するまでには、長い道のりがありました。

明治維新を成し遂げた日本は、西欧諸国を見習うべきだと考えます。

しかし、その西欧諸国が植民地支配を行い、貧困層を使い捨てにし、環境を破壊していたのですから実にマズイ。

日本にもそうした悪影響は及び、例えばアイヌ民族に対する差別は、明治以降悪化した部分もあるのです。

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本当に「四民平等」なのか?

明治時代は、それまであった身分制度が崩壊し、四民平等となった時代とされます。

これは、あくまで表面的な建前。

実際はウソだということは、少し歴史の流れを見ればわかることでしょう。

明治期に爵位を得たのは、勝ち組である薩長出身者が大半です。

藩閥政治は露骨なほどで、組閣においては本人の実力以上に、藩閥のバランス面ばかりが重視される傾向にありました。

戊辰戦争で負け組に回った佐幕藩、特に東北出身者は、政界に進出できずにあがくこととなります。

そんな彼らが(特に士族の場合)出世しようと思ったら、軍隊ぐらいしかない。

のちに柔道家となった西郷四郎は、こうした少年の典型例です。

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しかし、彼らは軍隊でも壁にぶつかることなります。

会津藩家老であり、大河『八重の桜』では玉山鉄二さんが熱演していた山川浩

彼は西南戦争でめざましい活躍を遂げ、少将に昇進を遂げます。

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これに待ったを掛けたのが、長州藩出身である山県有朋でした。

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こういった出身地をめぐる差別は、佐幕藩ならば避けようがないもの。

負け組が150年前の怨恨を蒸し返すなよ、と言われるところですが、150年前ではなくその後も差別は継続していたのです。

そうした歪みが端的にあらわれていた場所が、北海道です。

広大な大地を開拓するため、明治政府から送り込まれた人々は負け組佐幕藩出身者が大半でした。

さらに囚人も「死んでもともとだから」として北海道開拓で酷使されております。

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いったんマトメます。

明治時代とは?

「江戸時代と違って、生まれながらにして職業や身分が決まっていたわけではない、自己責任だ」

という理屈と、

「でも、お前は佐幕藩の負け組生まれだ。北海道開拓でもやっていろよな」

そんな差別が、同時に通る理不尽極まりない時代だったのです。

 

貧乏は自己責任「通俗道徳」恐ろしや

「お前が貧しいのは、努力が足りないからだ!」

そんな自己責任論があります。

それとセットで

「俺が成功したのは俺が頑張ったからだ!」

ということも語られるわけです。

しかし、人間とは努力だけで成立するものではないでしょう。

生まれながらにして病弱であるとか。

運悪く事故に遭うとか。

あらゆる不運はいつでも待っていて、ちょっとしたキッカケから転落する可能性は、誰にでもあります。

そこで行政が救済してくれればよいものを、明治時代は逆に痛烈な「通俗道徳」がまかり通っていた時代でもあります。

「通俗道徳」とは、

【努力をしてよいことをしていれば、報われる。報われないであがいている連中は努力が足りないからだ】

という考え方です。

これは明治期日本特有のものではなく、当時のイギリスでも似たような考え方がありました。

「救貧院」が、まさしくそうです。

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「貧乏人は自己責任。生きていけるだけありがたく思え」

ってなもので、貧者救済を目的とした「救貧院」では、最低最悪の労働が強制されておりました。

植民地では、さらにえげつない理屈が通ります。

「貧乏な植民地の連中を助けたら、子作りをしてますます増える。突き放せ。死んでもそれまでだ。働ける奴なら救ってやってもいい」

こんな理屈のもと、植民地の人々は救われることもなく、命を落としてゆきました。

「貧乏人を救ってどうするのか? あいつらをだらけさせるだけだろう」という考え方は、江戸時代より悪化した様相を呈しています。

江戸時代は、災難が起きるとシェルターが設置されました。

幕府や藩だけではなく、資産のある商人が設置することもあったのです。

『こんなありがたいことをしてくれるのは誰なのか?』と、庶民も知りたがり、当時の瓦版には「施し名前番付=ランキング」もあったほど。

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しかし明治以降は平等だという建前ができます。

さらにはお手本とした西欧諸国でもひどい有様でしたから、事態が悪化したとしてもおかしくはない。

明治時代を舞台にした『ゴールデンカムイ』では、孤児となった赤ん坊をアイヌのコタンに置いてゆく場面が出てきます。

和人であっても、アイヌならば捨て子を育ててくれるからと、捨ててゆくのです。実際にこうした事例はあったのです。

アイヌの人々は、明治の和人に蔓延していった「通俗道徳」とは違う、昔ながらの優しさで生きていたのでしょう。

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