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【真岡郵便電信局事件】
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ついにソ連軍が侵攻開始 防空壕で亡くなった人も…
そして20日早朝――ついにソ連軍が真岡への侵攻を始めました。
このとき郵便局へ向かう途中で射殺された職員や、防空壕に避難しているところへ手榴弾を投げ込まれて亡くなった人もいたといわれています。
局長は郵便局へ向かおうとして、射撃により負傷したため、白旗を揚げて降参しました。
その後、他の一般人と共に港の倉庫へ連行されています。
この局長の行動を責める向きもあるようですが、個人的には少し違うように思います。
もちろん局長も人間ですから、命が惜しかったというのはあるでしょう。
しかし、もし生き残れた人が他にもいたら、そうした人々をまとめるためにも、直接の上長、あるいは「町内の人にそれなりに顔が知られていて、ある程度の職責を持つ人」の存在はとても重要です。
彼の行動を卑怯者だと謗るのは非常に簡単ですが、もしかしたら背景にはそういう考えがあったのではないでしょうか。
一方、真岡郵便電信局ではいよいよ「そのとき」が近づいていました。
12人中9人が青酸カリなどの自決で亡くなられた
当時、真岡郵便電信局は本館と別館に分かれており、電話交換業務は別館で行われておりました。
市街戦の激化により、電話交換手たちは孤立化。
いよいよと覚悟を決めた交換手の班長が、北海道の郵便局に電話をかけ、最後の言葉を伝えた後、青酸カリやモルヒネによる自決が始まりました。
結果、12人中9人が死亡。
他3名は後からやってきた男性職員に救出され、郵便局本館でソ連軍に投降します。
本館でも当初交換手たちを含む女性職員は押入に隠れ、男性職員がソ連兵に対応して何とか命が助かったといわれています。
金品は奪われたそうですが。
交換手たちを救出した人とソ連兵に対応した人が同一人物であるかどうかは不明ですが、この男性職員についてももっと知られるべきという気がします。
全員を助けることはできなかったにしても、自分を含めてその時点で生きている人が全員助かっているのだから、有り体に言えば勲章ものの働きだと思うのです。なのに何故かほとんど記録がありません。
ちなみに、他の終戦前後の事件についても、女性の安否を確かめるために、危険な状況下で様子を見に行った男性たちの話はいくつかあります。
残念ながら、全ての結果が良かったわけではないのですが……。
終戦時の混乱、悲劇については、沖縄のことがよく知られているのに対し、真岡郵便電信局事件や引き揚げ船沈没などについてはあまり語られません。
見るに忍びない写真も数多く出てきますが、これからの平和を願う上でも真正面から向き合ってもよいのではないでしょうか。
私のように名も無き書き手としては大変おそれ多いことながら、そんな風に考えてしまうことがあります。
なお、書籍や映像作品としてはAmazonにDVD版『霧の火-樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女たち』(→amazon)あるいは関連書籍(→amazon)もいくつかございますので、より詳しい状況をお知りになりたい方はどうぞ。
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長月 七紀・記
【TOP画像】
九人の乙女の像/photo by 100yen wikipediaより引用
【参考】
川嶋康男『九人の乙女 一瞬の夏―「終戦悲話」樺太・真岡郵便局電話交換手の自決』(→amazon)
真岡郵便電信局事件/wikipedia