2022年3月、ロシア軍がウクライナ南東部の都市・マウリポリを封鎖したとき、バディム・ボイチェンコ市長はこう語りました。
これはまるで【レニングラード包囲戦】だ――。
多くの人々にとって悪夢となった、第二次世界大戦におけるレニングラード包囲戦。
その最中には、プーチン大統領の兄が亡くなり、母も間一髪のところを生き延びています。
今回の戦争でも、同包囲戦の生存者が反対の声をあげました。
◆反戦活動家のロシアの高齢女性、警察に連行される。レニングラード包囲戦の生存者として声を上げた(→link)
それだけロシアにとっては負の記憶となって残されているこの戦い。
1941年9月8日に始まり、当時、その様子を日記に綴り続けた少女がいました。
エレーナ・ムーヒナで、愛称はレーナ。
16才のレーナの日記は、生々しい記録に満ちています。
※レニングラードは現在、サンクトペテルブルクとなり、ピョートル1世によって造営されロシア帝国時代の首都で、美しさで知られています
嗚呼、美しきサンクトペテルブルク~世界最悪の戦場がロシアきっての観光都市に
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戦争が始まるまでは、他愛のない日記だった
1941年6月22日。
それまでクラスメートの男子と女子が言い争っただとか、そんなことが書かれていた少女レーナの日記が、この日を境に一変しました。
戦争が始まったのです。
「モロトフ同志の声明を全国民が聞いた」
この日から、レーナの関心事は戦争になりました。
ナチスドイツの侵攻を受けながら、イギリスやアメリカも協力するのだから気持ちを強く持たねばと、決意を新たにした彼女。
空襲、呼び出し、疎開、共同作業。
日常生活は戦争に塗りつぶされてゆきます。
そして8月には、ドイツ軍の侵攻によって生母が44才で死亡してしまいます。レーナの家庭環境は特殊で、実母ではなく伯母が母親代わりでした。
レーナはその訃報を、育ての母である伯母から聞かされます。
長く離れていた母が、状況もわからないまま惨い死を遂げたことを知り、レーナは願います。
「恋人が欲しい! 生き延びたら永遠に結ばれようねと誓い合う恋人が欲しい……」
愛しい人を失い、愛に飢えたレーナは、恋人を作ることで心の空白を埋めたいと願うのでした。
看護士として働く時も
「負傷兵の中には同い年の少年もいるだろうから、彼氏ができちゃうかも! それに私は働いて自立したい!」
と前向きな態度を見せます。
極限の状況でも青春のきらめきを求める健気な16才。
しかし、彼女の目にうつるレニングラードの街は次第に戦争の色を帯びたものに変わっていきます。
子供たちが砲弾の破片を集めて遊ぶ光景が当たり前のこととなり、ラジオから流れる曲は国歌の「インターナショナル」だけ。
いつでも避難できるよう、夜でも寝間着に着替えないまま床につく日々となりました。
このころ夜間の空襲や砲撃への備えは当たり前となっていたのです。
老人も、若者も、男も、女も、子供も、赤ん坊までも
秋になり、ついにナチスの包囲網が完成してしまいました。
これはつまり、極端に食料が減るということ。
かつては濃い紅茶と共にケーキやパンを口にしていたのに、日記からはそんな記述が減っていきます。
反比例するかのように、配給券なしでは食べられない食料がどんどん増えていきます。
とにかく食べるものがなくない。
食料品店は、からっぽの状態。
空襲と親しい人の死に悩まされたとき、レーナはこれ以上酷いことはないと思ったかも知れません。
しかし、本当の地獄はそれからでした。
空襲が止む代わりに、砲撃が始まったのです。
悪魔のような砲弾は、老人も、若者も、男も、女も、子供も、赤ん坊までも、区別せずに殺してしまいます。
難攻不落とされたレニングラード。
本当に、陥落しないとかあるのだろうか?
そんな不安と、この復讐を必ず遂げるという怒りの間で、レーナの心は揺れ続けます。
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