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【レーナの日記】
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食べたい物リストを作って自己嫌悪に陥る
冬を迎え、飢餓はいよいよ悪化。
酷寒のロシアの大地は、飢餓で弱った人々の命を容赦なく奪います。
そんな中、レーナは戦争が終わったら食べたい物リストを作りました。
大きな黒パン。
様々な具材をつめこんだピロシキ。
サワークリームをたっぷりとかけたペリメニ(ロシアの水餃子のような食べ物)。
チーズにマカロニ、ソーセージ。
ジャムをのせたクレープに、分厚いホットケーキ……こんなに食べたらとんでもないことになる! と空想にふける。
なんと切ないことでしょうか。
ろくに食べるものもないまま迎えたレーナ17才の誕生日。
彼女は日記を読み返し、食べ物のことしか考えていない自分の薄っぺらさに失望してしまいます。
飢餓感とは、思考力をも奪ってしまうものでした。

わずかな食糧を輸送する氷上列車/wikipediaより引用
1941年12月、真珠湾攻撃の報を聞き、新年らしい華やぎのないまま1942年を迎えたレーナ。
酷寒と飢餓の中、祖母アーカとママ(育ての母である伯母)が亡くなってしまいました。
それでもレーナは、1942年を生きてゆきます。
春の日射しに束の間の平穏を見いだし、僅かな食べ物の配給に喜びを見いだす日々。
その年の5月終わり、彼女の日記は途切れます。
あぁ、レーナの運命は…………
なんてことだ。あぁ、レーナの運命は…………と、皆が思うところ、しかし、彼女は生き延びました。
疎開して、無事戦後まで生き延びたのです!
よかった。
レーナはレニングラードで亡くなっていなかった。
本当によかった。
しかし、この苦しみの日々と故郷レニングラードを去ったことは、彼女の人生に暗い影を落とし続けます。
なにせ、日記すら残せなかった声なき犠牲者たちは100万人とも。
1942年の時点で、レーナはいつになったらこの苦しみが終わるのか、と嘆き、それから1944年1月まで実に900日間もの地獄が続きました。
人々は亡くなった人の肉を食べるにまで飢えていたのです。
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秀吉と官兵衛の「鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し」がエグい 人は飢えると◯肉も喰う
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レニングラード包囲戦はじめ、第二次世界大戦中のソビエト連邦の犠牲は、甚大であるにも関わらず西側諸国で重視されてきませんでした。
大戦が終わると、ソ連は東側の超大国として、邪悪な国であるとみなされたからです。
冷戦の中で、ソ連の犠牲と英雄的な戦いは、忘却の彼方に追いやられました。
犠牲者約2千万人という膨大なものであるにも関わらず……。
そんな悲惨な戦いの実相を知るためにも、本書は貴重な役割を果たします。
それだけではなく、凄惨な戦時下においても、未来の彼氏ができないかと胸をときめかせ、春の日射しに喜ぶ少女の感性も本書のみどころです。
レニングラードの片隅で、懸命に日常を生きようとしたレーナの生き方。
時代も国も超え、私たちに戦争の悲惨さを伝えるのです。
なお、名前が似ている【スターリングラード包囲戦】は、また別の戦いとなります。
こちらも同様に凄惨な戦闘となり、以下のような記録が残されています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考】
エレーナ・ムーヒナ/佐々木寛/吉原深和子『レーナの日記』(→amazon)