飛鳥・奈良・平安時代

令外官を知れば日本史全体が見えてくる! 関白・中納言・検非違使等々の役職

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歴史で一番イヤなものといえば「暗記」。
ぶっちゃけ私も得意ではありません。

しかし、知的好奇心が勝てば自然にアタマに入ってくるわけで、「面白い!」と思えるポイントを探すのがコツです。

今回は平安時代の中でも無味乾燥に感じがちな「令外官(りょうげのかん)」について、後世の話題を交えつつご紹介していきたいと思います。

実は先日までに「位階」と「官職」の話をマトメておりまして。
そちらとの関連性も非常に高いので、あわせてご覧いただければ幸いです。

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大宝律令の「令」にない役職 だから「令外官」

令外官の「令」とは「律令」であり、法律のことです。

より細かくいうと、「律」が刑法、「令」が行政法など刑法以外の法律を指し、日本では大宝律令が圧倒的に有名ですね。
もともとは唐で生まれたもので、日本以外にも朝鮮半島やベトナムなどで似たような法体系が使われていました。

令外官とは、この大宝律令になかった役職のことです。
701年の飛鳥時代に制定された大宝律令ですが、その後、日本が発展するにつれて新しい役職が必要となり、そのつど追加されていったのでした。

だからこそ令外官は、後世でも馴染み深い官名がちょいちょい出てきます。

勉強とか関係なく、歴史コンテンツをより一層深く楽しめますので、今回を機にご確認されておくと良いかなぁと。

では、令外官の代表格を並べてみましょう。

 

中納言

おそらくや令外官で一番有名な役職かと思われます。
左大臣・右大臣・内大臣に次ぐ大納言。その補佐として設けられました。

定員が多いため、この官位をもらった人がとても多いのが最大の特徴でしょう。「権(ごん)」(定員オーバーだけど家格や身分的にその官位がふさわしい場合つく呼称)を含めれば更に増えます。現在の部長「代理」に近く、神社だと宮司の息子さんが「権宮司」を名乗っているケースがよくありますね。)

例えば、百人一首の歌人名として出てくるだけでも

・中納言家持(大伴家持
・中納言行平 (在原行平)
・中納言兼輔 (藤原兼輔・堤中納言とも)
・権中納言敦忠 (藤原敦忠)
・中納言朝忠 (藤原朝忠)
・権中納言定頼 (藤原定頼)
・権中納言匡房 (大江匡房)
・権中納言定家(藤原定家)

実に百人一首だけで8人もいます。

江戸時代の大名にも、代々中納言に任じられた家がありました。
有名なのは徳川将軍家や御三家などでしょうか。

「黄門様」で有名な水戸家のイメージも強いような気がしますが、これは水戸家の当主が順調に官位を進んでいった場合、最高位が権中納言だったからです。そういう「出世の頭打ち」にあたる官位のことを「極官」とも呼びます。

「黄門」は、中納言の中国風の呼び名(唐名)です。
なんで元々中国の律令にはなかった役職に唐名があるのかというと、参考にした唐には「黄門侍郎」という皇帝の秘書室長のような役職があり、日本では中納言にあたると考えられたことから来ています。……割と無理やりというかなんというか。
また、江戸時代の初期は極官の例外もたびたびみられます。

例えば、伊達政宗でお馴染みの仙台藩伊達家は、従四位上・陸奥守・左近衛中将が極官です。
が、初代藩主・政宗が権中納言になったことがあるため「仙台中納言」と呼ばれることがあります。

同様に、上杉謙信の上杉家でも従四位下・弾正大弼・左近衛権少将・侍従が極官です。
こちらも初代藩主・上杉景勝が権中納言になったため「会津中納言」と書かれることもあります。

当時の表現をできるだけ反映させている歴史小説などでは、たまにこういった呼称も見かけますので、覚えておくと面白みが増すでしょう。
ドラマなどでは混乱を防ぐために名前で呼びあうことも多いですが、当時は官職名などで呼ぶほうが礼儀に適ったこととされていました。

 

参議

これも割とよく聞く官名でしょうか。
朝廷の会議に「参」加し、「議」論に参加する役職のことです。現代でいえば国会議員の与党の派閥の代表が近いかもしれません。
「参議」という言葉自体が「政治に関わる議事に参加すること」を意味するので、そのまんまな役職とも言えるでしょう。

現代の内閣(総理大臣以下大臣たち)にあたるのは、太政大臣(内大臣)・左大臣・右大臣・大納言・中納言でしたが、藤原家にほぼ占められて、ほかの有力氏族たちの不満が高まったことから、参議が誕生しました。

太政官会議(公卿会議)に出席して意見は言えますが、勅(天皇の命令)を出させることなど重要な施策の決定権はありませんでした。
会議のアドバイザーみたいな感じです。

百人一首には3人出てきます。

・参議篁(小野篁
・参議等(源等)
・参議雅経 (飛鳥井雅経)

明治時代にも同じ名前の役職がありますが、そちらはいわゆる「薩長土肥」の功労者が任じられ、むしろ右大臣などはお飾りで、参議が事実上の国政を決める実権のある重職となりました。
長州の前原一誠が短期間だけやっていたり、大隈重信が参議になるかならないかでもめたきっかけの役職です。
その辺で聞き覚えのある人も多いかもしれませんね。

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関白

藤原道長の日記「御堂“関白”記」や、豊臣秀吉が就いたことで有名な役職ですね。
道長は実際には関白の座に就いていませんが。

その辺から「政治を牛耳っている人」のようなイメージがあるかもしれませんが、本来は「成人した天皇の補佐を務める」のが仕事です。
政治における天皇の女房役という感じでしょうか。

道長から秀吉までの間に当たる時代も、道長の子孫である五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)が務めておりましたが、そもそも政治の実権が武家に委ねられていたため、大きな働きはしていません。
ぶっちゃけた話、なんで秀吉が関白になりたがったのかよくわからんくらい、戦国時代には有名無実化していた役職です。

源氏の血を引いていないと征夷大将軍になれないので、無理やり近衛家の養子に入って関白に就き、関白を征夷大将軍より格上の武家による世襲職にしたかった」なんて説もありますが、どうだったんでしょうね。

むしろ、信長・秀吉が京都を復興して急に豊かになった五摂家が家のなかで「関白」でもめて社会問題になりそうだったので、秀吉が「めんどくさいな。じゃあ、オレが関白なるわ」くらいの感じだったようにもみえます。

実際になってみると、この肩書が「使える」と気づいたくらいのものかもしれません。

しかし、五摂家にとっては数百年間独占していた役職なので、秀吉にゴリ押されたときはかなりの屈辱に感じたようです。

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検非違使(けびいし)

日本史受験ではお馴染みの言葉ですね。
最近ではゲームにも登場していて、より一層身近な存在になっているかもしれません。

文字を分解してみますと、「非違」を「検(あらた)める」使いの者。
訳すと「法律に背くこと(=犯罪)を詳しく調べる仕事」であり、要は警察官のような仕事です。
主に活動範囲は京都の市中でした。

桓武天皇の治世で軍事力を排除する政策をすすめた結果、警察力が低下(=治安が悪化)したため設置されたものです。
犯罪に手を染めるような者を取り押さえるには武力が必要となるため、時代が進むにつれて「武士の登竜門」とみなされるようになっていきました。例えば……。
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