延喜・天暦の治

醍醐天皇(左)と村上天皇(右)/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

延喜・天暦の治がわかる人物エピソード宇多 醍醐 朱雀 村上 冷泉天皇

「794ウグイス平安京」は超わかりやすい!

「810年薬子の変」もなんだかザワザワして興味を惹かれる。されど……。

平安時代も時が進み、9~10世紀になってくると、なんだか印象が薄くなってくる場面が出てきませんか。

たとえば【延喜・天暦の治】とか。

言葉の意味としては、

醍醐天皇(延喜)と、村上天皇(天暦)の時代は、良い政治が行われていたよ! あの頃が理想だったよ!」

というもので、醍醐天皇が寛平9年(897年)7月3日に践祚してから、その治世が始まりました。

同時代は、ぶっちゃけ「重大事件が起きていない」ゆえに「印象が薄い」となりかねません。

そこで本稿では、あまり注目されない醍醐天皇・村上天皇の人物エピソードに注目しつつ、【延喜・天暦の治】を見ていきたいと思います。

やっぱり人そのものを見た方が、歴史ってオモシロイんですよね。

 


宇多天皇から冷泉天皇への流れ

延喜・天暦の治の主人公は、言わずもがな醍醐天皇と村上天皇の2名です。

しかし、それだけでは全体像を把握しづらいので、第59代宇多天皇から第63代冷泉天皇までを表にしてみました。

まずはザックリと確認してみましょう。

天皇在位期間
第59代宇多天皇(祖父)887-897年
第60代醍醐天皇(父)897-930年(延喜)
第61代朱雀天皇(子)930-946年
第62代村上天皇(子)946-967年(天暦)
第63代冷泉天皇(村上天皇の子)967-969年
醍醐天皇と村上天皇の治世を延喜・天暦の治という

延喜年間が33年で、天暦年間が21年。たしかに両名の治世は他に比べて長いですね。

(カッコ)の中に

(祖父)

(父)

(子)

と示しておきましたように、親子関係は割とスッキリしていると思います。

 


実は美化されるほどの仁政ではない

そもそも、なぜ「○○の治」と言われるのか?

「◯◯の治」とは、中国で「理想的な政治が行われていた」とされる時代の呼び方になります。

例としては唐の太宗(唐の二代皇帝・実質的な唐の創始者)の治世を「貞観の治」と呼んだりしますね。

何かと中国をお手本にしてきた日本では、醍醐天皇と村上天皇の時代がそれにあたるとして、延喜の治・天暦の治という単語ができました。

少し詳しく説明しますと「(主に藤原氏の)摂政や関白ではなく、天皇の親政で理想的な政治が行われ、文化も発達したよ」というものです。

なんせ、それまでの朝廷は

と、藤原氏を中心としたドタバタが継続的に起きていて、何かとモメていた時代です。

延喜・天暦の治も、美化されるほどの仁政ではないのでは?

という一面もありまして……。

ではなぜ、このように理想として持ち上げられるようになったのか。実は、この後の時代の影響によります。

11世紀前半になると、藤原北家による摂関政治が常態化し、「帝が親政をしていたあの時代に戻れないものか」と考える人が多くなりました。

また、摂関政治の時代ですと、いくら学問を身に着けても出世できるとは限らない――そんな切ない時代にもなっており、要は藤原氏以外の貴族が不満を感じていたのです。

源氏物語でも、光源氏の息子・夕霧が「僕は学問なんてしなくてもやっていけるのに」みたいなことをこぼすシーンがありますが、そういう価値観だったんですね。

血筋や家格でほぼ全てが決まるようになっていて、エライ人が豊かな知識を持っているとは限らない。政争に必要な計算能力の高い人は多かったでしょうけれど、これじゃあヤル気も出ません。

こうした不遇の時代に比べて、醍醐天皇(延喜)や村上天皇(天暦)の治世は比較的学者が優遇されました。

それを後世の者たちが羨ましく思った結果、理想の治とされたんですな。

 


延喜・天暦の治とは藤原氏から言い始めた?

しかしその一方で、醍醐天皇・村上天皇の時代は、皇室と藤原摂関家の関係が確立した時期でもあります。

前述の通り、

・810年薬子の変
・842年承和の変
・866年応天門の変

こうした権力闘争を経て藤原北家のチカラがいよいよ固まったワケです。

ゆえに「延喜・天暦の治とは、藤原氏から言い始めた」とする説すらあります。

違う立場の人がそれぞれ「良い時代だった」と言うのなら、それはそれで正しいのかもしれませんが。

いずれにせよ藤原氏への不満からそういう時代を懐かしんだ――というのが根底にありますので、後の鎌倉時代以降は、醍醐天皇・村上天皇の時代を持ち上げる人はそう多くありません。

なんせ武家政権に移行してますからね。妬もうにも、すでに別の勢力である武士に色々と取って代わられているワケです。

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