生涯を保証されているような身分の人でも、いわゆる青天の霹靂で失脚・没落することは珍しくなく、それは日本で最も尊い家柄であっても同じことでした。
本日はそんな事件で歴史に大きなインパクトを残した、とある天皇に注目。
寛弘5年(1008年)2月8日は、花山天皇(かざん)が亡くなられた日です。
ご本人の知名度はさほどではありませんが、間接的にこの時代の重要人物に影響を与えた天皇といえます。
一体何があったのでしょうか。
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生後間もなく皇太子 16歳で即位した花山天皇
花山天皇が生まれたとき、叔父の円融天皇にはまだ皇子がいませんでした。
そのため、花山天皇は生まれた翌年皇太子になっています。
乳母は、将来清少納言の夫となる橘則光の母・右近尼。
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後述する事件といい、何かと次の天皇(一条天皇)の中宮・定子と繋がりがあったようです。縁は異なもの……というやつですね。
そして16歳で即位すると、わずか三年後でいきなり出家してしまいました。
当時の寿命がいかに短いとはいえ、この若さで世を儚むのには相応の理由があるはずですよね。
本人は明言していなかったらしく、いくつかの説があります。
一つは「寵愛していた女御が身籠っている間に亡くなってしまったから」というもの。むべなるかな、という話ですよね。
もう一つは穏やかならぬ話で「藤原兼家が自分の孫である一条天皇を即位させるためにやった」というものです。
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後々の流れからしても、こちらの説のほうが信憑性はありますね。
藤原兼家の三男・藤原道兼がそそのかしたともいわれています。
「月が明るいから恥ずかしいな」と呟いたら
花山天皇は道兼と共にこっそり御所を出て、元慶寺というお寺に向かいました。
このとき、藤原家に仕えていた清和源氏の源満仲らが警護したといいます。むしろ、花山天皇の逃亡阻止だったかも……というのは考えすぎですかね。
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その日は月が明るい夜だったそうです。
花山天皇が思わず「月が明るいから恥ずかしいな」とつぶやくと、雲が月を隠し「やはり今日か」と覚悟を決めたのだとか。
神様も自分たちの子孫に対して意地悪なものです。皇室の先祖は天照大神の系統とされていますし、月=月読尊だから関係ない?
天皇が御幸以外で御所を出るなど、本来ならそれだけで大騒ぎになるはずのことです。
ゆえに事は慎重に進められましたが、安倍晴明にはバレていたとか。
晴明の屋敷の前を通ったとき、目に見えないもの(式神?)が花山天皇一行の前にやってきて、晴明に「たった今そこを通っていきました」と報告したそうです。
よくある“晴明スゲー伝説”の一つでしょうけど……晴明は何をしたかったんですかね。
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式神の報告によっては、すぐ参内して花山天皇を止めようとしたのでしょうか。
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