死んでしまった藤原忯子に近づけないとか。
大河ドラマ『光る君へ』では、現代では受け入れられない迷信めいた話がよく出てきますが、実際、当時の貴族たちはいくつかの習慣を重く受け止めながら暮らしていました。
その中でも最たる例が「方違え(かたたがえ)」と「ケガレ」でしょう。
いずれも「その禁を破ると不幸が降りかかる」という類のもので、だからこそ貴族たちはそうならないよう、日頃からの行動に気をつけていたのです。
いったい「方違え」と「ケガレ」とはどんなものだったのか?
ドラマに登場する藤原行成や藤原斉信などの具体例も交えて、振り返ってみましょう。
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方違え
大河ドラマ『光る君へ』に限らず、貴族社会を描いた作品に、ほぼ必ず出てくる習慣が「方違え」です。
当時は、方角ごとに神様がいて、その中でも特定の神様のいる方向は避けなければならない、という考えがありました。
特に「天一神(てんいちじん・てんいつじん・なかがみ)」という神様が重視されていて、もしも、この神様がいる方向に行ってしまうと祟られるとされたのです。
人間を祟るヤツのどこが神様なんだよ!
と思われるかもしれませんが、災害や事故、疫病などへの対処法が極めて脆弱な時代ですから、最終的に“天の怒り”としないと精神的に耐えられなかったのでしょう。
この手の話では菅原道真関連の伝説がわかりやすいですね。
左遷先の太宰府で道真が亡くなると、京都の内裏に雷が落ちて火事になったり、落雷の直撃を受けた貴族が亡くなったりするだけでなく、天皇までもが死穢(しえ・詳細は後述)に触れてしまうという大事件が起きました。
これら全てのアクシデントが「道真の祟り」と考えられ、道真を神として祀ることで鎮めたというものです。
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方違えの場合は、あらかじめ対処法があります。
「この神様がいるのはこの方角」という基準が予めわかっていますので、「神様を怒らせないため、そっちには行かないようにしよう」と決めておくのです。
では何を根拠に方角を決めるのか?
天一神では、暦の「六十干支(ろくじっかんし)」を基準にしています。
六十干支とは、十二支と十干(じっかん)を組み合わせたもの。
十二支(じゅうにし:ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)
十干(じっかん:こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)
十二支は12、十干は10となりますので、それだと120通りでは?と思われるところですが、実際は組み合わせが決まっていて60通りとなるのです。
丙午(ひのえうま)もその一つ
六十干支で一番有名なのは「丙午(ひのえうま)」でしょう。
「丙午の年は火事が多い」とか「丙午生まれの女性は夫を不幸にする」といった、とんでもなくネガティブな迷信がありました。
どちらも江戸時代の”八百屋お七”を元ネタとして生まれた説らしいですが、近代1966年生まれの丙午にまで影響を及ぼしているのでシャレになりませんね。
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良い方向の迷信でいうと、甲子園球場の「甲子(きのえね)」も六十干支から来ています。
甲は十干の最初、子は十二支の最初を表し、「甲子の年・月・日に物事を始めると、長く続く」とされています。
実際に甲子園球場は、戦後のアメリカ軍接収や阪神・淡路大震災における一部被害などを除けば、これまで大きな事故もなく存続しています。
どうせなら、こういったポジティブな迷信を信じたいですよね。
天一神の場合、六十干支を基準として天上と下界を行き来しているとされています。
六十干支の46番目の己酉(つちのととり)の日に天から下り、東北→東→東南……と隣接する方位を回って、北から天に帰るというコースです。
東北や東南などは6日間、真東や真南には5日間滞在し、合計44日間で一周するのだとか。
癸巳(みずのとみ)の日に帰ることになります。
そして16日間天に滞在し、また己酉の日に下界で旅をスタートするそうです。
2ヶ月サイクルでこんな長旅をしなければならないなんて、神様も大変ですね。
そして天一神がこの旅をしている途中で、バッティングしてしまった場合に怒られるどころかバチを当てられてしまうわけです。
まあ、天一神から見れば
「数日ごとに移動しなきゃいけない超忙しい仕事中なのに邪魔をされた」
ようなものなので、不愉快になるのも当然といえなくもありません。神様のルートに予定変更や振替輸送はないでしょうしね。
そう考えると、何があろうとも同じルートで巡回しないといけない神様のほうが大変ですな。
他にも太白神・大将軍など、さまざまな神様が各方角を巡っており、それらも加味して忌むべき方角が決められました。
日ごとに違う方角へ行く神様もいれば、三年間同じ方角に留まる神様もいますので、全て把握するのは骨が折れそうです。
なお、方違えをする場合は、以下のような流れになります。
◆方違えの手順
A地点に行きたいが、その方角が天一神のいる方角
↓
天一神も他の神々もいない方角にあるB地点へ一旦行く
↓
A地点から天一神が移動した後に行く
「急ぎの用事だったらどうするの?」とツッコミたくなってしまいますが、社会全体がこれを前提としていますので、方違えが原因でトラブルになるのはあまりなかったようです。
ケガレ
「方違え」と同様に重要視されていたのが「ケガレ」です。
漢字では「汚れ」や「穢れ」と書かれ、以下のようなものに触れる・近づいてしまうと「自分もケガレる」と考えられ、忌避されました。
・物理的、衛生的に汚いもの
・殺傷、怪我、月経、出産などの血が流れる事態
・人や動物の死(死体)
故意に触れたか、不可抗力だったのか――その辺の事情は斟酌されません。
もしも近くに接してしまった場合は「触穢 (しょくえ)」=「ケガレた」とされ、宮中への出仕を取りやめたり、祓(はらえ)や禊(みそぎ)をして清めなければなりませんでした。
祓は「払え」であり、ケガレてしまった物や人を払うようにして清めます。
現代でも神社でのお祓いでは、神職の方が大幣(おおぬさ)などの道具を使って払う動作をしますので、なんとなくイメージがわくのではないでしょうか。
禊は水で清めることです。
これまた現代の神社でも、手水舎(てみずしゃ)で柄杓に取った水を使い、両手と口を清めますね。あれも禊の一種です。
ちなみに柄杓は、直接、口をつけてはいけません。
新型コロナウイルスが流行して以降は、柄杓を止めて、直接、水をすくうスタイルの神社も増えましたね。
ではケガレの具体例を『光る君へ』登場人物から振り返ってみましょう。
藤原行成と藤原斉信です。
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