刀伊の入寇

馬に乗る女真族を描いた一枚/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

『光る君へ』の時代に起きた異国の襲撃「刀伊の入寇」で見える貴族政治の限界

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刀伊の入寇
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そのとき朝廷は……祈った

4月7日の事件一報から、10日ほども経過すると、京都の都にも事件の概要が届けられました。

そしてそれを受け取っても全く意味がないほど、朝廷側の軍事知識はあまりに疎かで、危機意識に欠けていました。

何かあれば神頼み。ともかく神と仏に祈るしかありません。

戦術的に全く頼りにならず、実際問題、京都に一報が届く頃には、すでに主な戦闘は終結していました。

王朝貴族の弱さは誇張されがちという指摘もありますが、こうした状況からすると全くの無根拠ではないでしょう。

逆に、神仏への祈りや祟り、呪詛などが、どれだけ重視されていたか?ということは浮かんできます。

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いずれにせよ現地で敵襲を追い返すことに成功した藤原隆家は、深追いを禁じています。

敵軍を殲滅したとか、総大将を討ち取ったとか、わかりやすい戦績が必要なわけではなく、敵を意気沮喪させ、日本の海岸から追い払えばよいのです。

もしも深追いして、高麗や宋にまで攻撃が及ぶようなことがあったら、余計な危険を生じさせるかもしれない。つまり、隆家の判断は的確だったと言えるでしょう。

後世からすれば曖昧な決着に思えるかもしれませんが、当時の認識としては十分な勝利でした。

 


この危機から何を学んだのか?

刀伊の入寇は、決して派手な事件ではありません。

しかし、歴史的意義は深いと言えるかもしれない。

期せずして攻められたことにより、朝廷の認識の甘さや曖昧さを際立たせたのです。

以下に問題点をまとめておきましょう。

・信賞必罰は厳正だったか?

軍隊の規律を保つうえで信賞必罰は重要です。

しかし朝廷では恩賞を与えるかどうか、ぐずぐずとしてなかなか決まりません。

・曖昧な国際認識

朝廷は当初、高麗の攻撃ではないか?と誤認していました。

後に女真族が主体であると判明しますが、判断力の遅さは国家として危機レベルと言えるかもしれない。

・勝因の分析が無茶苦茶だ

事件は、藤原実資の日記『小右記』や平安末期の物語『大鏡』にも記されています。

この『大鏡』による勝因分析が非常に雑です。

武備は疎かだったのに、藤原隆家が高貴な家の出で「大和心」があったため勝利できたとあります。

いくら藤原氏を賛美する『大鏡』とはいえ、どうしようもなく幼稚な話。精神的勝利を強調してどうしようというのか。

・武士の過小評価

隆家の精神性や血筋に勝因を求める貴族たち。

彼らの思考では、異国の襲撃を追い払った“武士の強さ”を適正に評価することはできなかったでしょう。

結果、後に慈円が嘆くことになる「武者の世」を到来させてしまったのかもしれません。

武家政権である鎌倉幕府を誕生させてしまった。

当時の平安貴族は、漢籍を読みこなしていた者がいたにもかかわらず、兵法書の類はそうでもなかったようです。

源義経には「鬼一法眼伝説」があります。

天狗の化身から神秘の兵法書『六韜三略』を授与されたというのですが、実際のところ中身は漢籍の類であり、何か特別なパワーが宿っているわけでもありません。

要するに当時の日本では、中国古代からある兵法をマスターするだけで連戦連勝できるほど、軍事への認識が曖昧だったとも言える。

そんな王朝に軍事的な引き締めを望めるわけもありません。

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もうひとつ、中国古典からの知識で注目したいものがあります。

白居易『長恨歌』です。

清少納言紫式部もそれぞれの著作で引いている名作ですが、彼女らの興味関心は、楊貴妃の美貌や悲恋に留まります。

当時の貴族は、この詩の背景にある【安史の乱】の危険性をどこまで認識できたか。

あの反乱は、地方に勢力をもつ軍事勢力がクーデターを起こしたという構造がありました。

日本も決して無関係とは言えないのです。

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たしかに【刀伊の入寇】が起きた時代、武士は朝廷に従う存在でした。

藤原道長が頂点を極めた摂関政治のあと、天皇が上皇として権力を握る院政が拡大すると、今度は天皇と上皇の争いに武士が引き込まれます。

そしてそれが決定的な誤りでした。

平家を台頭させるだけにとどまらず、その後、源頼朝率いる坂東武者たちに鎌倉幕府を作らせてしまったのです。

しかも、その幕府を成敗するため後鳥羽院が兵を挙げるも、あっさり京都に攻め込まれ、王朝貴族の世は終わりを告げる(【承久の乱】)。

それから時は流れ、江戸幕府が滅びる前夜、有能な幕臣である小栗忠順はこう述懐しました。

「どうにかなろう」という言葉が幕府を滅ぼした。

事の本質を直視せず、先送りにする体質は、江戸幕府のみならず近現代にまで通ずる、歴史的な悪癖なのかもしれません。

【刀伊の入寇】にせよ他の国内外問題にせよ、他人事ではなく真摯に向き合っていれば、歴史は大きく変わっていたはずです。

日本史のイヤ~な宿命をありありと認識させる【刀伊の入寇】という事件。

名門貴公子が戦って勝利したと片付けるだけでなく、教訓として読み解きたい出来事でした。


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文:小檜山青
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【参考文献】
関幸彦『刀伊の入寇-平安時代、最大の対外危機』(→amazon
森公章『東アジアの動乱と倭国』(→amazon
片倉穣『日本人のアジア観』(→amazon

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