平安京の民がゴミのようだ

死体が朽ちていく様を描いた九相図/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安京の民がゴミのようだ「地震 雷 火事 疫病」に平安貴族たちも為す術なし

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とにかくすぐ死ぬ平安京の人々

前述の通り『光る君へ』では藤原実資が赤痢に苦しむシーンがありました。

そしてそれを見た藤原宣孝は「半分死んでいる」と判断しましたが、実資は当時の貴族でも屈指の健康マニアであり、寿命は驚異的な享年90。

一方、宣孝は、結婚して一女を授かった紫式部を残し、疫病であっさりと亡くなっている。

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いったい平安京では、どんな疫病(伝染病)が流行したのか?

というと、天然痘や麻疹、赤痢、インフルエンザ……など、現代でも恐ろしい病が猛威をふるい、防疫の術を知らない当時では幾度も発生して、街は壊滅状態に陥ってしまいます。

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さらに、上流貴族は、生活習慣病に罹りやすい食生活を送っていました。

野生動物や原始人は、栄養バランスが偏るということはないとされています。

本能的に、体に必須となる栄養素やタンパク質が含まれた食物を摂取するためです。

しかし人類は、文化、宗教、消費を促す慣習や広告の影響により、この本能を見失ってしまうことがあります。

スナック菓子やインスタント食品を食べ続け、太ってしまう現代人がその典型例でしょう。

平安貴族は、慣習を重視しました。

仏教信仰の影響で益獣を食べなくなり、一方で縁起をかつぐため邪気を祓うものを食べ続ける。結果、栄養バランスが崩れ、ストレスで早死にする貴族も多い。

しかも、特に女性は運動量が極端に少ない。運動しなければストレスがたまり、思考が不健康になっていきます。

当時の平安貴族は、わざわざ健康を捨てるような生活を送っていました。

上流貴族だからこそ口にできる米を大量に食べる。度数が低くて甘い酒をシロップのように飲み干す。

こんな暮らしを続けて、生活習慣病にならないわけがありません。

藤原道長の死因が飲水病、すなわち糖尿病になることは当然の帰結。

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長寿を保った清原元輔や藤原実資は一体どういうことなのか?

と思えてくるほど、生きるだけで大変な平安時代です。

記録に残る貴族ですらこうも過酷なのですから、庶民たちは簡単に命を落としたことでしょう。

 


火災と地震に為す術なし

日本は木造建築で、伝統的に火災に弱いとされています。

木造の建物に茅葺の屋根である貴族の邸宅は、火災があるとあっさりと焼失。いったい火勢が付けば、消す術はまずありません。

しかも民の小屋は密集しているため、いったん焼ければどんどん延焼してしまう。

大々的に記録される内裏の火災がしばしば発生しているのですから、それ以外の家は言うまでもないでしょう。

盗賊による放火もしばしば記録に残されています。

防火も消火もできないのは恐ろしいばかりですが、それに加えて摂関政治時代は、地震の群発時期にもあたりました。

当時は地震の仕組みなど知り得るわけもありませんが、中国由来のある思想があります。

【外戚政治】が蔓延る時代は、地震が増える――。

天皇に娘を嫁がせ、産まれてきた子を天皇にする。そうして盤石な政治を行なってきた藤原一族にとっては、不吉なものと感じられたでしょう。

 


平安京の人々は「末世だ」と嘆いていた

平安貴族は、単に和歌を詠んで、蹴鞠で遊んでいたわけじゃない。

宮中の儀礼は十分に忙しかった。

それはわかりますが、どうしても引っかかることはあります。

なぜもっとインフラ整備を充実させられなかったのか?

【穢れ】をものともせず、民衆救済ができなかったのか?

救いがないからこそ、「今は末世だ……」と嘆いていたのか?

大河ドラマ『光る君へ』は、勤務に励む貴族の姿を描くことで、問題提起をしてきたともいえます。

源氏物語』そのものに、天災も疫病も、放置される死骸も描かれません。

いわば不都合な史実をカットした物語であり、ドラマでは、そんな当時の暗部に迫る役割を果たしているとも言えるのです。

初回放送から主人公まひろの母・ちやはが藤原道兼に刺殺され、夫である藤原為時は、身分秩序の中で真実を隠蔽するしかありませんでした。

鳥辺野で殺害され、放置された直秀たちの遺体も衝撃的でした。

でたらめな証文で母親を騙し、子供を連れ去る悪徳商人も、見ていて心が痛んだものです。

身分の低い人々がそうして苦しむ中、上流貴族たちは外戚政治にばかり集中し、その代表格である藤原兼家は「民より家の存続だ」と何度も言い切っていた。

『光る君へ』は、決して明るく華やかなだけの話ではありません。

むしろ貴族たちのドス黒い本音と、その周囲で苦しむ民の姿が描かれている。

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だからこそ、まひろと道長の二人が注目されるのであり、彼女は今後も

「民の声を聞くかどうか?」

と、まっすぐな目で道長に問いかけていくことでしょう。

付かず離れず、何度もどこかですれ違う二人――問われるのは、恋心だけではないのです。

本当に、民を救う気持ちはあるの?

直秀の遺骸を埋めて泣いた、そんなあなたは今もいるの?

彼女が問いかける姿を見て、見る側も平安時代の姿を感じ取れるかどうか。

なかなか重い問いかけのある作品だと思えます。


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文:小檜山青
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【参考文献】
倉本一宏『平安京の下級官人』(→amazon
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(→amazon
京都新聞出版センター『平安京と王朝びと』(→amazon

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