後宮十二司

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安時代の後宮で働く女官「後宮十二司」には具体的にどんな役割があった?

紫式部の勤め先であり、大河ドラマ『光る君へ』のメイン舞台でもある後宮。

「女性だけの世界」というイメージがあると思われますが、では具体的にどんな人たちがいたのか?というと、なかなかパッとは出てきませんよね。

大まかに分けると、藤原定子藤原彰子などの后妃やその実家から雇われている女房(紫式部や清少納言)と、後宮というお役所の役人である「女官」がいました。

後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)です。

文字通り12の部署があった後宮十二司は、それぞれどんな役割を担っていたか?

一つずつ見て参りましょう。

 


内侍司(ないしのつかさ)

後宮十二司の中で最も有名なのが、この「内侍司(ないしのつかさ)」ですね。

後宮における天皇の秘書のような立ち位置で、長官を「尚侍(ないしのかみ)」、次官を「典侍(ないしのすけ)」といいました。

源氏物語』でも、光源氏が失脚する遠因ともいえる朧月夜が尚侍、光源氏の息子・夕霧の側室にあたる藤典侍が登場しますので、こちらでご記憶の方も多いかもしれません。

天皇に近侍する役割であることから、内侍司は後宮十二司で最も人数の多い役所でした。

しかし、時代が下るごとに実務を離れ、妃候補が就くものとなり、実質的な長官は典侍となります。

その下に掌侍(ないしのじょう)、女嬬(にょじゅ)、女蔵人(にょくろうど)などの女官たちがつき、実務を取り仕切るようになるのです。

このため「典侍」はいわば”キャリアウーマンの代表格”といったイメージだったようで、清少納言も枕草子の中でたびたび挙げています。

清少納言が宮仕えしていた時期、尚侍になれるのは藤原北家の女性に限定されたも同然でした。

一方で典侍にはそういった事実上の制限がなかったので、清少納言は「典侍は他家の女性たちが名を上げるのに最適である」と考えたのでしょうか。

典侍や掌侍(ないしのじょう)は、内裏の火事や地震などの際に三種の神器の一つ・八咫鏡を守護する役目も担っていました。

しかし、常にそれがかなったかというとそうでもなく……たびたび焼損してしまい、特に『光る君へ』の時代である寛弘二年(1005年)の火事では、鏡の原型がほぼない状態になっていたとか。

もともと宮中にあったのは形代(かたしろ・レプリカのこと)ですが、だからといって灰になってしまってはさすがにマズい。

一条天皇藤原道長はもちろん、当時の典侍や掌侍も責任を感じ、大きな衝撃を受けたことでしょう。

さて、他の11部署も見ておきましょう。

 


蔵司(くらのつかさ)

奈良時代には内侍司よりも重んじられていた部署です。

神璽(天皇が書類に押すハンコ)や関契(官軍が関所を通るための割符)など、国家にとって重要な品を司っていました。

他にも天皇・皇后の衣服を担当していたようです。

しかし、平安時代になると内侍司がより重視されたことや、天皇の衣服を司る別の役目が台頭したため、閑職になっていったといいます。世知辛いですね……。

 


書司(ふみのつかさ)

文字通り、書籍や紙・墨・筆などを取り扱う部署です。

楽器の保管なども担当しており、遊びや宴との関係もありました。

なかなか忙しそうですが、定員は長官の尚書一人・次官の典書二人・女孺六人というこぢんまりとしたチームでした。

 

兵司(つわもののつかさ)

物々しい感じの名前通り、兵器を担当した……とされますが、そういった仕事は男性の役人がやっていました。

そのため後宮十二司の兵司が何をしていたのか、よくわかっていません。

定員も書司同様に尚兵一人・典兵二人・女孺六人という少なさです。この程度の人数で軍事的な動きができたとも考えにくいですし、全くもって謎です。

 


闡司(みかどのつかさ・いし)

内裏にある各門の鍵と出納を司った場所です。

文字通り過ぎてあまり説明することがありません。

 

薬司(くすりのつかさ)

こちらも文字通り、薬に関することを司った部署です。

毒見もこの部署の役目で、毒見役を「薬子」と呼んだりもしました。

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