紫式部の勤め先であり、大河ドラマ『光る君へ』のメイン舞台でもある後宮。
「女性だけの世界」というイメージがあると思われますが、では具体的にどんな人たちがいたのか?というと、なかなかパッとは出てきませんよね。
大まかに分けると、藤原定子や藤原彰子などの后妃やその実家から雇われている女房(紫式部や清少納言)と、後宮というお役所の役人である「女官」がいました。
後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)です。
文字通り12の部署があった後宮十二司は、それぞれどんな役割を担っていたか?
一つずつ見て参りましょう。
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内侍司(ないしのつかさ)
後宮十二司の中で最も有名なのが、この「内侍司(ないしのつかさ)」ですね。
後宮における天皇の秘書のような立ち位置で、長官を「尚侍(ないしのかみ)」、次官を「典侍(ないしのすけ)」といいました。
『源氏物語』でも、光源氏が失脚する遠因ともいえる朧月夜が尚侍、光源氏の息子・夕霧の側室にあたる藤典侍が登場しますので、こちらでご記憶の方も多いかもしれません。
天皇に近侍する役割であることから、内侍司は後宮十二司で最も人数の多い役所でした。
しかし、時代が下るごとに実務を離れ、妃候補が就くものとなり、実質的な長官は典侍となります。
その下に掌侍(ないしのじょう)、女嬬(にょじゅ)、女蔵人(にょくろうど)などの女官たちがつき、実務を取り仕切るようになるのです。
このため「典侍」はいわば”キャリアウーマンの代表格”といったイメージだったようで、清少納言も枕草子の中でたびたび挙げています。
清少納言が宮仕えしていた時期、尚侍になれるのは藤原北家の女性に限定されたも同然でした。
一方で典侍にはそういった事実上の制限がなかったので、清少納言は「典侍は他家の女性たちが名を上げるのに最適である」と考えたのでしょうか。
典侍や掌侍(ないしのじょう)は、内裏の火事や地震などの際に三種の神器の一つ・八咫鏡を守護する役目も担っていました。
しかし、常にそれがかなったかというとそうでもなく……たびたび焼損してしまい、特に『光る君へ』の時代である寛弘二年(1005年)の火事では、鏡の原型がほぼない状態になっていたとか。
もともと宮中にあったのは形代(かたしろ・レプリカのこと)ですが、だからといって灰になってしまってはさすがにマズい。
一条天皇や藤原道長はもちろん、当時の典侍や掌侍も責任を感じ、大きな衝撃を受けたことでしょう。
さて、他の11部署も見ておきましょう。
蔵司(くらのつかさ)
奈良時代には内侍司よりも重んじられていた部署です。
神璽(天皇が書類に押すハンコ)や関契(官軍が関所を通るための割符)など、国家にとって重要な品を司っていました。
他にも天皇・皇后の衣服を担当していたようです。
しかし、平安時代になると内侍司がより重視されたことや、天皇の衣服を司る別の役目が台頭したため、閑職になっていったといいます。世知辛いですね……。
書司(ふみのつかさ)
文字通り、書籍や紙・墨・筆などを取り扱う部署です。
楽器の保管なども担当しており、遊びや宴との関係もありました。
なかなか忙しそうですが、定員は長官の尚書一人・次官の典書二人・女孺六人というこぢんまりとしたチームでした。
兵司(つわもののつかさ)
物々しい感じの名前通り、兵器を担当した……とされますが、そういった仕事は男性の役人がやっていました。
そのため後宮十二司の兵司が何をしていたのか、よくわかっていません。
定員も書司同様に尚兵一人・典兵二人・女孺六人という少なさです。この程度の人数で軍事的な動きができたとも考えにくいですし、全くもって謎です。
闡司(みかどのつかさ・いし)
内裏にある各門の鍵と出納を司った場所です。
文字通り過ぎてあまり説明することがありません。
薬司(くすりのつかさ)
こちらも文字通り、薬に関することを司った部署です。
毒見もこの部署の役目で、毒見役を「薬子」と呼んだりもしました。
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