平安貴族と輸入品

画像はイメージです(駒競行幸絵巻/wikipediaより引用)

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

平安貴族は輸入品無しではやってけない!一体どんな“唐物”が重宝されていた?

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黒貂の毛皮

源氏物語』で残念な女君No.1とされるのが末摘花です。

鼻が垂れ下がっていて赤いという点は、時代を超えて理解できる残念なところ。しかしそれ以外の残念ポイントは、ちょっと判断が難しいかもしれません。

末摘花の残念キーアイテムは「黒貂の毛皮」でした。非常に大事にしており、それを兄に取られると光源氏に訴えます。

しかし光源氏は、

「毛皮なんてもういいっしょ」

と、素っ気ない態度。

そもそも黒貂の毛皮はどこから来たのか?

というと渤海国です。

他にも虎、熊、豹の毛皮も献上され、ごく少数が流通していましたが、『源氏物語』の時代には往来がなく、前時代的で古いものでした。

令和になってからバブル期のワンレンボディコン姿を見ると失笑してしまいそうな、時代遅れの痛いものなのです。

こうした価値観は、渤海と交流が途切れたこの時代の日本だけでもあります。

その他の地域では憧れの高級品。

黒貂の産地から中国を支配することとなった清朝の服には、黒貂の毛皮が誇らしげにつけられていました。

黒貂が用いられた清朝の服/wikipediaより引用

 


秘色(ひそく)

末摘花は「秘色(ひそく)」の磁器で食事をしていました。

ボロボロの家に暮らしているのに、食器は超高級品だというギャップ。資産家だったのは昔のことであり、今は落ちぶれているとわかります。

平安時代は、親が早くに亡くなってしまうと、子は没落してしまう。

藤原行成はそのせいで出世が頭打ち。字がどれだけ上手で、頭も賢かろうが、そうなってしまうのが現実です。

女性はさらに悲惨でした。

末摘花のパートは笑いを誘うだけでなく、当時の読者にそのリアリティさが鋭く刺さったことでしょう。

この「秘色」は最高級の青磁とされます。澄み切った空にも、翡翠にもたとえられる美しい色。

陶磁器は、輸入品の中でも人気はトップクラスでした。

薄い、軽い、見た目も素晴らしい! とにかく持っていなければ恥ずかしい!

そのため『光る君へ』の世界でも、皇族や大臣の家には、これみよがしに陶磁器がずらりと並んでいます。

『鎌倉殿の13人』においては、この食器で京と坂東の格差を示していました。

最先端のセンスを発揮したかったのか、愛する妻・りく(牧の方)にせがまれたのか。劇中では素朴な性格だった北条時政も、屋敷跡からは京好みの陶磁器が発掘されます。

最終回で、のえ(伊賀の方)が義時に飲ませた薬も、美しい陶磁器の壺に入っていました。

一方、義時の弟・時房と、息子の泰時は、素朴な壺で酒を飲んでいます。

京と坂東の差を小道具で鮮やかに示したのですね。

『鎌倉殿の13人』の世界の後、鎌倉ではますます陶磁器が求められるようになりました。

源実朝日宋貿易構想は頓挫したもの、泰時が実現。坂東武者も、こう思うようになったのでしょう。

「宴をやるのにさぁ、唐物がないとかありえないっしょ!」

そのせいか鎌倉からは大量に陶磁器が見つかります。日本で最も宋の陶磁器が出てくるのは鎌倉なのです。

この陶磁器ブームは、武士の世と共に続いてゆきます。

室町時代日明貿易の実現にこぎつけた足利義満は、そこで武士の宴会ルールを決めました。

「ある程度格の高い宴会では、唐物陶磁器はマストアイテム。必ず置きましょう」

こう規定しておけば、日明貿易を行う室町幕府のセンスに従うしかない――いわば文化による支配でした。

その後、幕府権威が低下すると、新たなムーブメントが起こります。

茶道の大家である千利休が、自らのセンスで文物の格付けを行うようになったのです。

しかし、織田信長豊臣秀吉の、独自のセンスを失う路線は彼らの天下が頓挫したこともあり、そこまで徹底されたわけでもありません。

江戸時代になっても、大名はやはり、唐物陶磁器をステータスシンボルとする傾向を保ち続けます。

武士の世が終わった明治維新のあと、江戸の武家屋敷からはこうした陶磁器が大量に流れてゆきました。

それを骨董商や資産家が購入し、コレクションを作り上げます。

現代には博物館のガラスの中に、そうした唐物陶磁器の姿をみつけることができます。

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ドラマでは再現が難しいものとして、香が挙げられます。

『源氏物語』にも『枕草子』にもよく出てくる香は、当時の貴族にとって欠かせないものでした。

入浴の頻度が今よりずっと低く、照明も暗い――そんな時代で相手の個性を確認し、ムードを高めるためには香が欠かせません。

香を焚き染め、衣に染み込ませる。

一日経過したくらいが一番好きだと清少納言は書き記しています。

『鎌倉殿の13人』でも、後白河法皇の手紙はよい匂いがするからわかるという場面もありました。

坂東では手に入らない香は、都らしさを感じさせたことでしょう。

こうした香木は熱帯地原産のものも多く、輸入なくしては香の文化も成立しないものでした。

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