読むことはできても、漢字で書けない歴史単語ってありません?
幅が広すぎるので今回は鎌倉時代に限定させていただきますと……私の場合は『愚管抄(ぐかんしょう)』です。
「愚」なんて文字、ほぼ一度も実生活で書いたことないんですよね。
「管」にしても“竹かんむり”だか“草かんむり(菅)”だかで迷うこともありますし、「抄」にしても「妙」と混同しそうになったり。
この、ちょっと変テコな文字で構成される『愚管抄』とは何なのか?
ひとことで言うと「神武天皇から平安末期までの日本史の本」です。
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天台座主を務めたインテリ大僧正
愚管抄の筆者は慈円です。
天台宗の座主を務めた超インテリ大僧正でしたので、宗教の影響も随所に見られます。
例えば、武士の出現とその台頭については
「皇室・藤原氏・源氏それぞれの守護神(天照大神・天児屋根命・八幡神)の合意によって、日本はうまく行ったのである」
としています。なかなかダイナミックな表現ですよね。
確かに、世界史上で見ても「以前の権力者が滅ぼされることなく、新しい組織に権力が事実上移譲された」というケースは珍しいかもしれません。
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その辺を除けば、今なお「古代史の教科書」として使っても差し支えないくらい充実した本です。
学習要項とのすり合わせや、宗教色の排除は必要でしょうけれども。
人名・地名・年号などが大量に出てくるので、受験生がおさらいとして一・二巻を読むのもいいかもしれません。
「愚管抄の中から受験で問われやすい単語を抜き出す」なんてこともできそう。
受験の範囲なら、おそらくここまで覚えておけば十分ですが、本稿ではもうちょい中身を見てみましょう。
一・二巻が紀伝体で三~六巻が編年体
愚管抄は全七巻から構成。
第一・二巻はそれぞれの帝王の年代記を記し、第三~六巻が本文となっています。
第七巻は付録で、他にも別冊のようなものがついていたのでは、という説もありますね。
もっとざっくりいうと、一・二巻が「紀伝体」で、三~六巻が「編年体」ともとれます。
一・二巻で中国の神話や古代王朝時代のことを簡潔に記し、その後、日本に移って天皇の系譜を神武天皇から述べていっています。
前者についてはサラッと名前や概要のみですが、後者についてはその時代の太政大臣や左右大臣がいつ就任・退任したのかといった細かな点や、主要事件なども書かれています。
例えば、称徳天皇の項目には宇佐八幡神託事件(※1)、醍醐天皇の部分には昌泰の変(※2)……というようにです。
飯豊天皇って誰だ?
三巻からは、慈円の意見を交えつつ、日本の歴史が語られていきます。
まず、日本の政治は「王法」によって行われていた、と慈円は考えました。
これは「皇位は天皇から、その息子である皇子に継がれていくべきである」ということを第一とするものです。
しかし、神功皇后が身重の体で三韓征伐を成し遂げたり、皇子を産んだ後も数十年国政を担ったことについては、
「これはきっと、何事も決まりにとらわれることなく、男女の別よりも個々人の才能を尊ぶべきという天意なのだろう」
としています。
愚管抄が書かれたのは、上記の通り、鎌倉時代のことなのですが、驚くほど現代的な発想ですよね。
日本に限っていえば、明治時代に西洋と価値観を合わせるために
「良妻賢母になるため女は奥に引っ込んでいろ」
という考えが広まったので、むしろ慈円の意見のほうが古来からの伝統といえるかもしれません。
たまに、日付や血縁関係の誤記があるのがご愛嬌なのか、マジボケなのか判断に困るところですが……。
「このことは既に広く知られているので、ここでは細々とは書かない」
というような記述も散見され、慈円は史料や記録を検めたわけではなく、伝聞や当時の常識を元に書いた部分が多いのでしょうか。
また、即位したかどうかわからない「飯豊天皇」という天皇が出てくるのもちょっとしたポイントです。
性別がどっちだったかもはっきりしない、伝説よりも曖昧な方ですが、慈円は愚管抄の中で女帝と書いています。
宮内庁では今のところ「そういう名前の皇族は存在したが、即位はしていないので、死後の尊称として『飯豊天皇』とする」ことになっているようですね。
西洋でも「女教皇ヨハンナ」なんて伝説(デマ?)がありますので、古今東西、こういう話はつきものなのでしょう。
飯豊天皇のほうがまだ実在した可能性は高そうです。
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