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【曾我兄弟の仇討ち】
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一時は命を救おうともしたが
合戦でもないのに人を殺しておいて騒ぎにならないわけがありません。
気付いた他の御家人たちが兄弟を取り囲み、兄の祐成はその場で討たれ、弟・時致は翌日頼朝の前へ引き立てられました。
そこで彼が父の仇を取るためにやったということを説明すると、頼朝は一時罪を許そうとします。
頼朝もかつて父の源義朝を殺され、伊豆に流されて苦労をしていますので、他人事とは思えなかったのかもしれません。
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ですが、そこは初の武家政権を作った人です。
祐経の子供たちが「許せません!」と言い張ると、時致の首を刎ねることに決めました。
仇が討てれば自分の命はどうでも良かったのか。
それとも兄も既に討たれていたからか。
時致は抵抗することも、異論を唱えることもしなかったとか。
範頼がどでかいミスをやらかして源氏の悲劇に……
こうして仇の取り合いが続くようなことは防げたのですが、丸く収まらなかったことが一つありました。
上記の通り、この仇討ちはときの将軍・頼朝が出かけた先でのことであり、そのせいで鎌倉幕府に大混乱が起きてしまったのです。
現代のような情報網がない時代。
いくら正確に伝えようとしても、失敗した伝言ゲームの如く、話が全く別物になるのもままあることでした。
このときも、いつの間にか「源頼朝が暴漢に襲われて生死不明」という話になってしまい、幕府中枢は大混乱に陥ります。
後に「尼将軍」と呼ばれるほどの烈女・北条政子も気が気ではありませんでした。
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そこでうっかりどでかいミスをやらかしてしまったのが、頼朝の縁者で一番まともだった弟・源範頼です。
彼は義姉を励ますつもりで「源氏には私がいますからご安心を」と言いました。
しかし、疑心暗鬼に陥りかけていた政子は、これを「私が次の将軍になりますから」という意味に取り違えてしまったのです。
政子の考え方もちょっと飛躍しすぎているし、範頼も範頼でまずい発言ですわな。
「落ち着いて続報を待ちましょう」くらいであれば疑われることはなかったんじゃないかと思うのですが。
無事、頼朝が帰ってくると、涙ながらの再会もそこそこに、政子は「アナタの弟が怪しいわよ」と訴えてしまいます。
さすがに頼朝も、妻の言うことをその場で鵜呑みにしたわけではないでしょう。
しかし、源平の戦い中や義経とのアレコレがあった後では、頼朝にとって「身内」というだけで人を信じることができなくなっていたことは想像に難くありません。
その後どうなったかは……以下の過去記事をご覧ください(´;ω;`)
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【参考】
国史大辞典
安田元久『鎌倉・室町人名事典』(→amazon)
曾我兄弟の仇討ち/Wikipedia