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【気候変動と源平合戦】
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飢餓の中での戦争
『鎌倉殿の13人』では、コーエーテクモゲームスが3DCG地図を監修していました。
『信長の野望』や『三國志』でもお馴染みであり、だったら『源平合戦』のリメイク版を出さないかなぁ……と思うゲームマニアな方もおられるかもしれません。
家庭用ゲーム機に移植されていないため知名度は低いのですが、実は1994年、 PC−9801ゲーム『源平合戦』がコーエーから発売されていました。
大河ドラマもやっているし、リメイク版があってもよいのでは?
そう期待したくもなりますが、非常に難しい問題もあります。
合戦に関わってくる要素があまりに違いすぎるのです。
弓矢と個人武勇を重視する源平合戦に対し、騎馬や槍などの部隊を指揮する戦国時代。
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そうした戦闘の仕様だけでなく、兵糧問題もありましょう。
ただでさえ少ない食糧の中、戦争自体が禁じ手であり、それでもなし崩し的に始まり続いたのが源平合戦といえます。
一気呵成に攻めたいが、兵糧が足りない。進軍できない!
そんな局面が『鎌倉殿の13人』においても頻出しました。
確かに戦国時代も寒冷期で、食料不足が戦乱を巻き起こしたという指摘があります。
しかし、その頃は数世代にわたる乱世での経験があり、軍にしても、敵地での食糧調達や農地破壊が戦術の一つとして認知され、いわば効率化していました。
コンセンサスがあったんですね。
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一方で源平合戦の時代は、そんなものありません。
ゆえに『信長の野望』システムで『源平合戦』を作ろうとすると、【兵糧コマンド】の設定や考え方が非常に難しい。
兵糧の調達や確保も戦国ゲームを面白くする要素の一つですが、源平合戦の武士たちは常に食料ハードモードの中で戦っていたんですね。
貨幣経済は飢饉に影響する
景気が悪くなった源平合戦時代。
富を独り占めしていると憎悪を買った平家は滅亡し、鎌倉幕府の幕開けとなりました。
そこから平和になったのね、チャンチャン♪
と、ならないのは歴史ファンにはお馴染みであり、ドラマでも「これでもか!」とばかりに描かれましたね。
『鎌倉殿の13人』の舞台である鎌倉幕府草創期は、とにかく血なまぐさい。
相次ぐ内輪揉めにより血は流れ続け、一方で気候も不安定でした。
12世紀後半から15世紀まで、数十年周期で気候変動は起き、しかしそれでも飢饉というほどの食料受難時代には至っていません。
そこを踏まえて鎌倉幕府が政治体制を整えていた――と同時に重要な変化を起こしたのが「貨幣経済」の導入です。
平家が重視していた日宋貿易。
大陸から、大量の書籍や文物、青磁(鎌倉からも出土している)などが輸入される中、最も大事だったものの一つが【宋銭】です。
南宋が滅亡すると、大量の宋銭が日本へも流れてきたのです。
米を食べるだけではなく、余剰分は換金して、米の取れない地域へ送って金を稼ぐ。
そんな貨幣経済システムが浸透してゆきました。
平家が滅亡した時代と比べ、社会は気候変動への耐性を高め、人々は少しずつ商売を覚えていったのです。
しかし、それが永続しないのもまた歴史。
貨幣経済が不安定ですと、飢饉を悪化させることが起こります。
例えば江戸時代、お米の換金を前提にして財政システムを整えていた藩は、何度か起こった飢饉で、深刻な被害に見舞われたことが記録されています。
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貨幣経済がさらに発展した近世以降は、こうした飢饉による被害拡大がしばしば発生したのです。
最悪の例が、イギリス統治下のインドでした(詳細は以下の記事へ)。
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気候変動が歴史を作ってきた
戦国時代の動乱は、度重なる寒冷化により資源の奪い合いが激化したことが背景にあるとされています。
江戸時代後期から幕末にかけては、世界規模の気候変動による世情の不安定化がありました。
気候が変動する。
人間と社会がそれに対応すべく変化する。
しかし、安定してきたところで、また気候変動が起こる。
そんなサイクルを繰り返しながら、人類は歴史を成立させてきました。
現代には「人新世(じんしんせい)」という概念が生まれ、人類による地球環境への影響が懸念されています。
ゆえに気候変動という要素から歴史を見直すことも重要なことではないでしょうか。
平家は、確かに彼らだけが驕っていたわけではないにせよ、社会システム構築に失敗した部分があった。
鎌倉幕府はそこに対応して成立できた――。
そんな風に考えながらドラマを見ると、また一つ面白みが増してくるように感じています。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
中塚武『気候適応の日本史』(→amazon)
ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』(→amazon)
他