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【源実朝は男色だった?】
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世継ぎができない理由は?
実朝に子ができない理由については、確たる資料がなく、特定はできません。
ただ、他の例から推察はできます。
肉体的な困難や性的指向など。
実朝の場合、従来から精神的な不安定さを強調される傾向はありました。
万葉調の歌を詠む歌人としては天才的である反面、エキセントリックで政治判断ができず、そのため北条氏の傀儡に過ぎなかった――そんな人物像が定着していました。
『吾妻鏡』以来、バイアスのかかった像といえます。
しかし、こうした見方は是正されつつあります。
例えば、実朝が望んだ宋への渡来計画を考えてみましょう。
この計画は無謀だとして、北条義時と大江広元は止めようとしていました。
陳和卿から「実朝の前世は中国の高僧である」という荒唐無稽な話を信じ、無謀な渡海計画を進めようとしている。
芸術的感性はあっても夢想ばかりしている。
まるで暗君として知られる北宋の徽宗をなぞったような像です。
一方、『鎌倉殿の13人』では、描き方はそうではありません。
暗愚というより繊細かつ人の話にも耳を傾け、学習能力を備えている。
源頼家像もそうでした。
足りないところはあるけれども彼なりに努力をした。その結果、苛烈な権力闘争に負けた悲劇的な像として描かれました。
実朝についても近年の研究が反映されていて、政治力や判断力のある青年政治家として描かれています。
そして改めて考えたいこと。
性的指向と、意思薄弱といったマイナス要素を結びつける描写は、もはやドラマにおいては差別的であり禁忌です。
従来のように実朝の精神に異常性があるから世継ぎができないと誘導することは差別につながりかねません。
大河ドラマでぼかされるセクシュアリティ
大河でのタブーと言われることはよくあります。
特にある人物のプライバシーに関わることとなると、どうしてもありのままに描くことは難しくなります。
『青天を衝け』において渋沢栄一の派手な漁色ぶりが描かれなかったことは一例でしょう。
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同性愛や両性愛描写も避けられます。
しかし日本の歴史においては男性の両性愛は特に禁忌でもなく、大河ドラマに登場する人物でもそうだった記録は往々にして残されています。
ただ、映像でそこまで踏み込むことはありません。
数少ない例外として、2012年大河ドラマ『平清盛』における“悪左府”こと藤原頼長が挙げられます。
数多の男色を好んだ頼長の相手には、木曾義仲の父・源義賢もおりました。
ただし、今振り返ってみると頼長の描き方は問題があったと思えます。放送当時は通ったとしても、頼長の男色愛好と、彼の持つ執拗な異常性が結び付けられているようにもとられかねないところがありました。
インターネットのファンダムにおいても、同性愛差別的なフレーズをもって彼が茶化されることはよくあったものです。
確かに頼長の執着は尋常ではなく、当時から異常性をもって受け止められていました。
しかしそれは男性が相手だからではなく、あまりに執拗で強引だったことが大きい。
当時は、頼長以外にも男色を嗜む人は多く、彼の父である藤原忠実、あるいは対立した後白河法皇も当てはまります。
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男色そのものではなく、しつこさや非常識さが加わると、当時でも非難されていたものです。
九条兼実は、主君である後白河法皇の男色関係について、『玉葉』に苦々しく書き残しています。
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平清盛四女・盛子を妻とする近衛基実と、後白河法皇は深い男色関係を結んでいました。
その基実から、平家の情報を得る後白河法皇をこう皮肉っているのです。
君臣合体の儀、これを以て至極となすべきか。
君臣合体も極まってるよな、これぞ頂点ってやつだな!
兼実が、このように嫌味たっぷりに書き残したのは、あまりに節操ない性的関係だったからでしょう。
同時に兼実は、後白河法皇の寵姫である丹後局が政治に口を挟むことにも憤りを覚えています。
男だろうが、女だろうが、性的関係を拠り所にして政治に口を出してはならないのです。
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