愚管抄

慈円/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

『愚管抄』には何が書かれている?後鳥羽上皇の懐刀だった慈円の著作

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事象を柔らかく解釈してまとめる文章力

愚管抄の文章からすると、慈円は仏僧にしては考えが柔軟だったことがうかがえます。

例えば、古代の皇室では、兄弟で「どうぞどうぞ」状態(超訳)になって何年も空位が続いたり、「弟が即位したものの数年で崩御してしまい、結局兄も即位した」なんてことがままありました。

美しい話ではありますが、世の中に与える影響は計り知れません。

こういうとき、仏教であれば前世の報い云々という話になりそうなものですよね。

しかし慈円は「これは運命の力によって歴史がそのように動いたのだ」としているのです。

全体的に「こういう決まりにそって世の中を動かしていかなくてはならない」というのではなく、「こういったことが起きたのは、我々の考えが及ばない次元で何らかの道理が働いていたから」と考えています。

科学や常識に偏って何かを断じがちな現代人にとっても、学ぶべきところかもしれません。

 

他ならぬ仏教伝来をどう捉えた?

時代が下って社会が複雑化すると、皇室だけでは世の中のことをやりきれなくなってきました。

それと前後して、大陸から仏教が伝わります。

慈円はこれを「王法だけでは間に合わなくなってきたので、天の計らいで仏法が伝わり、皇室と日本の守護をさせようとした」と考えました。

また、「桓武天皇平安京に都を移してから、皇位継承が父から子、あるいは兄から弟へスムーズになされるようになった。皇后も藤原氏から出ることが定着し、政治も安定してめでたい」なんてことも書いています。

そしてそうなったのは、「伝教大師(最澄)と弘法大師(空海)をはじめとした僧侶たちが大陸に渡って、我が国に尊い教えをもたらしたからだ」としています。

この辺は僧侶らしい考えですね。

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藤原氏というと、「娘を入内させて外孫である次代以降の天皇の後ろ盾になり、権力を握った」という点から、どうにも黒いイメージが拭えませんよね。

しかし、慈円はそう悪いこととはとらえず、次のように記しています。

「人間は皆母親から生まれてくるのだから、女性が権力を持つことは間違いではない。

ただし、末法の世においてはそれは好ましくないので、代わって女性の実家の男性が権力を持てばいい。

これなら母への孝養と”女人によって日の本の国が完成する”という考えを両立させることができる」

天照大神が多くの場合“女神”とされるのも、古代に女帝が多かったのも、こういう考えが日本人全体にうっすらと存在していたからなのかもしれませんね。

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