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【天龍寺船】
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夢窓疎石が手がけた西側庭園の一部だけが
それでも粘り強く交渉した結果、何とか趣旨を理解してもらうことができ、交易は成功。
無事に天龍寺造営となります。
資金は他にも各地の荘園からの寄進や、光厳上皇が手掛けた成功(じょうごう・官職と引き換えに資金を捻出させる)もありました。
同寺は後醍醐天皇の七回忌に合わせて落慶供養(寺社の新築を祝うこと)が行われ、現在も歴史あるお寺として存続しています。
ただ、その間にかなりの災難にも遭いました。
一時は150ヶ所以上の子院(大きなお寺に付属する小さなお寺のこと)を持っていたものの、戦国時代までに6回もの大火災に遭った上、応仁の乱でも被害を受けました。
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その後、再建したにもかかわらず、江戸時代後期と幕末にも焼けてしまい、現在の建物は明治時代に再建されたものが大半なのだそうで……。
夢窓疎石が手がけた西側の庭園の一部だけが、創建当時に近いものとのことです。これはひどい。
現在は世界遺産にも認定
そんな中でも、代々の僧侶たちは記録の保護に務めたようで。
中世から近世の京都における寺院の様子を知る貴重な史料が残されています。
中心にある「大方丈」という建物の御本尊となっている釈迦如来坐像は、平安時代の作とのこと。
つまり火災のたびに、僧侶や信徒たちが守ってきたということになります。
文化庁のデータベースにも寸法が書かれていないので、どの程度の大きさなのかわからないのですが……時代を超えてご本尊を守った、というのは胸アツな話ですね。
天龍寺は現在世界遺産にも認定され、「雲龍図」や直営の精進料理店「篩月(しげつ)」なども親しまれています。
公式ツイッターアカウントもあり、四季折々の写真を載せてらっしゃいます。
嵐山に雪が降りました#嵐山 #天龍寺 #雪 pic.twitter.com/AtncdbgKX9
— 大本山天龍寺〈公式アカウント〉 (@tenryu_ji) December 18, 2021
プロの写真家が撮っているのか、そのまま絵葉書などにできそうなとても良い写真が多いので、一見の価値はありますよ。
気に入った写真があれば、同じ季節に訪ねてみるのもいいかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
天龍寺(→link)
天龍寺船/Wikipedia
天龍寺/Wikipedia