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そもそも「金剛力士」とは何なのか?
かくして名声高い仏師となった運慶・快慶。
平家による八つ当たりこと・平重衡の放火(治承4年・1180年)で壊滅的な被害を受けた東大寺や興福寺などの復興のため、他の仏師と共に仏像の作成に力を注いでいくことになります。
多くの仏像を手掛けた中で、やはり代表作は東大寺南大門の金剛力士像です。
当時の記録から、特に快慶の働きは仏師の中でも際立った功績だとみなされていたようだ、ということがわかっています。
そもそも「金剛力士」とは何なのでしょうか。
「仁王様」と呼ばれることも多いですし、東大寺以外にも像が置かれている寺院がたくさんありますよね。
しかし「馴染みはあるけど、”何か?”と問われるとよくわからない」という方が多数派なのではないでしょうか。
金剛力士は、仏教の守護者の一種です。
その割に武器を持っていませんが、手に持っているよくわからんものが「金剛杵(こんごうしょ)」という魔除けの武器だとされています。
基本的に口を開けている阿形(あぎょう)像と、口を結んだ吽形(うんぎょう)像の2体で一対のスタイルです。狛犬と一緒なところが意味深ですね。
阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表しているそうです。
金剛力士像は「寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ、寺院の門番」という意味で置かれていることになります。
そのため、仁王像は風や雨で傷みやすく、作成当時のままで残っているものは少ないようです。
役割的に室内向けに作られている事は少ないのですが、奈良・興福寺では室内に仁王像が置かれており、比較的保存状態も良いとか。
「本殿の仏像や寺院内で修業をする僧侶たちを物理的・心理的に守っている像」と見ると、何だか泣けるしカッコイイですね。
慶派の仏師が総力を結集して作ったとの記録
そんなわけで、金剛力士像自体は多々存在しているのですが、やはり高さ8メートルもある東大寺の像は抜きん出た存在です。
この像がスゴイのは、大きさだけではありません。
平成になってからの解体修理の際、運慶や快慶だけが制作したのではなく、慶派の仏師が総力を結集して作ったものである、という記録が仁王像の中から見つかったのです。
その中で運慶が製作総指揮、快慶が実際の作業で功績を挙げた、ということなのでしょう。
完成したときはきっと、プロジェクトXばりの大盛り上がりだったに違いありません。
教科書では一行で終わってしまうところですが、その裏をのぞいて(想像して)みるとなかなか興味深くありませんか?
運慶・快慶の手がけた仏像はたくさんありますから、また修繕の際に新しい史料が見つかって話題になるかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
運慶/wikipedia
快慶/wikipedia
金剛力士/wikipedia