信長公記 剣豪・忍者

杉谷善住坊、火縄銃で信長を狙撃!超わかる信長公記69話

長く戦乱に明け暮れた織田信長

合戦で命を狙われるのは当たり前だとして……。
暗殺などはされなかったのか?

というと実は火縄銃で命を狙われたこともありました。

杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)という鉄砲の名手が六角氏に雇われ、信長を狙い撃ちしたのですね。

それは如何なる状況下で行われたものなのか?
流れを追っていきましょう。

 


京都から岐阜へどう戻るか?

越前攻めの最中に義弟・浅井長政の離反に遭い、命からがら金ヶ崎から撤退してきた信長。

いったん京都で諸々の処理をした後、道中に信頼できる武将を配置しつつ、岐阜へ戻ろうとしていました。

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が、離反した長政がそう簡単に通してくれるはずもありません。
鯰江城(東近江市)に兵を配置したり、市原(同)の一揆勢を扇動して信長の進路を阻みました。

これに対し、信長方の

・日野の蒲生賢秀
・布施の布施公保
・香津畑の菅秀政

などが尽力し、より南側の千草峠を越えるルートを使うことになります。
現在の道路で30kmほど遠回りになるものの、これなら浅井氏の手も及んでいないと判断されたようです。

地図で確認しておきましょう。

京都(黄色・左)から岐阜城(黄色・右)までの最短距離は浅井家によって封じられました。
そのルート上に小谷城(赤色・上)と鯰江城(赤色・下)が立ちはだかったのです。

そこで使われたのが千草峠を越える道(紫色)でした。

南側を回れば首尾よく帰れるに違いない――しかしその途上、5月19日に起きたある一大事件のことが『信長公記』に書かれています。

 


名手・杉谷善住坊が至近距離から2発!

「信長がこのあたりを通る」

それを元近江守護六角義賢がどこからか聞きつけました。

六角義賢とは、永禄十一年(1568年)に信長が足利義昭を奉じて上洛する途中、織田軍と戦って敗れた人です。
上洛戦の流れは、本連載の52話をご参照ください。

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以来、六角氏は、本拠を甲賀郡に移し、再起の機会をうかがっていたのです。

彼は杉谷善住坊という鉄砲の名手を雇い、信長を狙撃・暗殺するという大胆な計画を立案・実行させました。

善住坊は約22~24mほどの距離から、信長を二回撃ったといわれています。
幸い、どちらもかすり傷で済み、信長は21日に無事岐阜へ帰還できました。

 


謀将・宇喜多も狙撃を依頼していた……

ついでに、狙撃に関する歴史について少々触れておきましょう。

実は、戦国時代の狙撃というのは、かなり珍しくて斬新な方法でした。

そもそも鉄砲が伝来したのも、早くて16世紀の初頭ですからね。
それから国内での安定生産、狙撃技術の向上にかかる時間を考えれば、信長の時代でも早いくらいです。

記録上、日本初の狙撃は永禄9年2月5日(1566年2月24日)とされています。

備中の大名・三村家親が、備前の大名・宇喜多直家の依頼を受けた遠藤秀清・俊通兄弟によって狙撃され、亡くなっています。
命じたのが暗殺名人の直家である、というところがいかにも現実味があって恐ろしいですね。

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鉄砲での暗殺より刃物のほうが確実也

しかし、家親と信長以外で狙撃された大名はほぼいません。
暗殺の例は多々ありますが、ほとんどが刺殺や斬殺などで、狙撃は用いられていないのです。

おそらく、日本が雨の多い気候であり、暴発の危険性や扱いに熟練を要する鉄砲より、刃物のほうが確実に取り扱えて、好機を逃さずに済むからでしょう。

鉄砲の量産に伴って、杉谷善住坊のように優れた射撃手も登場しましたが、狙撃は暗殺の主流にはなりませんでした。

江戸時代以降は、戦がほぼなくなったこと、鉄砲術は競技的な面が強くなったことなどから、しばらく日本における射撃技術の向上、及び鉄砲の品質改良などは下火になりました。

日本で再び狙撃銃や狙撃手に注目が集まるのは、大正時代に入ってからのこと。

本連載は、ここからしばらく、近江を中心とした戦が続きます。

なお、杉谷善住坊は後日、とっ捕まってかなり痛い処刑をされます。詳細は以下の記事へ。

信長を襲った刺客を処刑!鋸挽きの恐怖とは~超わかる信長公記101話

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長月 七紀・記

※信長の生涯を一気にお読みになりたい方は以下のリンク先をご覧ください。

織田信長
史実の織田信長はどんな人物?麒麟がくる・どうする家康との違いは?

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なお、信長公記をはじめから読みたい方は以下のリンク先へ。

信長公記

大河ドラマ『麒麟がくる』に関連する武将たちの記事は、以下のリンク先から検索できますので、よろしければご覧ください。

麒麟がくるのキャスト最新一覧【8/15更新】武将伝や合戦イベント解説付き

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【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon link
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon link
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon link
『信長と消えた家臣たち』(→amazon link
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link


 



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