こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【日本人にとって大河ドラマとは?】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
大スターを揃えろ!
ドラマ『大河ドラマが生まれた日』は、中井貴一さんが出ているだけで胸が熱くなる方もおられたことでしょう。
劇中で、あの美男に是非とも出演していただきたい!と交渉に向かった佐田啓二は、中井貴一さんのお父様。
なんと中井さんは遺品の腕時計を小道具として提供されているとか。
そんな彼は、昭和の美男を語る定番フレーズ「甘いマスク」の代表でした。テレビで見られるだけでありがたいという視聴者が日本中にいた。
佐田啓二はじめ、スターを揃えようと四苦八苦する主人公たち。そこで悔しそうに語る、あるモノがあります。
昭和28年(1953年)に締結された「五社協定」です。
日本のトップ映画会社5社(松竹・東宝・大映・新東宝・東映)が、専属監督や俳優らに関して協定を結びました。
監督や俳優を自社所属とし育成する――いわば囲い込みです。後にこれは映画人の自由を縛り、邦画の衰退に繋がったともされる協定となってしまいます。
『大河ドラマが生まれた日』は、ラストのクライマックスとなる【桜田門外の変】を太秦で撮影するくだりが感動的に描かれました。
当時の映画とテレビの対立構図をふまえると、確かに感動的な場面でした。
いがみあっていた両者が手を携え、共に良いものを作ることで一致する、そんな和解のシーンだったのです。
かくして生まれた大河ドラマはその後どうなったか?
佐田啓二は劇中でもタイトルが語られていた『虹の設計』撮影中、交通事故で亡くなります。享年37。
そして一度きりのはずだった映画に負けぬ時代劇第二弾として、『赤穂浪士』が撮影されます。
劇中で触れられた通り、いつしかも日曜夜8時に放映されるNHKドラマは「大河ドラマ」として知られるようになるのです。
そもそも大河ドラマとは何だったのか?
『大河ドラマが生まれた日』は、昭和日本らしい無茶ぶりも描かれています。
成島が楠田に投げかけた要望はこうです。
「いいか楠田。貴様に対する要望はただひとつだ。日本一の大型時代劇を作れ!(中略)ありとあらゆる娯楽を詰め込んだ、空前絶後のその上を行くような、新感覚の連続大型時代劇を作り出せ」
いったい新感覚の大型時代劇とはなんぞや?
そこを模索するところから、楠田と山岡の奮闘が始まります。
実は大河ドラマ初期の作品は、今から見るとかなりの型破りに思えます。
一つずつまとめてみましょう。
◆1作目『花の生涯』
前述の通り、主役が井伊直弼ということからして意外でしょう。
アジア太平洋戦争の終結は、薩長視点の歴史観を克服する転機でもありました。あえて大悪党とされてきた井伊直弼の視点から幕末を見直すという、斬新な歴史観を感じさせます。
翻って考えてみるに、井伊直弼といえば悪役とみなす現代の歴史観は、当時とどこでどう変わってしまったのでしょう。
◆2作目『赤穂浪士』
絶対に外さない題材として選ばれました。
ただし、現在で『忠臣蔵』はむしろ受けなくなり、知らない人も増えていると指摘されます。
◆5作目『三姉妹』
ヒロインは架空の人物であり、かつ無名の三姉妹でした。
庶民であり女性の目線から明治維新を見直すという、今から見ても十分に斬新な試みがなされています。
◆8作目『樅の木は残った』
テーマは【伊達騒動】です。しかも悪役とされた原田甲斐の像を見直しました。
現代なら大河以外の時代劇枠でやるべき題材になりそうです。
◆第9作『春の坂道』
柳生宗矩が主役です。一年もの長丁場をもたせられるのか?と疑問に感じる方もいるかもしれません。
萬屋錦之介が同じ柳生宗矩役を映画『柳生一族の陰謀』で快演したことを合わせて考えると意義深い作品といえます。
◆第14作『風と雲と虹と』
吉永小百合さんが演じる貴子姫の悲劇は、今の大河では考えられぬほど惨いものでした。
◆第16作『黄金の日々』
実在はするものの事績がほとんどわからない、商人の呂宋助左衛門が主役。
フィリピンロケも敢行する異色作です。
◆第17作『草燃える』
脚本家の中島丈博が時代劇調を嫌うため、セリフが現代調で賛否両論を呼びました。
◆第18作『獅子の時代』
主人公は幕末から明治を生きる架空の会津藩士と薩摩藩士。リヨン駅から颯爽と降りてくる武士の姿を、パリロケで敢行しています。
銀幕の大スターであった菅原文太のテレビ初出演がいきなり大河主役という点でも大きな話題をさらい、映画とテレビの間にあった壁が崩れた象徴的な出来事ともいえました。
◆第22−24作『山河燃ゆ』・『春の波涛』・『いのち』
近代三部作と呼ばれています。
『山河燃ゆ』は日系アメリカ人から誤解を招くとして抗議を受けました。近現代を扱う難しさが出た作品といえます。
◆第31作『琉球の風』、第32作『炎立つ』
沖縄ご当地大河と、奥州藤原氏を扱う大河を半年ずつ制作しました。
いかがでしょう。
『麒麟がくる』では、駒という架空人物が大きく扱われるため、「ファンタジーだ」という批判意見や記事がありました。
しかし、『三姉妹』や『獅子の時代』のように架空人物でも主役をつとめてきたのが大河ドラマです。『黄金の日々』の呂宋助左衛門も創作ありきの人物です。
民衆目線を取り入れるため、架空の人物を脇役に用いることは大河ドラマでは定番の技法です。
そこに批判を入れるということは、視聴者側の意識が硬直し、むしろ作風の幅を狭めてしまう危険性があります。
歴史に名を残した有名人物しか描けないとなると、大河の可能性はむしろ狭まるでしょう。
しかもこうした理屈でいうと、琉球史やアイヌ史は大河ドラマから外されることになります。
ただでさえ戦国時代は中部偏重、通史でも京都や東京ばかりが舞台地になりがちな大河ドラマです。
もう一度、原点回帰して「ありとあらゆる娯楽を詰め込んだ日本一の時代劇」を目指してみてもよいのではないでしょうか。
※続きは【次のページへ】をclick!