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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第27回願わくば花の下にて春死なん】
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民の声を献策しよう
かくして地本問屋の会合へ。
蔦重が皆に提案しても「そんな効果的な手があるなら、すでにお上がやっているだろ」と反応はよくありません。
蔦重は巧みに、自分たちにとっても米価高騰はよくないと言います。
確かにあんだけ急ピッチで進めた正月の本も当たりませんでしたからね。みんなあがったりだとぼやいています。
「そう、食えねえってなァ、何もかも悪い方にいっちまうんですよ」
蔦重がまとめると、鶴喜がこう言い出しました。
「私は、お上がもっと身銭を切るべきだと思います。だいたい、金は一切出さない、お触れだけで事をおさめようなんて虫のいいことを考えるから、このようなことになるんです」
おっ、冷静なはずの彼の口調に熱がこもっていて、蔦重も驚いています。
思うことありそうだと水を向ける蔦重。
「あの通りを見て何も思わない者はいないでしょう」
提灯を手にして貧民のたむろする通りをみて、鶴喜は憤りを覚えたようですぜ。
出してもらうなら米がいいと、ここで意見も出てきます。年貢の中から施し米が出せるのではないか。どんどん策が出てくるわけですよ。
やっぱり鶴喜は存在感が重いですね。彼が口火を切ればどんどん意見が出てくる。
以前も書きましたが、やはり鶴喜が耕書堂の暖簾を贈ってくれたからこそ、蔦重も堂々と発言できているというのはあると思います。いわばお墨付きですね。
策を練り上げた蔦重たちは、幕府に提出します。
と、ここの場面をもう少し深掘りしてみましょう。
人間の意見が形成されていく過程がうまく描かれていると思います。
蔦重は風を読むことに長けているから、素早く動こうとしました。それに対してていが理論武装をしてきます。
蔦重は施すことで相手を助けるだけでなく、自分たちにもよい点があると、ていの策を受けて提案できるわけです。
そして鶴喜は、理詰めの説得だけでなく、惨状を目にした憤り、感情が動機の原点にあります。
彼にも芽生えました。困っている人を救えないのはどういうことなのかと。
ていなら「惻隠の情は仁の端なり」と『孟子』から引っ張ってきそうですね。
困った人がいれば助けたいと思う。それは人の自然な心の動きであると。鶴喜の言葉はまさしくこの心の動きです。
しかし皆がそうとは限らず、他の地本問屋は蔦重が誘導し、リーダーである鶴喜が促したことでどんどん意見が出てきます。
こうして意見がまとまっていくと、何かの思想体系があるように思われますが、そうではないと見て取れます。
現代人は何かとイデオロギーが先立ちますが、こういう場面を見て人間の心は、意見はどう形成されていくか、学ぶことにも意義があるでしょう。
そして2027年『逆賊の幕臣』の予習でも。
幕末に猛威を奮った「尊皇攘夷」という思想は、確かに後期水戸学によって形成されてゆきます。
渋沢栄一もそんな思想に染まった一人です。そうはいっても、そういう思想が背景にあるのは武士や豪農といった知識がある層です。
そうではない江戸っ子たちは、むしろ黒船を興味津々で眺めていたものでした。
それが「あのトンビ鼻の異人のせいで何もかもが悪ィんだ!」と憤るようになったのは、横浜開港が契機となって物価高が続いてのことです。
海外輸出のため、物資が江戸を素通りし、横浜で売られてゆく。
慢性的な物資不足が続き、物価もあがってゆく。
それは異人どものせいだと生活苦によって排外主義が煽られて醸成されたわけです。
横浜近郊で外国人居留地に出入りし、かえって生活レベルがあがるような層とは逆の状態となります。
人間の思想形成は、理論を突き崩していくと、単純明快な結論が出てくることが多い。
田沼への憎悪にせよ、幕末の尊皇攘夷にせよ。この蔦重の台詞にまとめられるわけです。
「そう、食えねえってなァ、何もかも悪い方にいっちまうんですよ」
商いこそ、天下の御政道である
意知はこの策を見て驚いています。
いわば「お上が米屋をやる」ということであり、柔軟な意知も「さすがにできない!」と当惑しています。
商いといっても利益を出すわけではない。仕入れ値で引き渡すだけだと蔦重は力説します。
「恐れながらこれは政にございます。市中の民は腹をすかし、流民は肩を寄せ合っております。飢えるまでではなくとも食うことに精いっぱいになれば、本は我慢。普請は諦めよう。湯は十日に一度。床屋もいいとなる。そうやってどんどん金の流れが悪くなる。その流れを断ち切る。これは商いではなく政にございます」
説得されて、徐々に迷い始める意知。話の筋は理解できましたが、御公儀や武家が受け入れるかどうかは別の話だと迷っております。
ひとまず聞き入れ「ご苦労であった」と労うしかありません。
それでも蔦重は去ろうとせず、もうひとつのお願いを言い出します。誰袖の身請けの念押しです。
苦しい立場を承知していると言いつつ、身請けがならなければ身を売らねばならぬと女郎の立場に立って言い切ります。
この言い回しは感動的で優しいようで、蔦重の本質といやァそうですぜ。
結局彼にとって、女郎は哀れで救わねばならない対象なのです。一対一で愛することとはまたちがう。
瀬川相手にはその枠から抜け出せたようで、そうでもなかったのかもしれません。
これはていにせよそうで、ていは女郎に対する偏見がないうえに、自分とは別ものと考えている。ゆえに嫉妬しようがない。蔦重には吉原一の花魁が妻に相応しいというのは、嫉妬でも何でもない冷静な判断に思えます。
誰袖についても「女郎さん」と呼んでいて、負の感情がないように思えました。
すると意知は静かに「それはもう手を打っている」と答えます。
いったいどういうことか?
誰袖に、意知からの文が届いていました。
文すら送れぬほど忙しいことを詫びつつ、米価が下がらぬことで田沼家への風当たりが強まるばかり、策がないと詫びています。
それでも誰袖を待たせられぬ。会えぬのは辛い。そう訴え、策を出します。
土山宗次郎名義で身請けするのだとか。
表向きは土山の妾で、それでもよいかと持ちかけます。体面をつくろう情けなさを詫びつつ、意知は譲歩しました。そしてこう綴ります。
今年の春は、そなたと二人、花の下で月見をしたい――。
誰袖はたまらず涙しながら笑います。
身請けの話はもうなしかと思っていたのに、こんな奇跡が起きたのです。
意知は己の心のままに誰袖を思う
蔦重は意知の口からこれを聞かされ、言葉に詰まっています。
家のためなら女郎一人ぐらい打ち捨てるものと考えていたと驚いている、武家はそういうものだと感極まっています。
意知には苦い先例がありました。
かつて、源内を見捨てるようにと意次に提言したことです。
意次は助けようとしたのに、家と周りのために止めてしまった。そのことそのものは間違っていたとは思わない。それでも後味の悪さが消えない。そう真剣に語ります。
だからこそ、意知は源内が言い残した蝦夷地のことを実現しようとしてきました。
その心積りに寄り添い、力を尽くしてくれた誰袖を打ち捨てられぬと言い切ります。それでは人として話にならない。
西行の歌をもとに狂歌を作ったのに、妻子を捨てたところは似ていない。そんな意知です。
蔦重は意知の誠意に感動し、自分にできることがあれば依頼するように申し出ます。そういえば以前は、蝦夷地のことでの協力を断ったものでした。
「本屋にできることなぞ、たかがしれていますが……」
そう謙遜する蔦重ですが、抜荷地図の入手は本屋の情報ネットワークで得たものでしたね。
この場面は、理屈ではなく感情で動く人の姿があります。
意知は徹頭徹尾、己の心に向き合った決断を語っています。理屈でいえば誰袖なんて捨てることが正しいのに、彼の心はそれを拒んでいるのです。
なかなか興味深い描写です。
意知についてこんな描き方ができるのも、時代の変化を感じさせます。
日本ではむしろ女を性的に搾取し、使い捨てにして、酷い目に遭わせてでも役目に打ち込むことが“武勇伝”とすらされてきました。
理論補強として「英雄色を好む」という言葉もそれらしく語られてきたものです。
あの言葉の出典をおていさんに聞いても首を傾げるばかりでさぁね。
中国の古典にはンな言葉はねえし、日本でも近代以降、女遊びが激しい政治家やら権力者が言い出した言葉らしい。
ようはただの言い訳だな。
現在では大谷翔平選手が妻の出産のために休むことが美談とされていますが、昭和のころならば「女々しいヤツだ!」と言われかねなかったものです。
理屈だの男らしさだの、武士道だの、そういった意味ではそれが正しいのでしょうが、人としての感情を重視してもよいではありませんか。
なお、女を邪険に扱うことを男性同士のネットワークで誇るようになると、ろくでもないことに繋がります。
男友達や仕事仲間の前で交際相手や妻を小馬鹿にし、仲がこじれることは昭和の悪しきあるある話でした。
歴史的な事例で言うと、大変不愉快なものがありまして。
高杉晋作は身請けした女郎を転売し、儲けを出して活動資金を得たことを武勇伝として語っていました。
一体何を考えているのか。
明治維新というのは若き青年が達成したと誇らしげに語られますが、ホモソーシャルの悪ノリという負の側面もあるわけでして。明治元勲周辺の女性に関する話がだいたいろくでもないのは、その反映でしょう。
その悪どさを大河ドラマでロンダリングしようとしたのが2015年『花燃ゆ』。
「いくら吉田松陰先生の妹でもあんなつまんねえ女を妻にしたくねえなぁ〜」と、夫から思われていたヒロインをキラキラさせて描いた作品でした。
あれから10年、大河ドラマのジェンダーは曲がりくねりつつ、かなりまともになりました。
前半の舞台が吉原だからとこれを避けるってえナァ、ちっともったいねえことだと思いやすぜ。
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