一橋治済のもとへ、島津重豪と松前兄弟が来ています。
松前道廣が「蝦夷の上知を中止して欲しい」と訴えているのです。
その言い草が酷い。祖先が蝦夷を戦いで平定したと大きく出るところが、コイツはなんなのかと突っ込みたくもなる。あれだけ広い蝦夷地を平定だと?
しかも、です。史実を見れば、この後、アイヌを酷使した結果、クナシリ・メナシの戦いが起こる。それを考えると、ますます腹立たしくなってきます。
御公儀を盗人呼ばわりする道廣の偽善者ぶりが、ドラマ的に最高といえばその通り。アイヌの暮らしている土地を勝手に所有権云々言い出したのは、和人の身勝手ではないかと言いたくなります。
「わ……私は、田沼に騙され……女郎が……」
「黙っておれ!」
慌てながら話し始める廣年を黙らせる道廣。わけがわからない治済はここで止めに入ります。
なお、史実でも廣年はこの年に松前へ戻っております。ドラマで描かれてきたのは、文人・蠣崎波響として名を為す前夜の姿でした。
あらためて島津重豪が「田沼が蝦夷の上地を企んでいる」と解説。どういうわけか、重豪は密書の写しを手に入れております。
幕府が松前から蝦夷を取り上げ、金蔵にするつもりだとのこと。
重豪は、例の桜の宴も田沼が探りに来たのだと続けます。
「面白くないのう……わしは桜が好きであるのに、心より楽しめぬようになってしまったではないか」
何やら思惑ありげに語る治済。桜の木に縛りつけた人を松前道廣が撃つことは平気だったくせに、今さら何を言うのか。
冒頭から実に意義ある場面となっております。
悪の一味扱いをされている島津重豪は、薩摩藩の借金を回復不可能なまでに膨れ上がらせておきながら贅沢を楽しむという、人としていかがなものかと思える面もあります。
それがなんとなく名君扱いであるのは、幕末の島津斉彬のロールモデルであるからでしょう。
そういう島津タブーに切り込む大河ドラマは実に果敢。再来年も期待したいところです。
命運は米の値段にかかっているが
そのころ田沼意知は、誰袖のもとで蝦夷のことを話していました。
家老である松前廣年は琥珀取引のため蝦夷地に戻ったのだと、すっかり騙されています。
今後は松前道廣と直に取引するのだと誰袖。
意知も、誰袖も、道廣と廣年が見抜いていることに全く気づいていない。
それよりも誰袖は米の値段が下がるかどうかを気にしています。
と、意知は楽観的に目処がついたと言い切る。
諸国から米が入り、もうすぐ御触れ「米穀売買勝手次第」も出せるのだとか。しばらくの間は誰でも米を自由に売ってもよい――そんなお触れですね。
誰袖は嬉しそうに、身請けに期待を見せております。
意知も微笑みながら「そういきたいところだ」と返す。そして誰袖の膝に横たわり、彼女の顔を下から眺めるのでした。
「春にはここに花があるとよいのう。そなたと桜の木の下で……」
そう見つめ合う二人は幸せそのものに見えます。
しかし……。

月岡芳年『月百姿 廓の月』/wikipediaより引用
ど〜んと下がったのは米価ではなく田沼の評判でした。
お触れは全く効き目がなかったのです。
徳川治貞が苦々しい声音で「米の値段は今日も百文五合だ!」と語っています。
蕎麦一杯の価格を十六文で換算しまして、江戸成人男性一日あたりの米消費量を五合だとしますと、実にべらぼうな高値だとわかります。
おまけに江戸には諸国から流民がやってきて、困窮者を救うお救小屋も満員だとか。
責任を問われ、田沼意次は縮こまるほかありません。
江戸に流民がやってくる
蔦屋重三郎も参加することになった地本問屋の会合でも、田沼への不満だらけとなります。
ここの悪口の内容がいかにも江戸っ子らしい。
「屁っこきまいないご勝手次第」と揶揄しております。
幕府の出した「米穀売買勝手次第(べいこくばいばい)」をもじったもので、「まいない」とは賄賂のことですね。
売買を自由にしたことで、逆に田沼意次は、米穀の流通を操りながら中抜きをしているのではないかと噂されるようになってしまいました。
特定の業者を儲けさせるためにお触れを出したと、江戸っ子たちに勘違いされたのですね。
なんとなく気まずそうな蔦重に、若年寄になった意知の噂も語られます。なんでも吉原で紙花を撒いているのだとか。さすがに、これはまずいと思ったのか、蔦重は噂の出所を尋ねています。
すると鶴屋喜右衛門が奉行所から戻ってきました。なんでも流民は順番にお救小屋に入れるので、待っているようにとのこと。
本屋たちからすりゃァ、流民がうろついているのが嫌で仕方ないんですね。
蔦重が、引き取りがくるまで炊き出しをしないかと提案しても、そんなことをしたら流民の溜まり場になり、後からどんどん集まってくると、あっさり反対されてしまいます。まぁ、そうなりますよね。
鶴喜も、流民の扱いはお上の領分、お上がなんとかすべきだと言い切ります。
「蔦屋の身代を潰す覚悟がおありなら、米穀炊き出しご勝手次第」
米穀炊き出しとは何を上手いことを……と突っ込むこともできず、目が泳ぐ蔦重でした。

飢饉で牛馬や猫、人の肉を食べる人々/wikipediaより引用
大河ドラマは、非常に勉強になる年と、記憶からとっとと焼き消すべき年の差が実に大きいものですが、今年は稀なる大当たりで。
今回上書きすべきは『青天を衝け』です。
あの作品では明治になってから渋沢栄一が慈善事業をしている場面がありました。確かに彼にそういう一面がなかったわけではない。
しかし陥りやすい罠があります。「ノブレス・オブリージュ」は、明治以降、あたかも西洋から入ってきたような誘導がみられました。
日本の国民性の説明としても、いかにもそれっぽく、そういう意識が伝統的になかったようなことを言われます。
しかし、そういう単純な話でもありません。
江戸時代はやたらと番付、いわゆるランキング表を作ったものでした。
そして幕末には「お救い番付」もできているのです。
火災や地震のあと、豪商がお救いをする。これを番付にしてありがたがる。そういう慣習が出来上がっていました。
吉原の女郎が自腹を切って救済したという美談も伝えられています。
あるいは幕末長州にも白石正一郎という奇兵隊のスポンサーになった商人がいました。正一郎はそのために破産するほど。
ともかく慈善事業は江戸時代からあったんですね。
そして、今回の描写を見ていると、江戸時代の民衆がお上に向ける厳しい目線が見えてきます。
幕府が財政改革に手をつけようとする際、特定の商人が儲かるような構図を嗅ぎつけると反発が起こるのです。
政と財の癒着が悪化したのは、明治時代以降ともいえます。
長州の井上馨は、西郷隆盛から「三井の番頭さん」と皮肉られるほど商人とべったりと癒着していたものでした。
『青天を衝け』では五代友厚が渋沢栄一のイケメンライバルとして出ていましたが……。
開拓使官有物払下げ事件では清廉潔白だのなんだの悔しそうに語っていました。
まるで五代は悪くない、ハメられた、というような印象を視聴者に与えていましたが、さすがにやりすぎでしょう。
同じ薩摩閥の黒田清隆とあれだけ距離が近く、契約に手を挙げた地元業者を差し置いて五代が推されたら、そりゃあ怪しまれるでしょう。
明治時代をやたらと潔癖であったと美化したい、あのドラマの狙いは一体何だったのでしょう?
単に美しい世界だけを描きたかったのですかね。
佐野政言を助けたい意知
田沼屋敷に佐野政豊が乗り込んできました。
そして系図を返すように、なにやら叫んでいます。
田沼意次は本気で忘れているのでしょう。隣で田沼意知が暗い顔をしています。
息子の佐野政言が持ち込んできた系図を、意次が意知から取り上げ、無造作に池の中へ投げ込んでいましたよね。それを政豊は騙して取り上げたのだと誤解しています。
なんでも田沼は佐野の家来筋にあたる家なのだとか。
それを書き換えて出自を偽るつもりなのだろうと怒りくるっているのです。
するとそこへ佐野政言本人がやってきて、頭をさげ、父の無体を謝ります。耄碌しているのだと訴えると、叫び暴れる父を連れて出て行くのでした。
意次は系図のことはさっぱり忘れており、耄碌は厄介だと笑い飛ばします。
と、意知が冷静に池に投げたことを説明します。
ようやく思い出す意次。意知が、政言を引き立ててくれるよう頼むと、めぼしい役目は空いていないと面倒な顔をするだけです。
そして意知に自分で引き立てよ、と丸投げ。
意知は、城内で出会った政言に優しく声をかけ、家治の狩りのお供に政言を推挙したと告げます。
その様子を遠くから眺めていた一橋治済が、あれは誰だと表坊主に確認しております。表坊主とは案内を務める役で、情報収集をする機会があるものでした。
狩りの当日、佐野政言は鳥を射ています。
しかし、獲物はあがってきていないとか。政言は獲物を確認するも、確かにおりません。まだ林の中にいるのではないかと、意知と共に探しに行きます。
政言が、意知に頭を下げると、意知は穏やかに「政言が上様の目に留まればよい」と励ましている。
結局、獲物は見つかりませんでした。
徳川家治の前で頭を下げるしかない政言。意知も家治たちを待たせてしまったことを詫びています。
すると「友を信じる意知の心根がよい」と褒める家治。
政言は、とぼとぼと重い足取りで帰宅するしかありません。
父の政豊は、狩のお供を務めたのならば、刀だけでも連れて行ってもらいたかったと機嫌の良さそうなのが政言の心を余計に重くする。
と、そこへ何者かがやってきて、話があるといい出すではありませんか。平賀源内を罠にはめた丈右衛門と同じ男のようです。
名を控えながら、その男がスッと差し出してきたものは、政言の矢が仕留めた獲物でした。なんでもこの男もあの狩にいて、意知が獲物を隠す場を見てしまったと語るのです。
「偽りだ」と政言は信じませんが、見てしまったものは仕方ないと男は訴えてきます。
こうして暴露することは、田沼側に知られたら危険であるにもかかわらず、佐野殿がお気の毒だからわざわざやって来たのだと。
その後、煙草屋の看板が燃え、そこで浪人らしき男が射殺される不穏な場面が入ります。この煙草屋は平秩東作の店でしょうか。
米不足が人心を荒廃させる
一向に値下がる気配のない米価をどうするか。
一堂で対策を練っていると、大阪から江戸への下り米を増やすうことはできないか?と意知が確認しています。
聞けば、伊勢や尾張でも高騰しており難しいようで。
大阪から江戸へ到達する前に売られてしまうとのことです。
思わず三浦が「印旛沼の普請が間に合っておりましたらなぁ……」と漏らす。
これが当時の国力が頭打ちになった一因を示しているともいえます。
乱世がやっと終わった江戸時代初期は、未開拓の土地がありました。米を増産すれば右肩上がりになる。しかし時代が進めば新田開発できる土地はなくなり、ジリ貧です。
浅間山噴火と異常気象が米価高騰の決定打ではありますが、当時の政治がいかに危うい基盤の上にあったかも浮かんでくる場面ですね。
場面は耕書堂へ。大文字屋がつよに髪結をされています。
手にしているのは前回作り上げていた狂歌集で、どうにも売れなかったようで。
景気が悪いと苦い口調で返しつつ、吉原の賑わいを逆に尋ねる蔦重です。
と、なんでも「へっこき次第で景気のいい連中」は派手に金を使っているから食えているのだとか。
一方で身売りは増えているようです。
北から逃れてきた母子が「親子で女郎をやらせてくれないか」と頼み込んできたこともあったのだとか。しかも、女衒も通さず直接やってきたそうです。
つよは、今は江戸に来ても食わせても雇ってももらえないという事情を説明します。
どの文化圏でも近世都市が発達すると、そこに吸い込まれるようにして人が集まってくるものです。
しかし、将軍様のお膝元がもはや疲弊し切っているのでした。蔦重は握り飯ひとつも出せない現状を嘆き、こうつぶやきます。
「どっちが忘八なんだか……」
人を助けたい心の芽生えを感じます。ていなら眼鏡を押し上げつつ、「仁」の心だというところでしょうか。
そのていがお茶を出し、部屋を出てゆきます。つよの髪結も終わったようです。
お茶は今と同じ煎茶ですね。
日本では南宋の頃に伝わった抹茶を長らく飲んできました。『光る君へ』のまひろが太宰府で驚きつつ飲んでいた場面はそれを表しております。
中国では明代に抹茶禁止令が出され、煎茶に置き換わってゆきました。今の中国では抹茶リバイバルの機運も高まっているそうです。
日本での煎茶は、『べらぼう』が始まる前の江戸時代前期、庶民でもお茶を飲めるよう黄檗宗の売茶翁という僧侶が広め、定着してゆきました。庶民の新しい飲み方ってことですな。
それにしても、なぜ大文字屋はわざわざ日本橋まで来たのか。
蔦重は田沼の評判を聞きたがっています。「悪の権化」呼ばわりを気にしているのですね。
その状況は大文字屋も同じで、もう身請けは流れると思うべきかと暗い顔をしています。
身請け話自体が初めて聞く話で、驚くばかりの蔦重。
米価が下がって田沼の評判も持ち直せば身請けすると、意知様が請け負っていたと大文字屋が語りますが、それも今回の対策次第で、お流れになりそうだと悲観しているのです。
でも、これもとんでもねぇ話っちゃそうですぜ。こんなもんが市中に流れたら、ますます評判が下落しまさぁ。
ただでさえ、田沼周辺には淫らな醜聞がつきまとっております。
意次は大変な美男子で、大奥でも大人気でした。顔が良いだけでなく、身のこなしや態度が総合的によろしかったのでしょう。
家治にお知保の方を勧めたのも意次で、家治はその条件として「そなたも妾を持て」と勧めたなどという話もあります。
田沼は新参者で古くからの付き合いがないため、姻戚関係や大奥人脈も活用して政治的に泳ぎ切らねばなりません。
そんな事情も悪い方向に解釈されてしまうのですね。
米の値を下げれば一挙五得
このあと蔦重は、身請け話が暗礁に乗り上げていることを歌麿に漏らしています。
そこへていが入ってきました。
彼女が来たなら、歌麿は座布団を譲って奥へ座るしかない。このときの諦め切っているようで不満げな顔がなんともいえませんぜ。
「“一挙両得”と申します。ご存知ですか? ならばここは“一挙五得”となさるがよろしいかと」
ていが再び四文字熟語を出してきました。しかも軍師みてえなこと言い出しましたね。蔦重はこういうセンスが好きなんだな。

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個・智多星呉用/wikipediaより引用
さて、策はこうだ。
◆米価が下がるどんな得がある?
①女郎さん誰袖の身請けが成立する
②田沼様の評判も持ち直す
③市中(江戸の住人)も助かる
④流民(江戸の外から来た人)にも施しが行き渡る
⑤旦那様の願いが叶う
スラスラと述べますが、蔦重が「おていさん、聞いてたの?」とボソッといいます。
これが今回のテーマで、情報はどう漏れて流れるか、そこが重要だと思いやすぜ。
蔦重は面白がっておりやすが、この理詰めぶりは参っちまう人もいると思います。北尾政演とかさ。
蔦重としても米価を下げたいけど、お上が何をしてもできねえと返すしかありません。
そこで、ていは、いつものように知恵を絞ることを提案します。町からお上に献策――それが日本橋らしさだと彼女は言うのです。
蔦重は一瞬驚きつつ、すぐに理解し軽く頷いています。それを見ていた歌麿は「もうやってられない」とばかりに立ち上がり、去ってゆく。
蔦重は旦那衆に声をかけると言い出し、ていと策を練り出しました。
これがていの求めていたものでしょう。
イケメンとイチャイチャとかそういうのではない。自分の意見を聞いて、理解し、次へと移ってくれる。そういう関係性が欲しかったのだと見ていてわかります。
「日本橋らしさ」というのもどういうことか?というと、民衆の意見をお上に届ける、そういう特権的な性質を踏まえたものだと思えます。
有名な例が徳川吉宗の目安箱ですね。
民衆の声を聞き入れる民主主義というと、古代ギリシャが始点とされることが多いものです。
他の文化圏で無かったのか?かというと、そういうわけでもない。
江戸時代の民衆は無知で一方的に搾取されるものではないという、そんな偏見への異議申し立てをこのドラマは感じさせます。
うなだれながら外を歩く歌麿と、提灯を手にして夜の街にいる鶴喜の姿が……。
本作は、夜間照明の使い方がとても美しく、それこそ浮世絵の描いた夜景を思わせるものがあります。

歌川国貞『夜の吉原』/wikipediaより引用
人間が広く夜間盛んに行動するようになるには、いくつか条件設定があります。
『光る君へ』の平安時代だって、貴族ならば夜に読書や執筆はできたことでしょう。
それでも、あのドラマの夜の場面で印象的なのは月の光でした。劇中でも引かれた「蛍雪の功」とは、蛍の光や雪の反射で書物を読むという意味。
そもそも古代には、灯りそのものがない環境の方が多い。
江戸時代ともなると、その状況は一変。
精油技術も発達し、夜間に活動ができるようになり、それこそ吉原のような施設もできあがる。
それだけに江戸時代を舞台にしたドラマというのは、夜間撮影や照明の使い方が見どころとなるわけです。
民の声を献策しよう
かくして地本問屋の会合へ。
蔦重が皆に提案しても「そんな効果的な手があるなら、すでにお上がやっているだろ」と反応はよくありません。
蔦重は巧みに、自分たちにとっても米価高騰はよくないと言います。
確かにあんだけ急ピッチで進めた正月の本も当たりませんでしたからね。みんなあがったりだとぼやいています。
「そう、食えねえってなァ、何もかも悪い方にいっちまうんですよ」
蔦重がまとめると、鶴喜がこう言い出しました。
「私は、お上がもっと身銭を切るべきだと思います。だいたい、金は一切出さない、お触れだけで事をおさめようなんて虫のいいことを考えるから、このようなことになるんです」
おっ、冷静なはずの彼の口調に熱がこもっていて、蔦重も驚いています。
思うことありそうだと水を向ける蔦重。
「あの通りを見て何も思わない者はいないでしょう」
提灯を手にして貧民のたむろする通りをみて、鶴喜は憤りを覚えたようですぜ。
出してもらうなら米がいいと、ここで意見も出てきます。年貢の中から施し米が出せるのではないか。どんどん策が出てくるわけですよ。
やっぱり鶴喜は存在感が重いですね。彼が口火を切ればどんどん意見が出てくる。
以前も書きましたが、やはり鶴喜が耕書堂の暖簾を贈ってくれたからこそ、蔦重も堂々と発言できているというのはあると思います。いわばお墨付きですね。
策を練り上げた蔦重たちは、幕府に提出します。
と、ここの場面をもう少し深掘りしてみましょう。
人間の意見が形成されていく過程がうまく描かれていると思います。
蔦重は風を読むことに長けているから、素早く動こうとしました。それに対してていが理論武装をしてきます。
蔦重は施すことで相手を助けるだけでなく、自分たちにもよい点があると、ていの策を受けて提案できるわけです。
そして鶴喜は、理詰めの説得だけでなく、惨状を目にした憤り、感情が動機の原点にあります。
彼にも芽生えました。困っている人を救えないのはどういうことなのかと。
ていなら「惻隠の情は仁の端なり」と『孟子』から引っ張ってきそうですね。
困った人がいれば助けたいと思う。それは人の自然な心の動きであると。鶴喜の言葉はまさしくこの心の動きです。
しかし皆がそうとは限らず、他の地本問屋は蔦重が誘導し、リーダーである鶴喜が促したことでどんどん意見が出てきます。
こうして意見がまとまっていくと、何かの思想体系があるように思われますが、そうではないと見て取れます。
現代人は何かとイデオロギーが先立ちますが、こういう場面を見て人間の心は、意見はどう形成されていくか、学ぶことにも意義があるでしょう。
そして2027年『逆賊の幕臣』の予習でも。
幕末に猛威を奮った「尊皇攘夷」という思想は、確かに後期水戸学によって形成されてゆきます。
渋沢栄一もそんな思想に染まった一人です。そうはいっても、そういう思想が背景にあるのは武士や豪農といった知識がある層です。
そうではない江戸っ子たちは、むしろ黒船を興味津々で眺めていたものでした。
それが「あのトンビ鼻の異人のせいで何もかもが悪ィんだ!」と憤るようになったのは、横浜開港が契機となって物価高が続いてのことです。
海外輸出のため、物資が江戸を素通りし、横浜で売られてゆく。
慢性的な物資不足が続き、物価もあがってゆく。
それは異人どものせいだと生活苦によって排外主義が煽られて醸成されたわけです。
横浜近郊で外国人居留地に出入りし、かえって生活レベルがあがるような層とは逆の状態となります。
人間の思想形成は、理論を突き崩していくと、単純明快な結論が出てくることが多い。
田沼への憎悪にせよ、幕末の尊皇攘夷にせよ。この蔦重の台詞にまとめられるわけです。
「そう、食えねえってなァ、何もかも悪い方にいっちまうんですよ」
商いこそ、天下の御政道である
意知はこの策を見て驚いています。
いわば「お上が米屋をやる」ということであり、柔軟な意知も「さすがにできない!」と当惑しています。
商いといっても利益を出すわけではない。仕入れ値で引き渡すだけだと蔦重は力説します。
「恐れながらこれは政にございます。市中の民は腹をすかし、流民は肩を寄せ合っております。飢えるまでではなくとも食うことに精いっぱいになれば、本は我慢。普請は諦めよう。湯は十日に一度。床屋もいいとなる。そうやってどんどん金の流れが悪くなる。その流れを断ち切る。これは商いではなく政にございます」
説得されて、徐々に迷い始める意知。話の筋は理解できましたが、御公儀や武家が受け入れるかどうかは別の話だと迷っております。
ひとまず聞き入れ「ご苦労であった」と労うしかありません。
それでも蔦重は去ろうとせず、もうひとつのお願いを言い出します。誰袖の身請けの念押しです。
苦しい立場を承知していると言いつつ、身請けがならなければ身を売らねばならぬと女郎の立場に立って言い切ります。
この言い回しは感動的で優しいようで、蔦重の本質といやァそうですぜ。
結局彼にとって、女郎は哀れで救わねばならない対象なのです。一対一で愛することとはまたちがう。
瀬川相手にはその枠から抜け出せたようで、そうでもなかったのかもしれません。
これはていにせよそうで、ていは女郎に対する偏見がないうえに、自分とは別ものと考えている。ゆえに嫉妬しようがない。蔦重には吉原一の花魁が妻に相応しいというのは、嫉妬でも何でもない冷静な判断に思えます。
誰袖についても「女郎さん」と呼んでいて、負の感情がないように思えました。
すると意知は静かに「それはもう手を打っている」と答えます。
いったいどういうことか?
誰袖に、意知からの文が届いていました。
文すら送れぬほど忙しいことを詫びつつ、米価が下がらぬことで田沼家への風当たりが強まるばかり、策がないと詫びています。
それでも誰袖を待たせられぬ。会えぬのは辛い。そう訴え、策を出します。
土山宗次郎名義で身請けするのだとか。
表向きは土山の妾で、それでもよいかと持ちかけます。体面をつくろう情けなさを詫びつつ、意知は譲歩しました。そしてこう綴ります。
今年の春は、そなたと二人、花の下で月見をしたい――。
誰袖はたまらず涙しながら笑います。
身請けの話はもうなしかと思っていたのに、こんな奇跡が起きたのです。
意知は己の心のままに誰袖を思う
蔦重は意知の口からこれを聞かされ、言葉に詰まっています。
家のためなら女郎一人ぐらい打ち捨てるものと考えていたと驚いている、武家はそういうものだと感極まっています。
意知には苦い先例がありました。
かつて、源内を見捨てるようにと意次に提言したことです。
意次は助けようとしたのに、家と周りのために止めてしまった。そのことそのものは間違っていたとは思わない。それでも後味の悪さが消えない。そう真剣に語ります。
だからこそ、意知は源内が言い残した蝦夷地のことを実現しようとしてきました。
その心積りに寄り添い、力を尽くしてくれた誰袖を打ち捨てられぬと言い切ります。それでは人として話にならない。
西行の歌をもとに狂歌を作ったのに、妻子を捨てたところは似ていない。そんな意知です。
蔦重は意知の誠意に感動し、自分にできることがあれば依頼するように申し出ます。そういえば以前は、蝦夷地のことでの協力を断ったものでした。
「本屋にできることなぞ、たかがしれていますが……」
そう謙遜する蔦重ですが、抜荷地図の入手は本屋の情報ネットワークで得たものでしたね。
この場面は、理屈ではなく感情で動く人の姿があります。
意知は徹頭徹尾、己の心に向き合った決断を語っています。理屈でいえば誰袖なんて捨てることが正しいのに、彼の心はそれを拒んでいるのです。
なかなか興味深い描写です。
意知についてこんな描き方ができるのも、時代の変化を感じさせます。
日本ではむしろ女を性的に搾取し、使い捨てにして、酷い目に遭わせてでも役目に打ち込むことが“武勇伝”とすらされてきました。
理論補強として「英雄色を好む」という言葉もそれらしく語られてきたものです。
あの言葉の出典をおていさんに聞いても首を傾げるばかりでさぁね。
中国の古典にはンな言葉はねえし、日本でも近代以降、女遊びが激しい政治家やら権力者が言い出した言葉らしい。
ようはただの言い訳だな。
現在では大谷翔平選手が妻の出産のために休むことが美談とされていますが、昭和のころならば「女々しいヤツだ!」と言われかねなかったものです。
理屈だの男らしさだの、武士道だの、そういった意味ではそれが正しいのでしょうが、人としての感情を重視してもよいではありませんか。
なお、女を邪険に扱うことを男性同士のネットワークで誇るようになると、ろくでもないことに繋がります。
男友達や仕事仲間の前で交際相手や妻を小馬鹿にし、仲がこじれることは昭和の悪しきあるある話でした。
歴史的な事例で言うと、大変不愉快なものがありまして。
高杉晋作は身請けした女郎を転売し、儲けを出して活動資金を得たことを武勇伝として語っていました。
一体何を考えているのか。
明治維新というのは若き青年が達成したと誇らしげに語られますが、ホモソーシャルの悪ノリという負の側面もあるわけでして。明治元勲周辺の女性に関する話がだいたいろくでもないのは、その反映でしょう。
その悪どさを大河ドラマでロンダリングしようとしたのが2015年『花燃ゆ』。
「いくら吉田松陰先生の妹でもあんなつまんねえ女を妻にしたくねえなぁ〜」と、夫から思われていたヒロインをキラキラさせて描いた作品でした。
あれから10年、大河ドラマのジェンダーは曲がりくねりつつ、かなりまともになりました。
前半の舞台が吉原だからとこれを避けるってえナァ、ちっともったいねえことだと思いやすぜ。
田沼と佐野親子
幕閣が米対策を話し合っています。
なんでも大坂では悪徳米問屋を奉行所がまとめて投獄したのだとか。
「勝手次第」を悪用し、悪質な買い上げを行なっていたそうで、召し上げた米はなんと20万石!江戸でもそうしたらどうかと提案されています。
そこで意知が策を言い出します。
大坂で奉行所が召し上げた米を公儀が安く買い上げ、その値で市中に払い下げてはどうか――政と商を結びつけております。
武家が商売をすることへの反論はあろうものの、これは商いではなく政だと考えられないかと訴えます。飢えに苦しむ民を救う政なのだと。
「天下のご政道のために、どうか!」
さて、この策は通るのか?
意知は、自身の提案した策はどうかと意次に話しかけています。
あのくらいはワシも思いついていた、とは言いつつ、我が子の聡明さを誇りたい、そんな思いがあふれた口調です。父と子はこうして廊下を歩いてゆきます。
二人の後ろ姿を見送る他の幕臣たち。ここでも意知の吉原通いが噂になっているようです。米の値上げをして私服を肥やしていると、ヒソヒソと噂しています。
「実直そうな顔をして恐ろしいのう」
そう語る言葉を、佐野政言はじっと聞いています。穏やかなはずの彼の顔に、ふと憎しみがよぎる……。
佐野の家で、佐野政豊がこうつぶやいています。
「佐野の桜はなぜ咲かぬのじゃ?」
政言は、寿命のようだと返しながら、中へ入るよう促すと、政豊は我が子を突き飛ばし、怒鳴りました。
「愚か者め! これはかつて綱吉公より賜った桜の樹! それを枯らしてしまうとは!」
私が枯らしたわけではないと政言は弁明するも、父には届きません。杖を振りかぶり、打ち据えてきます。
「愚か者め! 出来損ないめ! お前のせいで!」
華やかな田沼親子と比べたら、あまりに哀れな環境にいる政言。やるせない気持ちでいると、あの謎の男がやってきて、政豊も動きを止められています。
政言は、謎の男に向かって弱音を吐いてしまいます。
9人の娘のあと、やっと生まれた待望の男子が政言でした。父がそれを喜び、こう言いました。
「そなたが来てくれれば我が家は安泰じゃ。そなたの働きで、佐野の桜はますます咲き誇ろう」
そこまでしてやっと息子を得たというのに、いつまでたってもうだつが上がらない。そのうえ家宝の桜が咲かぬ。そうなれば当たりたくなるだろうと、父に理解を示しております。
男はここである噂を教えようとします。
迷いながらも、我慢できず、伝えておきたい……それは田沼が佐野の系図を預かり、なきものにしたというものです。
嘘でありつつ、一部は真実が混ざっている。確かに意次が捨ててしまいました。
そして男は、田沼の桜のことを言い出します。
田沼から寄進されてみるみるうちに育ち、見事な花を咲かせて愛でられているのだとか。
あれも、元は佐野の桜ではないかと男は煽ってくるのです。
咲き誇る桜と枯れた桜
田沼屋敷にて、意次は大阪で買い占めた米6万石を公儀で買うことにしたと意知に語っています。
意知が礼をいうと、意次はこれで首が皮一枚でつながったと満足そう。
「昔、白眉毛に言われてな。金などいざというときは役にたたん。腹を満たしてもくれぬし、身を守ってもくれぬ。まことに頼りになるのは米と刀だと。今となっては身に沁みるわ」
意知は父の言葉を聞き、今のうちに米の蓄えを見直すべきかもしれぬと言い出しました。
意次も同意し、印旛沼の干拓のこともを言い出します。
さらには蝦夷地の米作りも俎上にのぼります。
はじめは金山銀山の発見を目玉にしていたはずが、米栽培に目的が変わったことがみてとれます。
三浦は、親子が息をするように政の話をしていることに感心するばかり。彼の目からみても、意知の優れた資質がつかめるということでしょう。
意知は政より面白い話はないと言い切ります。そう笑いあう父と子でした。
佐野政言は、庭の桜を前に一人うなだれています。
その隣に父が腰を下ろし、杖を振りながらこう叫び出しました。
「咲け〜! 咲け〜! 咲け〜!」
「何故、何故こうも違うのか……」
そんな父を見て、政言は苦しそうにそう絞り出し、思わず涙してしまいます。
そんな我が子に気づいたのか、父は歩み寄り、こう言います。
「よう来た。よう来てくれたのう、源之助。そなたが来てくれれば我が家は安泰じゃ。そなたの働きで佐野の桜はますます咲き誇ろう! 見よ、これが当家の桜」
そう言われた政言は膝をつき、涙を落とすしかありません。
父はまた桜の前で杖を振り回します。
「父上! 私が……咲かせてご覧に入れましょう」
そう泣き笑う政言。我が子の顔をみて、父はニコニコと笑い、二人で枯れた桜を見上げるのでした。
その晩、政言は刀の手入れをしています。
実に美しい場面です。
血は一滴も流れていない。それなのに刃と、手にしたものの狂気が底光りするようで、これから起こる惨劇を予感させます。
画面に血や惨劇を描かずとも、その直前で止めて緊迫感を見せる技法は浮世絵にもある――そんな静謐さを思わせる画面です。

月岡芳年『藤原保昌月下弄笛図』/wikipediaより引用
桜の花を二人で見られたら
身請け前の誰袖に、蔦重が美人画を贈っています。カボチャから相手との出会いを聞き、歌麿に描かせた絵です。
誰袖は蔦重の顔をそっと触ります。なんでも嫌な客に当たったときは、この顔を心のうちで相手に被せて愛想良く振る舞うようにしたのだとか。
まあ現実逃避っちゃそうですが、これも蔦重が瀬川と夫婦になれなかった一因だと思いやすぜ。
花魁が美男とくっついたとなりゃ、客だって「やはり花魁もイケメンに限るよな」と現実を思い浮かべちまさ。吉原は騙してこそだからな。
それもこの絵の日、意知と出会うまでだと誰袖は言います。
大文字屋もうまくやったと満足しつつ、皆花魁のように逞しい腹黒になって欲しいと言います。
吉原はぼーっとしていて幸せになれる場所じゃないと言いますが、それで果たしてよいのかどうか。そんな危険な策を練り放題の場所になったら痛い目みますぜ。
蔦重はいつか本当のことを言えるようになったら、本にしたいと言い出します。
生きる女郎の励みになると言いますが、そんな実録スパイじみたものを書いて出していいもんですかね……。
誰袖は美しく描くならよいと言いますが。
桜が咲き、鳥が鳴く春の空の下、誰袖は蔦重がすっかり日本橋らしくなったと言います。
蔦重は自分はいつになっても吉原者だと返しております。
雲助に今日会えるのかと蔦重に聞かれ、誰袖は微笑みながらこう答えます。
「今宵は二人、花の下で月を見ようと。西行は花の下にて死なんとか……雲助袖の下にて死にたし……だそうで」
そう雲助作の狂歌を詠む誰袖です。
そのころ意知は江戸城の廊下にいました。花見の約束ゆえ居残りはしない……とのことで、微笑みながら歩いてゆきます。
蔦重が無邪気な顔をした彼女に声をかけます。
「かをり。とびきり幸せになれよ、二人で」
「言われずとも、んふ……誰よりも幸せな二人に」
江戸城では、佐野政言が意知を呼び止め、刀を抜くのでした。

田沼意知(左)に斬りかかる佐野政言/国立国会図書館
MVP:佐野政言
今年の大河は時勢をうまく反映しているとされます。
社会システムが限界に達し、それが人の心身をいかに蝕むか、じっくり見せてくる作品といえます。
この時代、武士の苦しみというのは、父祖の期待に応じられないこと。上回ることができない頭打ちの状態にあります。
禄高は上がりません。
恋川春町、朋誠堂喜三二、大田南畝のように才能でもなければ、満足感付きの副収入を得ることもできません。

唐衣橘洲(左)と大田南畝(四方赤良)/国立国会図書館蔵
時代劇の定番描写として内職に励む浪人があったものです。傘張りなどをして副収入を得ているわけですね。
実際のところは浪人ではない旗本御家人も、そうして副業でもしなければ生きていけなかったものです。
佐野だけでなく、どこの桜も咲き誇らないことが当たり前。それなのに咲く田沼がおかしい。そういう時代に到達しているのです。
そんな絶望感から自暴自棄になる姿は、アメリカのバンス副大統領の『ヒルビリーエレジー』を思い出してしまいました。
さしずめ「佐野桜哀歌」ですかね。
上の世代のように上向きになれない。期待に潰されそうになっている。そして破滅へ向かってゆく。
そんな佐野政言は江戸時代中期ならではの人物というよりも、現在世界中で増えている絶望する人々を思わせてなりません。
絶望の発散は時代と国により異なってきます。
江戸時代中期の武士である佐野政言は刃傷沙汰からの切腹へとなるわけです。
嗚呼、武士は辛い……その辛さをこんなに綿密に描かれてどうすればよいのか。
ちなみに、武士の困窮はどうなっていくのか。
再来年の大河ドラマの予習もしておきやしょう。
幕末に向けていく時代、日本を知った外国人たちは、ブシドーに感動したかというと、そんなわけはありません。
やたらとキレやすいうえに独自のルールを振り翳し、破る外国人だと見做せばサムライソードで殺しにくる、恐るべき存在だと思っておりました。
それのみならず、1852年(嘉永5年)にイギリスで刊行されたガイドブックには、こうあります。
日本は支配される側よりもする側が苦しい珍しい国。
帝も将軍も武士も、船室のベッドにくくられて自由のない生活をしているのだ。
ヨーロッパ人からみれば、彼らの境遇はガレー船を漕ぐ奴隷のようなものである。
それと比較しますと、支配される側の町人もルールに縛られてはいるし、尊敬されることはないものの、武士よりははるかにマシだと分析されております。
こうした記述を読みつつ、今回の佐野を見ていると、追い詰められた武士の境遇は本当に酷いものだと思わざるを得ません。
そこを踏まえまして、武士道に対する礼賛は一体何なのかと疑念を覚えずにはいられません。
自分たちはそれを誇りに思うかもしれませんが、「ガレー船の奴隷であることをそんなに誇るもんか?」と突っ込まれかねないということですね。
「俺には武士の魂がインストールされているんだ!」という方。
SNSのバイオに「おもしろきこともなき世をおもしろく」と書いている方がいます。
でも歴史が本当に好きなのか、あっしは疑問を抱いちまうもんでして。
武士は海外から見れば“ガレー船の奴隷”にもなりうるし、高杉晋作の愉快なライフハックには、前述した女郎転売で利益を出したことも入っているわけでして。
歴史を知ると、わけわからんトリビアで己を飾ることは少なくなるもんだとあっしは思いやすがね。
総評
今回は誰袖、田沼意知、佐野政言の悲劇が目につきます。
それだけでなく、ある重要な要素、歴史の転換点も見えてきます。
それはインテリジェンスですね。
情報の収集と分析、諜報といったことを指します。
今回はどこかモヤモヤと気持ち悪いものがつきまとっています。
それは情報がどこから漏れて、どう広まってゆくのか。情報汚染であるインフォデミックの様が描かれています。
今回の展開は『鎌倉殿の13人』での善児を連想させます。
しかし、大きな違いがある。中世の善児は己で刃を握って直接標的を始末しておりましたが、近世では情報だけで相手を殺せるようになりました。人類社会の変貌を感じさせます。
このドラマは紛れもなくコロナ禍経験を踏まえた作品であり、その問題点も掘り下げていると思えるのです。
日本の歴史における諜報というと、忍者が目立ちすぎてかえってわかりにくい弊害があると思います。
江戸時代後期の『甲子夜話』の時点で忍者は話が盛られて弊害が出始めています。
こういう乱世の諜報、いわば『孫子』「用間篇」のようなものも軽視できませんが、平時でも国家運営のためにはインテリジェンスが必須となってきます。
北東アジアの近世史で考えると、中国明朝が先行します。
思想統制にも暗躍する、皇帝直属の諜報機関にして特殊警察である「錦衣衛」が創設されていました。
猜疑心が強い初代皇帝・朱元璋のもとで組織された錦衣衛は、臣下のプライベートまで探りを入れる恐怖の組織であり、かくして思想や情報が統制されてしまうのです。
日本ではどうか?
というと『べらぼう』の時系列で変わってくることがドラマを見ているとわかります。
劇中では情報網が極めてゆるい。漏れっぱなしです。
政治批判も狂歌でできるし、張り紙も江戸市中にあふれています。
江戸城内の幕臣も、日本橋の地本問屋も、そして吉原も、情報のごった煮の中で生きていることが今回描かれております。
島津重豪にせよ、どうしてそんな重要書類を入手できたのか?
この転換点が『べらぼう』後半の重要な点です。
その前触れは今回からも見てとれます。
佐野政言を地獄に追い詰める一橋治済。
彼は情報を取り入れ、それを用いて策を練ります。そして田沼親子は追い詰められてゆくのです。
田沼意次のあと、松平定信の時代になります。

松平定信/wikipediaより引用
定信は優秀なのですが、歴代幕臣でも際立って猜疑心が強いといえる。
定信は明代に政治に深く取り入れられていた朱子学に傾倒しておりましたが、情報統制についても朱元璋をロールモデルにしたのではないかと思えます。
実は吉宗も、朱元璋の統治を参考にした思える政治を行なっております。
しかし吉宗と定信は性格や時代も差もあるのか、定信は朱元璋の悪い面まで取り入れてしまう。
錦衣衛のような大規模な特務機関は作りませんが、厳しい情報統制を行い、目を光らせるようになるのです。
これを定信の性格由来ではなく、一橋治済のインテリジェンスを駆使した謀略への危機感ゆえにそうするとドラマは誘導しているように思えます。
極めて秀逸な描き方です。
研究者がこういう発想の飛躍をすることは憚られるものの、フィクションならば点と点を繋げて飛躍させてもよい。
今年の大河ドラマはその飛躍のさせ方が抜群にうまい。
治済の暗躍と情報漏洩を絡めてゆく様は実に「こうきたか!」と膝を打ちたくなるほどの絶品ぶりです。
一橋治済をこうも悪どく描くことの是非についていえば、異議がないどころか大変素晴らしいと私は感服しております。
治済は将軍でも老中でもない。
それにも関わらず、幕政に大きな悪影響を与えた人物です。
息子の家斉に子作りを勧め、彼が従ったものだから、将軍の子が大勢溢れることになります。
しかし、将軍の子はその辺に捨て置くこともできません。
女子は豪華な道具つきの嫁入り先を探す羽目になる。男子は官位を釣り上げて大名の家に送りこむ羽目になる。幕府財政はますます破綻に向かうわけです。
この治済被害者の会には、『逆賊の幕臣』主人公である小栗忠順はじめ、幕臣も入れても良いかもしれません。
松平定信はロシアが通商を迫ってきて大変な局面に立ち向かうこととなり、防衛や外交について策を立てます。
それが治済の無茶振りにより解任させられ、計画からやり直しになり、先延ばしにされてしまうのです。
幕末の幕臣はどの時点であれば幕政を建て直せたのか、さんざん考える羽目になりました。
そのうえで小栗忠順はこう言い切ります。

小栗忠順/wikipediaより引用
「“どうにかなろう”。この一言が幕府を滅ぼしたのだ」
ペリーがやってくるもっと前、ロシア南下の時点で対策を練っていたら、こうも破綻していなかっただろうに。
なぜ外交の課題を棚上げにしてしまったんだ!
そんな苦しみが伝わってくる言葉です。
治済の影響が濃い家斉の時代、幕府の破綻は取り返しのつかないところまで進んでゆきます。
それを踏まえれば、治済の猛毒ぶりはもっと知られてよいもの。今年の大河ドラマは実に意義ある描写の連続なのです。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





