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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第37回地獄に京伝】
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歌麿、肉筆画の依頼を受ける
すると駿河屋の親父殿が客を連れてきました。道理で倹約の世に豪華な食事が並んでいるわけだ。
相手は栃木の豪商で「お初徳兵衛!……って江戸では言うんでしたっけ?」と江戸のトレンドを踏まえた挨拶をしてきます。
言葉に栃木訛りのある背伸びした豪商は、釜屋伊兵衛と名乗り、頭を下げました。そして蔦重を歌麿と勘違いして「うれしいの実が一袋〜」と挨拶してきます。
これも浮世絵師あるあるかもしれねぇ。
浮世絵師は、身分としては町人、職人です。そんなに立派な身なりをするとも限りません。売れっ子になってそれなりの服装を心がける絵師もいれば、ずっとラフな格好で通す絵師もいる。
そのせいで「えっ、このおっさんがそんな大物絵師なんですか?」と誤解されるのは往々にしてあるのです。

ラフな大物絵師代表・歌川国芳/wikipedia
歌麿と蔦重の場合、まだ若く童顔ということもあるのでしょう。
蔦重が訂正し、挨拶します。
「ああっ! こりゃご無礼仕りの三郎!」
そう頭を下げる釜屋。なんでも彼は黄表紙にハマっているそうで、蔦重中はそつなく歌麿の絵本を渡すと、釜屋は目を輝かせて見入っています。
蝶々の絵を見た釜屋が「ぱたぱた〜」と真似し始める。彼は歌麿の絵に惚れ込んで、あまりの美しさに涙したんだとか。それで家を飾る絵を、肉筆で依頼してきたのです。
「肉筆で!」
思わず歌麿も感動しています。
肉筆画とは、要するに普通の絵ですね。浮世絵は版画で大量生産をしていたのに対し、一点だけの肉筆はそれだけでも珍しい。例えば襖や幕に描くものがそうです。
当然、費用も張りますので、それなりにお金のある依頼人か、皆で出し合って呼ぶような状況でないと依頼はこない。
まだ若く売り出し中の青年絵師が、肉筆画の依頼をわざわざ受けるというのは、それはもう大変なことでした。歌麿が明るい顔になるのも当然でしょう。
そして、この肉筆画が描かれる過程を、よく映像化したと思います。
用意する側もとても手間がかかる。なにせ歌麿の絵を想像し、再現し、襖に描かなければなりません。手間を惜しまないからこそできる素晴らしい場面なんですね。

辰巳芸者を描いた喜多川歌麿の肉筆による掛軸画『深川の雪』/wikipediaより引用
歌麿が、きよの前で、襖に絵を描いています。
蜻蛉の部分は、全て染谷将太さんが描きました。彼は撮影の合間もずっと筆を手にとり、練習に励んでいるそうです。
そんな歌麿の喜びをきよが感じ取り、身振りで精一杯はしゃいでいます。
「そう! めでてえってこと! よかった! おきよがいたら、俺、なんでもできる気がするよ」
感極まってきよを抱きしめる歌麿。彼女も背伸びして、幸せそうに歌麿に抱かれています。
しかし、そのくるぶしには一つの赤い斑が……。
蔦重の名誉欲が頭をもたげる
つよは歌麿の依頼を聞き、そんなお大尽がいるのかと驚いています。
江戸でねえからだろうと返す蔦重。彼は痛快に思っているようで、江戸っ子の気持ちを理解しています。遊ぶな、働け。そう言われてクサクサしているだろうと。
そんな蔦重を懸念するていの姿が映ります。
蔦重はふてぶてしい仕草で煙管を吸いながら、こう言う。
「遊ぶってなぁ、生きる楽しみだ。楽しみを捨てるってなぁ、欲を捨てろってこった。けど、欲を捨てることなんかそう簡単にはできねえんだよ」
「たやすく捨てられちゃ、坊さんになるための修行なんていらないもんねぇ」
「おお、いいなババァ! ほら、黄表紙でも書いてみっか」
つよも同意して意気投合してますぜ。みの吉も危うい案思を思いついていますぜ。
「皆の捨てた欲がふんどしの守に取り憑いて、毎夜の吉原通いってのは?」
「お前も書いてみっか!」
蔦重は浮かれていますが、相変わらずていだけが沈んだ顔をしている。
蔦重は何か忘れていますね。
欲を捨てるのは坊主や定信だけではない。あれほどの美女に囲まれていながら、吉原者であったころの蔦重は、女の色香に迷う欲を捨てさせられていました。長いこと瀬川への思いにも気づかないほどでした。
忘八に階段から蹴落とされることもなくなり、欲が頭をもたげてきたように思えますが……。
棄捐令、中洲取り壊し…定信の改革は続く
松平定信は我が道を突き進み、政治を実行してゆきます。
次に取り組むのは棄捐令(きえんれい)。武家の借金を帳消しにするものです。
何のための対策か?というと、鳥山検校が出てきた際にありました。新井美羽さん扮する武家の娘・さえは、困窮したため吉原に売られてくる姿が描かれました。その解決策です。
といっても、定信の場合は救うというより、困窮した武士が己のために働かぬよう策をだしたようではあります。
「そんなことをしたら金を出す札差が倒れ、いずれ金が借りられなくなる」
周囲の者たちはそう反対するも、定信は強引。倹約さえすればそもそも借金などないと返すばかりです。
一応、札差が破産したり、貸し渋りをしないための対策もあるようです。
そして異論があれば申し出るようにと釘を刺しつつ、次に「中洲の取り壊し」を命じます。
田沼意次が作った中洲新地のことですね。
定信は「俗悪の巣窟!」と吐き捨て、女、見世物、博打の興行がなされていたと憎々しげに語っています。
風俗の乱れが氾濫して危険であるという理由もあるのでしょう。田沼政策を否定できるとあって、生き生きしている。
定信の理論としては、遊ぶところがあるから遊ぶ。ならばその場所を破壊するという理論に落ち着いています。
それをすると禁令を潜り抜けるだけになるといえばそうですが、一理あると言えなくもない。
実は、蔦重も似たような結論に至り、田沼意次に訴えようとしましたね。
他の岡場所が繁盛して吉原が廃れたとなったとき、商売敵を潰せばいいと考えていたものです。若さゆえになせる早急な結論かもしれない。

『江戸名所百景』の内「みつまたわかれの淵」 隅田川対岸から眺めた安政期の中洲/wikipediaより引用
さて、その吉原はどうなっているのか?
中洲取り壊し後の吉原へ蔦重が訪れると、多くの女郎たちでごった返していました。
りつによると、中洲が取り壊され、他の岡場所も取り締られて、余った女を吉原に放り込んできたそうです。
結果、起きたのは価格破壊――もう店では抱えきれず、女郎たちは道ゆく男に声をかけています。
「わっちは24文! 一切24文でいいよ!」
「あたいはもっと安くするよ」
そんな声も聞こえてきます。
蕎麦一杯、浮世絵一枚、そして最下層女郎である夜鷹の代金は16文を基準としている。そんな最低価格と大差ないところまで価格崩壊しているとは、吉原もすっかり落ちぶれてしまいました。

月岡芳年『月百姿』に描かれた夜鷹/wikipediaより引用
月代が伸びたむさ苦しい浪人はこうだ。
「倹約のご時世だぞ、うぬらも倹約しろ、倹約」
値切ってんのか、しょうもねえな。りつが「これが倹約の成れの果てさ」と力なく呟く。
新之助とふくが憤ったように、経済政策の行き詰まりは最下層の者にのしかかってくるようです。
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