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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第37回地獄に京伝】
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吉原を救えないか?
蔦重が親父たちに「一切百文以下にはしないようにできないか」と掛け合っています。
しかし大文字屋は値上げができないと嘆く。
倹約、倹約で誰も物を買わなくなった。客も景気が悪い中で遊んでいるからどうしようもない。
蔦重が大店について尋ねると、サッパリなのだとか。
「倹約令なぞ、なんのその」と気を吐く札差が頼みの綱だったのに、それも棄捐令でやられたそうで。
茶屋や見番(けんばん)廃止を言い出す女郎屋も出てきたとか。
こうした吉原のシステムは、ドラマ序盤で散々描かれてきた蔦重の生業でもありますね。
それだけに蔦重もギョッとしている。まさにその商いをしている駿河屋によると、口利きの金にも倹約の影響が及んでいるようです。
蔦重が、そんなことをしたら無法な輩が入りたい放題だ、女郎の身が危うくなると懸念を表明。
女芸者を世話するりつに目配せし、女芸者だって見番に守られていると言います。
「これじゃあ吉原はただの大きな岡場所。女郎は一分の夢も見られない、めっぽうでかいだけの地獄になっちまうよ」
りつはそうまとめました。
確かに女郎は苦海。それでも前回出てきた松の井改めおちよのように、幸せを掴む者もいました。
しかし今はそれすらない。りつはそう諦めきっているように見えます。
蔦重も思いつめた様子です。
帰宅すると、みの吉相手に「倹約吹き飛ばすぞ!」と語りますが、そんな夫を眺めるていの目線は冷たい。
「ってことで、吉原を救うためのもんを考えたいんだ」
蔦重は、山東京伝と喜多川歌麿を前にそう言い出しました。歌麿は頼まれるとすぐに引き受け、蔦重は絢爛豪華な女郎を描くように依頼します。
一方で京伝は顔色がすぐれず、気もそぞろ。そんな士気の低さを見抜いたように蔦重はこうきた。
「政演、お前、吉原にはさんざん世話になってる身だ。やらねえとは言わねえよな?」
「けど、お咎め受けるようなのは……」
受注側の逃げ道を塞いで何言ってんだこいつ。このド腐れ発注者がよ。
「分かってる。いっちゃん悪いのは倹約なんだよ。倹約ばかりしてちゃ、景気が悪くなり続け、皆貧乏。そのツケはつまるとこ立場の弱えやつに回されんだ。そういうことを面白おかしく伝えてほしいんだ。世にもふんどしにも。例えばよ、倹約が行き過ぎて、てめえそのものを倹約するってなぁ、どうだ? それが流行って国から人がいなくなっちまうってなぁ!」
ここで滔々と持論を展開する、痛いおっさんと化した蔦重。
歌麿もちょっと引いた顔をしております。その気持、わかるぜ。
下の者が「できないんです……」と苦しい訴えをしているのに、その訴えを無視して天下国家だの、持論展開だの、言い訳だの、ダラダラする激痛おっさん仕草じゃねえか!
蔦重よ、てめえの持論展開は柱相手にしてろってんだ。
ハラスメント野郎と化した蔦重
そんな激痛蔦重をていがそっと心配そうに見ておりましたが、意を決したように入ってきます。
「お二方とも、どうか書かないでくださいませ! 然様なものを出せば、歌さん、政演先生……蔦屋もどうなるか知れません。どうか書かないでください!」
ここで空気を読むことを忘れた激痛おっさんの蔦重は、吉原では一切24文で身を売っているだのなんだの言い出しました。
だから、知るかってんだよ、そんなもん!
黄表紙出せば吉原が救えるってのかい?
それじゃまるでお前さんがこれまで出版物で吉原を救ってきたみたいな言い草だな。と、私なら言いたいところですが、おていさんはこうだ。
「大変申し上げにくうございますが、旦那様は所詮、市井の一本屋に過ぎません。立場の弱い方を救いたい。世をよくしたい。そのお志は分かりますが……」
ていはそう言いながら立ち上がり、蔦重の横でこうきました。
「少々己を高く見積り過ぎではないでしょうか!」
「あァ?」
眼鏡を外した彼女が容赦なく続けます。
歌麿も「眼鏡?」と驚き、政演は強い目だと感心しています。蔦重は勘弁したように瞑目したようで、こう返してきます。
「昔、陶朱公のように生きろって言ったのはどこのどなたでしたっけ?」
夫婦間の言葉を人前で曝け出す、卑劣な蔦重。
しかし、おていさんはひるまず即答。
「韓信の股くぐりとも申します」
これは劉邦の天下取りに貢献した名将・韓信が、若い頃に無頼漢から「俺の股をくぐってみな」と煽られ、それに従った故事のこと。屈辱に堪えてこそ奮起できるということです。
※韓信胯潜之図は「足立区立郷土博物館公式サイト」へ
しかし、無教養な蔦重はうまい返しを思いつくことができず、しつこくこうだ。
「世をよくするような商人になれって言いませんでしたっけ?」
いますよね、議論で勝てないとなると泣き落としに持っていこうとする奴。かえってしらけるだけなんですよ。
「倒れてしまっては志を遂げることもできませぬと申し上げております!」
蔦重はあまりに知恵がない。
だもんで、京伝相手にせよ、てい相手にせよ、過去の相手の言動をちくちく突くしかない。
「春町先生は黄表紙の灯を消さねえために腹まで切ったんだ! それをてめえらの保身ばっかり……恥ずかしいと思わねえのか!」
しまいには、死人の言葉を勝手に自己解釈して捏造し利用する。蔦重よ……堕ちるところまで堕ちたか……。
ていは睨み返すばかり。彼女には奥の手があります。
そもそも日本橋の店はていのものだったということ。店を潰しかねないと三行半つきつけて、蹴り出してもよいところです。そんなに吉原が好きなら、吉原へ戻ればいい。
蔦重はていとの誓いも守っちゃいません。
今では鶴屋からもらった耕書堂の青い暖簾がたなびいていますが、本来はていが元々使っていた暖簾を守ると言っておりました。それを反故にしたままなんですね。
しかし彼女は、いつでも喉首を掻き切れる相手なぞどうでもよいのかもしれない。獅子吼を一通り聞かせたとばかりに眼鏡を掛けます。
「黄表紙の灯が消えることをご案じなら、このような向きはいかがでしょう?」
ていは女諸葛です。蔦重の手札を逆手に取り、青表紙を取り出してきました。
『金々先生』以前の青本は、人の道を説く教訓を旨としたものだったと語る。それなら御公儀も目をつけぬと主張します。
京伝は蔦重より教養もセンスもあるので、こうきました。
「温故知新ってことですか。今やかえって新しいかもしれませんね」
「ふざけんじゃねえよ!『金々先生』の前に戻るってなぁ、それじゃ春町先生は一体(いってぇ)何のために生きてたんだってなんだろうが! てめえには情けってもんがねえのか!」
そう立ち上がりぶちまける蔦重。一体何を言っているのか……。
「春町先生のご自害は、私どもに累を及ばさないためのものでもありましたかと!」
「だから……」
否定しようにも、蔦重はそう記された遺書を読んでいますからね。
「故にお咎め覚悟で突き進むことは望んでおらぬと存じます!」
「はぁ……」
そう言うしかない蔦重。ていに完膚なきまでに叩きのめされました。
蔦重は人相がすっかり悪くなり、歌麿も京伝も、その顔色を窺うようになっています。
それに蔦重は勝手に自分の人生を書き換えています。
あの口ぶりでは、まるで『金々先生』で黄表紙を生み出し、春町先生をブレイクさせたのは俺、春町先生の意志は俺のもの、俺のものは俺のもの――とでも言いたげに思えてくる。
しかし、元祖黄表紙たる『金々先生』は鱗形屋孫兵衛が出したものでしたね。
鱗の旦那がいないからには、言いっぱなしにできるのかもしれませんが、そうできない人もいるでしょう。
今、西村屋与八のもとで働いている、鱗形屋の二男である万次郎がこのことを耳にしたら、きっとこう言うでしょうね。
「親父の褌で相撲をとりやがって!」と。
蔦重はこの点、まったくもってふんどしの守を笑えやしない。
京伝に吉原で借りがあるとかなんとか言っていますが、その金を出したのはあくまで扇屋です。蔦中ではないのに、恩を着せているわけですよ。
もう吉原から出て日本橋の旦那なのに、いつまで吉原を後ろ盾にするつもりなのか。
蔦重はもう駄目かもしれない…
蔦重は机に向かい何やら考え、ていは市場通笑(いちばつうしょう)の作品を読んでいます。
すると後ろから覗き込んで蔦重はこうです。
「はぁ〜今さら通笑さんに頼む人がいるとはなぁ。大事ねえのか? もう随分書いてねえだろ」
「そちらこそ、大事ございませんか? 初めてお書きになる黄表紙の方は」
どうやら蔦重は黄表紙に挑んでいるようです。
「俺ゃ初めてじゃねえんだ。朋誠堂喜三二の手ほどき受けてっからよ」
「あら然様で。随分苦戦しておいでのようでしたので。てっきり初めてかと」
「あぁ?」
そうオラつくしかない蔦重。こんな奴の書いた黄表紙が面白くなるでしょうか?
そのころ京伝と歌麿もダメ出し中。いつもの蔦重ならもっとしたたかに「そうきたか」と考えると言い合っています。歌麿はそれでも春町先生の思いに囚われ過ぎているのかと言います。
春町先生。田沼様。源内先生。吉原の人。新さん。
そう歌麿が名前をあげると、京伝はむしろ戸惑い「荷、背負い混み過ぎじゃねえ?」と返します。まったくだ、神君家康公気取りかよ。
歌麿はそれでも、生き残るとはそういうことかもしれないと返します。
駄目だぞ、歌麿、その考え方は危ない。歌麿はかつて己が殺めた二人を背負って身動きが取れなくなっていましたからね。
そこへきよがお茶を運んできます。足の赤い斑はますます増えている……。
京伝はきよと歌麿の馴れ初めを聞いてきます。
歌麿は、蔦重から聞いていないのか?と聞き返すものの、蔦重もよく知らないと答えていたそうで、歌麿ときよは視線を交わします。
「雨の日に、洗濯を取り込んだのが縁で」
そんな純粋な出会いに戸惑う京伝。歌麿はそういう縁だ、きよは親も随分前になくしたようだと続けます。
「今日まで生きてこられなかったんだよな……」
歌麿はしみじみとそう言います。
身を売るしか生きる術のない人たちにとって、遊ぶなだの、倹約しろだのということは、野垂れ死ねということになる。あらためて彼なりにそう考えているようです。
「ほかに身を立てる道が支度されんなら別だけど……そんなもなぁめったにないわけで。つまるところ、買いたたかれるしかねぇ。弱い者にツケが回るってなぁ、蔦重の言うとおりなんだよな」
ここで京伝も考えたような顔になるし、きよは不安がってしまいます。
歌麿は「おっ、大事(でぇじ)ねえよ」と慌てて笑顔を見せます。はにかんで出ていくきよでした。
「どうしたもんかねぇ」
そう言って茶を飲んだ京伝は、襖絵に目を止めて感心しています。
「ありのままだなぁ」
そう花の魂まで移したような絵に、京伝も感じ入っています。
さて、歌麿と京伝のコンビは、女郎の買い方指南本を思いついています。黄表紙ではないそうです。
よい客はこう。悪い客はこう。そう分からせる、いい客を増やす本だそうです。
なんでも京伝は、歌さんの絵はありのままだから面白い、そうならないかと言い出します。小話もそういう具合にしたいんだとか。
歌麿と京伝はわかるおもしろさが、蔦重には理解できなくなっているようです。
京伝は戸惑いつつ、ひとまず書いてみると言い出します。蔦重は己の勘が鈍っていることにすら気づいていません。
こういうセンサーの鈍った発注者は、受注者にとっても迷惑です。
以前は「おもしれぇ!」「こうきたか!」と言ってくれた。そんな創意工夫をこらしても反応しない。隙さえあれば自分語りをしようとしてくる。己のセンスが鈍ったなんて毛ほども認めやしねえ。
実に辛いもんですよ。
かといって、どうせ指摘しても認めないし、顔色を窺っていくしかないんです。でも果たして、そんなセンスで売っていたプロデューサーの鼻が鈍って、いつまで続くのやら……。
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