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【直秀はなぜ検非違使に殺されたのか】
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穢れはどうなのか?
直秀たちを素手で埋葬していたまひろと道長。
繊細な衣装は泥まみれになり、破れてしまいました。
これが契機となったのか。次の回でのまひろは、これまでよりも大人びたものに衣装を変えています。
“泥”という実際の汚れだけではなく、平安貴族ならば憂慮すべき、死者に触れることによる【穢れ】があります。
【穢れ】が劇中で無視されているわけがありません。同日放送の終盤では、犬の死骸が内裏に置かれ、それを見た者たちがパニックになる様子が映されました。
犬そのものが死んでいる。
ましてや犬は、死体を喰らうこともある。
凄まじい【穢れ】の象徴であり、描写はなかったものの、かなりの大騒ぎになったことでしょう。
こうした儀式には陰陽師が定番です。
つまり、犬の死骸を置けば安倍晴明が内裏に入り込み、そこを探る機会はいくらでもある。
死骸を手配した黒幕が晴明であることを踏まえると、なんともおそろしい状況となるのです。
まひろと道長は、一座全員の屍を触ったのですから【穢れ】にまみれています。
それが気にならなかったわけではなく、重要なのは【穢れ】すら忘れるほど、直秀を大事に思っていたということでしょう。
『光る君へ』方違え・穢れとは?平安時代を知る上で無視できない風習
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直秀は貴族を嫌っていた
一方、生前の直秀は、貴族を徹底的に嫌い、身分制度そのものへ怒りと軽蔑を見せていました。
道長も、本来ならば憎まれる対象です。
しかし彼は、直秀の筋の通った敵意を受け止めつつ、謀略を繰り返す家族よりもむしろ信頼できるとすら思っていました。
日本を代表する国民的文学の『源氏物語』に、直秀のような人物はでてきません。
物語は、平安京の上層部だけを描いた作品ですから仕方のない話。
当時の日本の人口は1000万程度と目され、その中でも平安京に住む貴族となれば500人ほどしかおりません。
ごくごく一握りの特権階級だけが政治について決め、庶民たちが一生見ることすらない高価なものに囲まれて生きている――直秀はそんな世の中へ苛立ちを見せていました。
彼は、身分制度の愚かしさについても憤慨しており、散楽が得意とする演目も政治批判でした。
のみならず、彼自身が身分制度の愚かさを突きつけてくる。
直秀は、他の一座の面々と比べ、名前も、立ち居振る舞いも、洗練されています。
道長たちが【打毱】をする時に欠員が出ると、他ならぬ直秀のことを思い出し、異母弟という触れ込みで参加させました。
藤原公任も藤原斉信も、競技中だけでなく、その後もすっかりその嘘に騙されています。
綺麗な服を着て、それらしくふるまえば身分なんて無視できるのではないか? と茶化しているようにすら思える。
もしかすると、彼は本当に貴族の落胤(おとしだね・隠し子)だったのかもしれない。
身分制度のゆらぎといえば、直秀とまひろの関係にも現れています。
まひろはお忍びで街を出歩いていた“三郎”と名乗る少年が何者だったのか、当初は何も知りませんでした。
この時点でまひろは、貴族の姫でありながら民の男と近づくことが障壁だと思っていました。
それが道長が上級貴族の貴公子と知り、今度は自分のほうが身分が低すぎて釣り合わないとまひろは悟ってしまいます。
直秀は、この二人の間で言葉を伝えることをしながら、実らぬ恋であるとわかっているようです。
それでいて、二人の邪魔をしていないかと気遣うところもありました。
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