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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第13回「家康、都へ行く」】
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どうする「ガチャのSSR」感覚
本作は、ソシャゲのガチャ感覚で進むかのようです。
市と茶々と光秀並べて「すげーーーー! SSR揃った!」とでもやりたいように思える。
私の脳内では『麒麟がくる』の光秀が微笑んでいて、本作との落差が絶望的につらい。
SSRカードが揃ったと言っても、出来のいいゲームと、リリース直後に過疎ったゲームでは、ありがたみが全然違います。
お市が上洛して家族水入らずでウキウキって……ホテル聚楽にやってきた昭和の家族ですか?
「子育てで気が滅入る」って、無理矢理現代と絡めようとしていて意味がわかりません。
乳母がいるでしょうよ。
昨年『鎌倉殿の13人』で乳母をきっちり描いておいて、今年はこれですか。
どうする暗君描写
将軍・足利義昭をバカっぽく描きたいのは、誰が見てもわかりますが、家康の発声もグダグダなのでどうしようもない。
あれでは、居酒屋で見かけた、ダメ上司とダメ部下じゃないですか。
シーズン2を待っている『大奥』との落差があまりにもキツいです。
『大奥』には、“小便公方”という気の毒な呼び方をされた徳川家重が出てきます。
不自由な発声から、そう言われる理由がわかる。それでも実は聡明だとも伝わってくる。秀逸な描写でした。
しかしこの義昭は、飲み過ぎて倒れる寸前のアホ部長でしかありません。
本当に、戦国時代の京都ですか?
戦国時代がコンセプトの居酒屋では?
そもそもこの対面って、古田新太さんの義昭を小馬鹿にして「ウケるww」と笑うだけだったんですね。趣味が悪いと感じるのは私だけでしょうか。
どうするお花畑愛情描写
瀬名がだんだんと気持ち悪くなってきましたね。
親が田鶴のせいで死のうが、その田鶴が死のうが、お花の冠をかぶってキョトンとしているだけ。
『鎌倉殿の13人』は、あっけらかんと明るい人物が多かったものです。
それでも北条政子は、時に隠せぬ悲しみや弔う気持ちがふっと見えた。
本作では、そうした感情が全く感じられない。
この瀬名は一体何なのでしょう?
彼女が亡くなったあとでも、家康ははしゃいでいそうですよね。
このドラマは、致命的なまでに、人物同士の細やかな愛が見えてきません。先週の今川氏真と糸(早川殿)でもそれを痛感しました。
足のことで糸を散々罵倒していた氏真が、ちょっとスッキリして足を気遣う。マイナスがゼロになっただけ。それで感動しろと言わんばかり押し付けがましさが痛々しい。
私は、演者の演技力を比較しないようにしていますが、あの小池栄子さんでも、この脚本ならどうにもならなかったでしょう。
瀬名はわざとらしく花冠をつけています。尼将軍となった北条政子に花は不要でした。座る姿が牡丹そのものでしたから。
◆「第31回橋田賞」に小池栄子と長澤まさみ 目黒蓮は橋田新人賞を受賞(→link)
小池さん、おめでとうございます。
どうする「むしゃくしゃしてやった」
マナー違反程度で処罰されそうになる家康。
人の命を、令和の企業の人事感覚で描きますよね。たとえ成敗するにせよ、もっと手続きがいるでしょうし、そんなことしても信長には損しかない。
「むしゃくしゃしてやったw 家康でもよかったw」
本作の人物は、その程度の動機で動く。
ゆえに愚かとしか思えません。
で、そういう生命軽視の悪趣味なノリに迎合する記事も出てくるので、どうしようもありません。
◆どうする家康:武田軍で春の首桶まつり 信玄、昌景、梅雪も! 開けたり閉めたり“中身”を確認「エグい」(→link)
どうする劇団☆新感線俳優
古田新太さんは、色物快演系が多くなっていてどうにも切ないものがあります。
殺陣でも所作でも動けるし、もっと表現の幅も広いと思います。
同じ劇団☆新感線出身ですと、『おんな城主 直虎』で近藤康用を演じた橋本じゅんさんが素晴らしかった。
彼の個性を活かしつつ、さらにひとひねりを加えてきた。直情径行なだけではない狡猾さがあった。あの小野政次を死に追い詰めた。
それでも憎めない――絶妙な役柄が実に素晴らしかったものです。
森下佳子さんは、役者の魅力をうまく引き出す、そういう力があります。
私は古田新太さんを、森下さんが脚本を書く『大奥』で見たかった。もっと素晴らしい姿が見られたでしょう。
とにかく残念でなりません。
『大奥』には劇団☆新感線出身者から橋本じゅんさんや、粟根まことさんが出ることを期待しています。
どうする「天下一統」に滲む、お粗末歴史観
『麒麟がくる』の織田信長は秀逸でした。
天下一統という志を、持っているのか持っていないのか、わからない。ただただふりかかる目の前の火の粉をふり払って、自分のしたいように振る舞うと敵が増えていく。
なぜじゃ! そう悩む信長が悲しく、斬新でした。
現実も、そういうものだと思います。確かに織田信長は日本史に残る異端者といえるけれども、はなからそうするつもりはなかったのでしょう。
『三国志』の曹操は、後年、若い頃の自分はただ漢の将軍として名を残したいだけだったと振り返っています。
「天下を統一するぞ! 歴史を動かすぞ!」なんて、最初から気合を入れていた英雄が、果たしてどれだけいたのか。
歴史を学ぶ上で、そういう逆算をしないことは基本だと思います。
年号やトリビアをひけらかすことが歴史なのではなく、「疑い、思考し、推論する」というのが歴史的な思考ではありませんか。
今年は、作り手からして、その基本が抜けているようで辛いのです。
本作については「今はつまらないけど、今後、史実を追えば期待できる」とする記事もあります。
◆『どうする家康』が現状つまらないのは仕方がない! ここから史実をなぞれば人気爆発間違いなし!?(→link)
「いやいや、最初から面白いものを作ってくれよ」とツッコミたくなりますし、歴史を扱う姿勢そのものが壊れているからには、何も期待できないのではありませんか。
一方、次の記事は、このドラマがつまらない本質を捉えていると感じます。
◆『どうする家康』の家康像に異議あり! ナイーブで臆病なキャラ設定に「現実味」がないと感じるワケ(→link)
根本的な描写が壊れているため、違和感ばかりになるのです。
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