どうする家康感想あらすじレビュー

どうする家康感想あらすじ

『どうする家康』感想あらすじレビュー第17回「三方ヶ原合戦」

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
『どうする家康』感想あらすじレビュー第17回「三方ヶ原合戦」
をクリックお願いします。

 

どうする弓矢

『鎌倉殿の13人』の時代は、個々人の剛弓が自慢の種でした。

それゆえ矢に自分の名前を書き、源頼朝を射たことがバレてしまった山内首藤経俊なんていう人物も出てくるのです。

山内首藤経俊
頼朝に矢を放ちながら助命された山内首藤経俊 89歳の長寿を全うする

続きを見る

こうした弓矢を個人技能として重視する流れも、集団戦により変わってゆきます。

戦国時代となると、集団戦術に組み込まれてゆき、卑怯とされた毒矢を用いることも出てきます。

中世から近世に向け、そう変化していった。

今年の大河ドラマは、そうした弓矢の戦術的な変化を意識しているように思えません。

弓を引いた時にキリキリと音がする――そういう緊張感が見たいのに、本作の映像はRPGのアーチャー感覚と言いますか。

カッコつけている割には弓矢の扱い方から和弓の魅力が削がれていて、『鎌倉殿の13人』を懐かしむばかりです。

弓矢と鎌倉武士
なぜ鎌倉武士は弓矢をそこまで重視したか? 難易度の高い和弓と武士の関係

続きを見る

 

どうする返り血

戦場で無傷だった伝説を持つ本多忠勝

武田軍と遭遇して戦闘に発展しながらどうにか本陣へ戻ってきましたが、返り血を浴びてドヤ顔するのって、いかにもフィクションなんですよね。

傷口から血が入るとまずいことは、経験則でそれとなくわかっている。

プロなら返り血を浴びたら、ドヤ顔などせず黙々と洗浄して欲しいものです。

このドラマって、義元の首を投げさせたりしてインパクト映像を求める割に、地道な描写では、本気で人を殺るための覚悟や経験が見えて来ないんですよね。

『鎌倉殿の13人』の善児が懐かしい。

 

どうする使者

水野信元の態度があまりに悪くて驚きました。

使者を殺すということは禁忌であり、どの家でも厳罰を定めています。

しかし、そんなルールがあるということは、それだけ危険だからこそ。

なのになぜ、あのような煽り方をするのでしょうか。

本作では、今後も僧侶を使者とするような展開にはならなそうですね。本当に戦国時代とは思えない作品です。

 

どうする信玄の怒りゲージ

本作は、怒りの表現も単純です。

まるで、ゲージMAXになると必殺技を放つアクションゲームみたいな世界観と申しましょうか。

信玄はずっと家康に怒っていた。外交が複雑な戦国時代ですから、キレるとまではいかずとも、イライラしていた。

具体的に言えば、家康が勝手に今川氏真を助けて、北条と和睦したあたりには確実に怒ってましたね。

それが三方ヶ原の戦いを迎えて急激に怒りのゲージを上げてきたかのような感情表現。

瀬名の奪還だの、阿月のマラソンだの、場当たり的にどうでもいいような話が映像化される一方で、大河らしい大きな流れが見えてきません。

 

どうするBLとブロマンス

野原で語る信長と家康――そんなBL狙いはわかりました。

しかし、もはやNHKでその需要は無いでしょうよ。

今やBLというのも古く、時代はブロマンス(ブラザー+ロマンス)です。

兄弟愛のような濃厚な愛情の先に見える何かを求める。それがブロマンスというもの。

家康と信長のように、愛情など育んでおらず、いきなりタップしたら顔を近づける雑なソシャゲ。古臭すぎてもう辛いのです。

NHKのセンスが古いのか?というと、そうではありません。

例えば『麒麟がくる』の脚本家・池端俊策さんは「親友を討つ苦しみを描きたい」と語っておりました。

信長を演じる染谷将太さんは「もうずっと十兵衛(光秀)ラブ」と語っていました。

池端さんが狙ったわけではないのでしょうが、濃すぎる友情を描いたらブロマンスになった。そんな巧みさが見えました。

そして朝ドラ『らんまん』は、NHKが満を持してブロマンスに挑んでいます。

この作品では、言動が無茶苦茶な主人公・万太郎と、そのお付きである竹雄という青年が登場。

主従関係はあるものの、兄弟愛のような感情もあり、竹雄はずっと万太郎を心配し見守っています。

この万太郎が一人で上京するからお役御免だと告げたとき、竹雄は「あんた一人じゃ生きていけないよ!」と怒り、大喧嘩になりまして。この竹雄の逡巡だけで1回15分を使い切りました。

番宣でも「ラブラブカップルみたい」と呼ばれる万太郎と竹雄。これはNHK渾身のブロマンスですね。

ブロマンスは相手を大事に思う気持ちが大事です。心と心の通い合いですね。

そういう条件をきちんと満たしている作品がある一方、『どうする家康』が古臭い暴力的なBLとは、なんとも哀しくなるばかりです。

万太郎と竹雄の前では、信長と家康なんて風前の塵に等しい。もうこんなカップリングは解散させませんか。

 

どうする妻とイチャイチャ

なぜこのドラマは、三河武士が妻といちゃつく場面ばかり流すのでしょう?

昭和おじさんの妄想垂れ流しですよね。

発声がよろしくないから、セリフが聞き取れない。

聞き取れたところで昭和ホームドラマですから不要なのですが……ぶっちゃけて言いますと、時間稼ぎですよね?

本物の馬に乗るのは難易度が高いとか危険とか、散々、苦しい言い訳がメディアに流れていましたが、どうにも信じがたい。

三方ヶ原を描くとしておきながら、こんなボソボソとした口調のラブコメが続くなんて、誰が求めているのか。

 

どうする合戦の手抜き

本作の合戦は、どういうわけかいつも濃霧ですよね。快晴がまずない。

確かに霧と城は関係が深い。あえて霧がかかる場所に城を築くことはありました。

そうはいっても限界ってものがあるでしょうよ。

というわけで、杜撰な合戦描写をピックアップしてみました。

・霧で誤魔化す(が、誤魔化しきれていない)エキストラの少なさ!

・出演者も不安になるほどロケがない!

・歩兵のやる気ない歩き方からして、エキストラの指導は足りてます?

・陣太鼓を鳴らす意味があるのだろうか? スローテンポで何かおかしく感じる

・火をつけたエキストラが転がる? そんなことできるわけないでしょ!

・とってつけたような重苦しいBGMなのに、和風の要素がないため盛り上がらず

・甲冑も変

・移動速度がおかしい。テレポートでも使えるのかと思えるほど

・地形について真面目に考えていない。日本ではそんなにしょっちゅう会戦(大規模な陸軍同士がひらけた地形でぶつかること)になりません。森林、川、山が入り組んでいますし、平原は農地になっている

とまぁ、いかにも手抜きな描写が目立ち、それが積もり積もって緊迫感を失わせてしまい、何も盛り上がらないんでしょう。

『麒麟がくる』では、できていました。

・敵と味方で陣太鼓の打ち方が違う

・火がついて転がる雑兵がいる

・首を取るために叫んで戦場を駆け回る、そんな光秀の狂気よ

・ざんばら髪で配送する織田信秀も渋かった

・桶狭間で毛利新介今川義元の首をとる場面は、ワイヤーアクションで迫力満点だ

・地形も考慮。桶狭間は高低差が勝利の鍵。美濃の合戦は川がポイント

『麒麟がくる』からわずか数年で、なぜここまで質が落ちたのでしょうか。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-どうする家康感想あらすじ

×