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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第28回「本能寺の変」】
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どうする回収されない伏線
無音にして、家康が突如「信長ー!」と叫ぶ。
血まみれの信長が出てきて、わざとらしく音楽が盛り上げ「家康ー!」と叫び返す。
なんじゃ、そりゃ。
顔は完全にチベットスナギツネです。
臭いというか、そんな評価の対象にもならないというか……センスの酷さだけはわかります。
「やれんのかァキンカン頭!」
と本能寺から出てきて、距離感数メートルで叫ぶ信長も酷かった。もう何もかもが酷い。
だいたい信長もバカ過ぎませんか? あんなに水色桔梗に囲まれておきながら、そこに居たのが光秀でなく家康だと思っているとは……。
光秀軍もあれだけ至近距離にいた信長を確保できないなんてどうかしている。
鉄砲が大好きな本作ですから、射殺して首を取っておけば、その後、秀吉に敗れることもなかったでしょうよ。本当に命を賭けて、信長を討ちにやってきているのか、疑問に感じるばかり。
そして、極めつけが回想です。
若き日の相撲――こんな展開になるなら、前回もアドリブなどせず、相撲を入れるべきだったのかもしれません。
ペンキをぶちまけたような真っ赤な衣装も、何が言いたいのかわかりました。ああいう色の衣装で家康と相撲をとった日が幸せ♡と言いたいのでしょう。
結局、現場の判断で脚本を変えたことが仇となり、伏線すらへし折られました。
◆「どうする家康」松本潤&岡田准一のアドリブ光る本能寺前夜の12分(→link)
本能寺の変という戦国最大のイベントということもあってか。
視聴率は前回の10.0%から12.7%へ急回復したそうですが、こんな調子では視聴者を引き留めておくのは厳しいのでは?
無茶苦茶な展開で、もはやドラマなんて言えません。
現場で作り上げていくリアリティーショーか、ライブコスプレ余興劇か。
本作の関連記事では、さんざん「伏線回収!」だの、意味を深く読み解く内容を目にしてきましたが、結局、ただの誤読だったのでは?とすら思えます。
◆NHK大河「どうする家康」SNSで「神回」の声続出!壮大な伏線回収とだめだめ家康の火遊び…第19回みどころ(→link)
まぁ「伏線回収」という文字が、ネット上では数字を取れるキーワードなのでしょう。
それにしても、さんざん信長を殺す殺す言っておいて、今さら感動的にまとめようってのは、どういう魂胆なのでしょうか。
何もかもが空中分解しています。
そして再度問い掛けたい。
伊賀者はどこに消えましたか? 溶けて消えましたか? そう思っていたら来週出てくるとか?
そんなRPGの召喚獣みたいな伊賀者でいいんですか?
なぜ入念な準備をしていたのに危険な伊賀越えになりますか?
どうするステラ
今年の大河ドラマは“盛り上がり”とは程遠い状態になってしまいました。
書店の家康本コーナーは縮小し、そのぶん朝ドラ『らんまん』が占めるようになっている。
昨年の大河で大いに売れたせいか、大量に準備されていたであろう大河土産も、いつの間にが減っています。
提灯記事だけは、あいかわらず亡霊のように出てくるものの、テンプレートがあり「ネットでは」の部分だけ差し替えれば間に合うようなものばかり。
毎週日曜日の20時45分になると「ネット震撼」といったタイトルの記事が流れています。
さすがに「これやヤバい……」と、NHK側も気合いを入れたのか。
くどいほどの番宣も大量投入してきました。
朝ドラの再放送枠までジャックしていたほどで、さらには公式メディアのステラも頑張っています。
例えば以下の記事ですが、
タイトルの時点で何かおかしくありませんか。
「やりおったんや」とは京都言葉として不自然では?
むろん当時の言葉は再現できないことも踏まえ、現代語としても違和感が残る。
自然な言葉遣いであれば「徳川様がやってもうた」ぐらいでは?
「やりおったんや」とは厳密に過ちとも言い切れないけど、もっと他に言い回しはあるはず。それが記事タイトルに持ってこられたせいで、脚本のチェックが緩いのでは?ということを再認識しました。
次の記事もタイトルからして脱力です。
◆ついに、本能寺の変――岡田准一「信長が死んだ後にこそ家康(松本潤)は変化を遂げる。“信長は家康に何を残せるのか”を表現したい!」(→link)
いったいこの家康は「誰かが死んでから変わる」ということを何度繰り返してきたのでしょう。
瀬名の時にも散々語られていましたよね。
ここまで来ると「変わる変わる詐欺じゃないか!」とツッコミたくもなります。
どうする良識の欠如
公式であるため、無理にでも持ち上げなければならないせいか。
ステラでは他にも妙な記事があります。
◆ 松本大河の中間決算~歴史物語か人間ドラマか~(→link)
「松本大河」とはいったい……。
『鎌倉殿の13人』ならば「三谷大河」となったでしょう。
脚本家ではなく意図的に主演俳優を前面に出したとすれば、意識そのものが時代錯誤。
性加害とその隠蔽で大問題になっている芸能事務所の俳優を、なぜ今、前面に出すのか。
しかもこの事務所の主演と準主演が、台本を無視してまで暴力的なBLシーンにしていて、それを見どころとして喧伝するのだから危機意識が欠如しています。
◆信長・岡田准一、「どうする家康」で家康の耳かみつくシーンはアドリブ「欲かいちゃった…反省してます」(→link)
◆『どうする家康』岡田准一、織田信長役は挑戦だった「僕と松本くんだからこそ生み出せるキャラクターに」(→link)
◆「どうする家康」岡田信長のゾクゾクする魅力 演出統括・加藤拓が振り返る(→link)
暴力的な現場のやり取りを、出演者が笑い混じりでネタとして語っていますが、シャレになってないでしょう。
本作の磯プロデューサーは、男性同士の屈折した感情を描くことがお好きなようです。
『平清盛』でも、清盛と源義朝の暑苦しく強引な河原での一騎打ち。
清盛の目から見ると頼朝の顔が義朝に見えてしまうといった奇抜な演出がありました。
『どうする家康』も、家康と信長にそうした妄想を持ち込んできました。『麒麟がくる』の信長と光秀に先を越されたことが気に入らなくて、絶対超えると気合を入れているようにすら思えたものです。
異常なまでの番組宣伝。
裏方とは思えないほどのでしゃばり方。
そうまでして出来上がったのがこの様ですから言葉を失うばかりです。
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