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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第28回「本能寺の変」】
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どうするジャニーズ頼り
磯Pの妄想じみたBLは、それこそ二次創作で繰り広げていただきたい。
よりにもよってこのご時世にやることそのものがふざけていて、各種ニュースを見ていても何も感じないのでしょうか?
◆TV局の「ジャニーズ離れ」がジワリ加速…広告業界は“ステルス降板”で大手企業ほどCM起用に二の足(→link)
◆ジャニー喜多川氏「性加害問題」で新証言 服部吉次さんと友人が明かした壮絶被害と恐怖の記憶(→link)
◆社説:ジャニーズ問題 性加害の真相から逃げるな(→link)
◆ジャニーズ事務所、国連人権理という“外圧”でいよいよ自民党政権からも追及されるか(→link)
何を忖度しているのか計りかねますし、NHKとジャニーズの関係なんて心底どうでもよい。
今年の前半に出ていたこうした記事が真実だとすれば、度し難いとしか言いようがありませんが。
私が認識できているのは、この状態になってもなお庇うことがどれほど恥ずかしいことであるか。
視聴者の気持ちすらわからない、公共放送と化しています。
◆ 「弱者の気持ちがわからない」ジャニー氏性加害擁護のデヴィ夫人、社会的地位を“身分”と勘違いするヤバさ(→link)
◆ ジャニー喜多川氏〝擁護〟で大炎上したデヴィ夫人と山下達郎の「共通点」(→link)
◆カウアン・オカモト氏、デヴィ夫人に反論「勇気を振り絞って言っても、あなたのような人に否定される」に寄せられる支持(→link)
◆デヴィ夫人に「お前が日本の恥だよ」 性加害問題のジャニー喜多川氏擁護に現役警察官が激怒「完全に頭にきた」(→link)
ジャニーズの人気は安泰。どうせ時間が過ぎれば風化するだろう。
とでも考えていたのかもしれません。
本当に、今年の大河は「日本の恥」になるのではないか。そう問われている気がします。
「民放ならまだしも、公共放送でこんなものを流す気がしれない」という海外の投稿も目にしました。
まさしく国の恥、大河どころか汚泥が流れているのが、2023年日曜の夜です。
日本史ファンと名乗る方が、この性犯罪の擁護をしている様も見かけました。
若衆だの、男色を持ち出し、伝統だのなんだの、トリビア混じりで語っているのです。
私は日本史上の男色にしても、歪で当時苦痛を訴えることができなかっただけだと思います。調べれば調べるほど、暗い気持ちになります。
はたして戦国時代の男色は当たり前だったのか?信玄や義隆たちの事例も振り返る
続きを見る
そういう苦痛を緩和するための積み重ねの果てに、私たちは生きているのだと思いたい。
ゆえに、ここで性犯罪を見逃すということは、未来に苦痛を丸投げすることでしょう。未来の人々から軽蔑されるということでしょう。
果たして、それでよいのでしょうか?
こういう忖度記事もあるわけですが、
◆なぜNHK大河ドラマは史実とかけ離れているのか…ドラマ好きライターが「どうする家康」を見て感じること 令和の感覚で作られた大河だからこそ描けることがある(→link)
令和になってこのドラマを庇うって、どういう倫理観なのやら。
私はドラマ以上に正義を好むので、こんな気持ちにはなれません。
彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず
ドラマの総大将であるプロデューサー・磯氏の敗因を探ってみたいと思います。
彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず。『孫子』謀攻篇
『どうする家康』が嫌い、貶め、嘲笑していた『麒麟がくる』序盤に出てきた引用箇所ですね。意味は有名なので省略。
磯氏は同じことを繰り返すのだとは感じます。その上で勝因と敗因の分析がおかしい。
たとえば磯氏が手がけた朝ドラ『なつぞら』は、過去の朝ドラ主演女優を揃えて話題をさらいました。
今回も過去大河主演主演をかき集めてきています。
しかし朝ドラ『なつぞら』はそれで成功したのではありません。
大森寿美男氏の脚本が、歴史やテーマへの愛にあふれ、丁寧に描かれていたからこそ。
朝ドラ『てるてる家族』、大河ドラマ『風林火山』でも執筆経験がある大森氏は、重圧の中で見事な脚本を描いていました。
◆ 「なつぞら」脚本・大森寿美男氏 100作目の重圧に胃薬手放せず 演劇に挫折「日陰歩いて…出来すぎ」(→link)
本来の勝因は緻密な脚本なのに、そこを読み違えた結果が今回なのでしょう。
一番いいところを届けるとのことですが、
その「いいところ」の判断が誤っていたらどうしようもありません。
そもそも今回の大河ドラマを脚本家の古沢良太さんにお願いしたいと思っていました。
古沢さんは民放のドラマでも数々の面白い作品を書かれているので、彼の持っているセンスを大河ドラマにいかしたいと思っていたのです。
私なりに今回の脚本家について調べてみました。
一話形式で、どんでん返しを入れるパターンは得意である。
といっても、役者の力量が重要。アドリブで補い、インパクトのある演技ができる俳優の作品であると、成功とみなされることが多いと感じます。
そして、指摘されている欠点もまとめてみました。
・騙そうとして、後からネタを無理に繋ぐ。ネタのためにネタを仕込む、雑な伏線回収
・強引なプロット。それが通じるなら何とでもできる
・しかも騙したトリックにおいて、説得力が欠如している
・話の語り口が退屈で、冗長、しつこく、面白くない
いやいやどうして『どうする家康』の欠点と同じではありませんか。
磯氏からは、大河ファンや歴史ファンへの憎しみすら感じます。過去の大河ドラマや歴史そのものを小馬鹿にするようなことをして、その一要素に挙げられるのが衣装です。
◆「どうする家康」信長役・岡田准一を支えた衣装の力 人物デザイン監修・柘植伊佐夫と議論の日々(→link)
この組み合わせは『平清盛』でもそうでした。あのドラマの衣装には大変ガッカリしたことを思い出します。
私は平安時代の襲の色が好きで、実物でいつか見てみたいと楽しみにしていました。
しかし『平清盛』ではそうした襲や様式を一切無視していると、語っていました。皇室や朝服はそうでもなかったようですが。
そういう衣装へのアプローチはあります。
張芸謀(チャン・イーモウ)監督とワダ・エミさんのコンビは有名ですね。
私も大河以外のドラマでそういうアプローチをするのであれば、特にそこまで気にならなかったとは思います。
私は『47 RONIN』も好きになれるくらい、判定が緩いはずなのですが。
こういう歴史好きの心を逆撫ですることは、本人にとっては憂さ晴らしであり、知的な騙し合い程度のつもりかもしれません。
しかし、大河ドラマという枠は一人のものではありません。そのリスクを考慮して欲しいのです。
主は怒りを以て師を興(おこ)す可(べ)からず
主は怒りを以て師を興(おこ)す可(べ)からず。『孫子』「火攻篇」
怒りの感情に任せて戦争を始めてはいけない。
「怒りに任せてはいけない……」
そう自分を戒めなければならないほど、今回は色々考えさせられました。
磯氏のインタビューからは、大河ファンや歴史ファンを嫌っている、少なくとも重要視していない姿勢であることは感じます。
そして提灯記事にもお決まりのパターンがある。
「歴史ファンは史実とちがうと怒るけどw それ歌舞伎にも言えるのwww わかってみるのが歴史好きでしょww」
こういう論調であり、SNSの投稿でも見かけます。
そして怒りの記事に対しては、冷笑しつつ「ならドキュメンタリーでも見ていればw 真実なんてわかんないしww」と返せばよいという論調も形成されていきます。
私なりにこうした論調に反論しておきますと、ドラマとして純粋につまらない、歴史抜きにしてくだらない、歴史への敬愛にも欠ける――それに尽きます。
ドラマとしての不快感、お粗末さへの怒りのみならず、以下のような記事があがってくることも辛い。
◆【どうする家康】「お前そういうところだぞ明智」と言いたくなる、慌てた光秀(→link)
歴史上において功績を成し遂げた人物に、こういうことを言いたくなるってどういうことでしょう?
私にとって歴史作品を鑑賞するときに起こる感情は、「鯉の滝登り」、登竜門の境地です。鯉が滝を登り、龍になる――そういう高みを目指す様を見たい。
苦難を乗り越えて上を目指し、高潔であろうとする姿にこそ魅せられる。
誰かを小馬鹿にしたくて歴史を扱う作品を見るなんて、そんなことをしてどうなるのか?
別に『麒麟がくる』を持ち出さなくとも、私には明智光秀への思い入れがあります。
司馬遼太郎『国盗り物語』を読み終えた後、数日間は呆然として、思い出しては涙ぐんでしまったこともあります。
そういう感動した気持ちごと、今年はバカにされている気分です。
寿司店主が客に向かって「酢飯の上に生魚載せて食う奴なんて気がしれないよねw」とは言いませんよね。そういう非常識さを感じます。
だからこそ不愉快。歴史的に正確であるか、そういうことではない。歴史が好きだという気持ちそのものまで、今年は踏みにじられる思いがあるのです。
繰り返しますが、これが民放のバカ時代劇なら、ここまでショックは受けません。
大河ドラマという特別な枠でおちょくられると、前提となる期待もあるだけに、心理的なダメージが大きくなってしまいます。
ファンダムの場外乱闘も悪化し、歴史をまるでマウントの道具のようにするヤリトリも見えてきました。
歴史が好きであることが恥ずかしい。そういう気持ちが募ってきてしまったらどうなってしまうのだろう。
誰かに今年の大河を見ているとは周囲に言いたくないし、歴史語りも当分したくない。そんな風に思えてしまうのです。
まぁ、『陳情令』がらみで魏晋について語り合う機会があれば、むしろ積極的に参加したいとは思いますが。
“忘羨”こそ最上の幸福! 陳情令と魔道祖師は“知音”の世界だった
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日本の戦国時代への忌避感が高まってしまった。こんな日が来るとは思いもよらなかった。去年とは正反対です。
去年は、人生最初の推しである源平合戦の人々が、実写化されて出てきました。
緊張感を滲ませつつ、馬の背で揺られている畠山重忠。
獰猛な獣のような顔で、敵を追い詰めてゆく壇ノ浦の義経。
冷酷冷徹な顔で、義経や敵を追い詰めてゆく頼朝。
悲しい義経への恋心をにじませて舞う静御前。
目を見開き、坂東武者を鼓舞する北条政子。
歴史が好きでよかった。報われた。そういう感動がずっとあって、ともかく幸せでした。
わざとらしく号泣したとは言いません。何もしていないのに、目元に何かが沁みて、気づけば視界がぼやける。そういう瞬間が去年は何度もあったのです。
しかし今年はそれが全くない……。
むしろ苦々しい気分になる。これではまずい。歴史の素晴らしさを思い出したくなり、武者絵や博物館の図録を見返してしまいました。
やっぱりこういう模様はいい。
そう往年時代劇の舞台衣装を見ていて、同時に気分が猛烈に悪くなってくる。
脳内にマザーセナのどピンク衣装だの、アイスクリームの精霊となった三河武士団の衣装(スイカバーや抹茶カラーの連中がいるでしょ?)が浮かんできて、怒りと失望がどっと吹き出し、悪化してしまったのです。
本作を好きだという方にとやかく申し上げることはありません。
好きな作品を全力で愛せばいい。
しかし私は、肝心の脚本家から歴史への愛は感じられません。プロデューサーからは嫌悪や嘲笑すら感じます。
小馬鹿にされつつ、自己実現の道具にされ、それでいて最も重要なことに「つまらない」と来ている。
同様の意見をお持ちの皆さまはNHKへ直接ご意見をお届けください。
批判記事が一本世に出るより、はるかに有用であることでしょう。
◆NHK みなさまの声(→link)
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【参考】
どうする家康/公式サイト