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【お市はウロウロすな!】
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お好きな項目に飛べる目次
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身分と時代が移動範囲を決める
・お船(『天地人』)
・江(『江〜姫たちの戦国〜』)
・文(『花燃ゆ』)
上記三作品に『どうする家康』のお市を含め、4人の中で誰が一番ひどい描かれ方をしているか?
結論は
お市=江>お船>文
という順序になるでしょう。理由は以下の通り。
まず戦国時代から幕末までを通じ、以下の条件を満たすほど一番のネックである“移動”が困難になります。
・身分が高い
・治安が悪い
※体力や年齢は考慮せず
要は自由に動けなくなり、したがってドラマの各場面に都合よくホイホイとは出れなくなる。
お市と江は、劇中でもかなり身分が高く、しかも戦国時代は治安が悪い。
結婚前の船は、お市と江ほどは身分が高くない。
文は幕末から明治の人物です。戦国時代より治安は安定しており、かつそこまで身分も高くありません。
そのため、お市と江が様々な場面に出れば出るほど、おかしな話となる。
こうした意見を述べるとお約束のように「フィクションだから固いこと言うなよ」というツッコミも飛んできますが、瞬間移動でなければ移動できないシチュエーションがあったとすれば、それはもはや時代劇ではなくSFです。
極端な話、フィクションなんだからOK!と言って、大河ドラマに戦車やヘリコプターは出てこないでしょう。
ヒロインの瞬間移動は目立たないだけで、本質的にはそれと同様のものです。
彼女たちは、名前や身分があるばかりに、とかく行動に制限がかけられてしまう。
だからこそ『麒麟がくる』で批判を浴びた駒や望月東庵、伊呂波太夫の役割も見えてきます。
彼女らには動きやすい条件が揃っていました。
・身分が高くない
・特殊技能がある
いわば自由に動かせるのですね。
ゆえに大河の制作陣が「女性や庶民の目線からも歴史を見つめたい」と思ったときにはどうするか?と言うと。
①駒たちのような創作キャラを出す
②江やお市のように名のある女性たちがうろつき、色々な出来事に割り込んでくる
作り手に良識があれば前者①を選ぶのは自然なことでしょう。
『麒麟がくる』の駒のような登場人物は、制作陣の歴史知識が確かであり、かつルールを踏まえていればこそ生まれてきたと言えるのです。
駒と行動を共にしていた医者の望月東庵は、曲直瀬道三がモデルと推察されます。
戦国時代の名医・曲直瀬道三~信長・元就・正親町天皇などを診察した医師の生涯
続きを見る
「だったらなぜ曲直瀬道三にしなかったんだ?」
戦国ファンの中にはそんな疑問が浮かんだ方もいたようですが、東庵は庶民的な人物で、身分の低い庶民を安値で治療していました。
そういう人物像と著名な医師では一致しないと考えたのでしょう。
しかしウェブメディアでは、駒や東庵を叩くとアクセスが狙えるためなのか。
「歴史の名も残さない人物がウロウロするなんて、ファンタジーだ!」
「無名のくせに無双する!」
という趣旨の叩き記事や、それに対する賛同意見も多かったものです。
本来は、作り手の良識に従って表現されたキャラクターです。しかしそれを叩いて喜ぶ人たちがいるというのは、正直にいえば危惧すらを覚えてしまう現象でした。
麒麟や鎌倉殿はどうだった?
大河ドラマはフィクションだ。創作だ。ドラマだ。
それなのに、アンチは「史実がぁ!」とやたらうるさい。
『どうする家康』については、そんなことも指摘されたりしますが、果たしてそうなのか?
確かにドラマはフィクションであるのが大前提です。
だからといって戦国時代にヘリコプターを出したら別の映画になってしまうように、時代毎の技術や社会環境などの制限はある。
ヒロインの瞬間移動も本来なら大アウト!
過去の作品では、そうした最低限のルールを守りつつ、その中でキャラクターを動かしています。
“移動”という観点から、その例を挙げてみましょう。
◆『麒麟がくる』の明智光秀
前半生の詳細が不明な明智光秀は、40を過ぎてから世に出た遅咲きの人物。
この状況をフィクションとしての強みに活かしたのが、この作品でした。
劇中の光秀は、主人である斎藤道三の死により、浪人になると、朝倉家の治める越前では仕官せず、不遇の日々を送ります。
その状況を活かし、光秀は自ら歩き回り、自身の目で情報を探りました。
【桶狭間の戦い】を目撃し、織田信長を見送る光秀が成立したのも、彼の身分が低い時代があればこそできた描写といえます。
◆『麒麟がくる』の帰蝶
帰蝶は活発な性格であり、未婚時代は袴をつけ、馬に乗り、明智荘をしばしば訪れていました。
活発で気ままなようでありながら、実はルールに則った移動範囲でした。明智荘は母方の親族であり、移動が認められているのです。
結婚後は馬で遠出することはなく、夫・信長を支えるために、書状を用いて堺商人から鉄砲を買い付けたことも。
当時の文書は女性が別名義で記すこともあったため、この描写も無理のない範囲です。
最終盤に京都で帰蝶と光秀と話す場面は、それぞれ目的がありました。
光秀は政務、帰蝶は眼病治療のために訪れていたのです。
創作とはいえ、あくまで無理のない範囲でした。
もしも帰蝶が駒のように足利義昭と話したり、伊呂波太夫のように本能寺で光秀に声をかけていたら、身分や状況からしてありえないと批判されていたかもしれません。
◆『鎌倉殿の13人』の北条政子
北条政子は、日本史に「動くヒロイン」として確たる名を刻む女性です。
ドラマでは描かれませんでしたが、政子には有名なエピソードがあります。
源頼朝と恋に落ちた政子。
しかし父の北条時政は別の男に嫁がせようとして、閉じ込めてしまう。
政子は脱出し、大雨の降り頻る闇夜を走り、頼朝の元へと向かっていった――。
こう本人が振り返っているのですが、彼女の行動力あってのものであり、父に我が子を殺され頼朝のことを諦めた八重とは対照的ともされます。
坂東武者の娘である政子はそこまで高い身分でもなく、警備が厳重でなかった状況もあるのでしょう。
劇中では、身分が高くなることで自由を失ってしまった政子も描かれています。
愛妻の八重を亡くして落ち込む義時のもとへ、お忍びでやってきた政子。
幼い頃の思い出を語り合う二人という場面でしたが、このとき彼女は動きやすく身軽な下女の服装をしていました。義時がその方が似合うと言えば、政子も気に入っていると応える。
中世人は身分が高くなればなるほど、動きにくく、豪華な衣装となります。
政子は、征夷大将軍の妻という座と引き換えに、身軽な服装や動き回る自由を失ったのです。
そんな彼女は、夫の死後に尼御台となると、「民衆と接したい、どうすればできるか?」と大江広元に問いかけています。
広元は「施餓鬼(せがき)」を提案。
仏教由来の施しをすることで、自然と民衆に接することができ、身分の垣根も越えられる画期的なアイデアでした。
政子は民に食料を施し、庶民の娘がそんな政子に語りかける場面にも繋がっています。
このように、時代や身分などの制約・ルールを守りながら、大河ドラマという時代劇は登場人物を動かしています。
史実かどうか?という観点からすれば、ドラマなので逸脱しているのは当然のこと。
しかし、ルールはあるのです。
空は青い。太陽は東から登る。春の次には夏が来る。
ヒロインは瞬間移動しない――。
そうした最低限のルールを守れないのであれば、SFなり、異世界ものなり、別のジャンルや時間枠で放映すべきです。
創作とは何をしても良いという意味ではありません。
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