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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第34回「豊臣の花嫁」】
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どうしてそうなんだ忠勝
忠勝が無駄に脱いで稽古をするのは何の狙いでしょう。
残念ながら全く強そうに見えない……。直政と比べると相対的にはマシに見えますが、それでいいのでしょうか。
どうする俺様のお気持ち
家康はヒマなのでしょうか。
重臣に出奔されて、グズグズしている時間などないでしょうよ。
軍政改革だのなんだのやること山積みです。
あぁ忙しい、忙しい、よりにもよってなぜこのタイミングで……すべて数正のせいだ! しかし数正よ、なんでお前は……と悩む程度で良いのでは?
結局このドラマは「俺のお気持ちが一番大事」という価値観に縛られている。
領民や天下趨勢のことなど二の次で、本当に怠惰な家康です。
幼い頃はろくに勉強もせず、はしゃいでお人形遊び。
で、不惑過ぎても惑ってばかり。
とことん幼稚です。
どうする優しさがない家康
「戦なんてしないでいい世の中にしよう!」
「家康に跪けと申すか?」
この切り替えが全然わからない。
本作の家康は、喜怒哀楽が乏しいくせに、嫌悪感だけは露わにして、なんだか性格が悪くありませんか。
自分が傷ついたときでも優しさを見せるような度量はなく、子供のようにすぐにムキになって反論する。平気で人の話を遮る。
於大が言っていた「昔は人を思いやる心があった」とは、いつの時代のことでしょう。
マザーセナのために栗を探していたぐらいしか思いつきませんが、それにしたってその優しさも打算ありきにも見える。
「高級ホテルでディナーを食べさせたんだから、そのあとお持ち帰りは当然できるだろ」
要するに、こういう思考回路。相手が誰であろうとティファニーのオープンハートを贈るようなバブルなセンスですね。
どうした於大の支離滅裂
家康のことをそう評していた於大にしても、かなり支離滅裂です。
「おなごは駆け引きの道具ではない!」
とは、一体どうしたことでしょう。先週、男子だろうと人質に出していたばかりですし、於大自身の息子も人質に出されていた。
於大の息子ですから家康の弟でもあり、その救出劇にはやたらと時間をかけ、武田家を人質虐待も辞さないような描き方でした。
女子だって、腹を子作りに使うために側室をせっせと勧めていた。オーディションにもばっちり参加されていましたよ。
要するに、このような「ジェンダー考えました」みたいなセリフをたまにアリバイとして入れているのでしょう。
どうする偶然頼り
於大の会話が終わった後、わざとらしく戸を全開にして号泣している旭を見かけるシーンはなんなんですかね。
「人質の話題を出したら“たまたま”秀長が旭を連れてくるタイミングとあった」
「旭のかわいそうな境遇を聞いたあと、“たまたま”号泣する旭を目撃した」
「家事をこなしていたら“たまたま”男たちが大事な話をしているところが見えた」
何度も申しますが、こんな偶然頼りが連発する展開を、作り手はおかしいと思わないのでしょうか。
物語の展開をさせるため、駒のように人が動く。リアリティが欠如しているのは、こうした無理な展開も連続するからでは?
劇中で生きているはずの人物たちから息吹が感じられない。とにかく話を先へ進めたいだけで物語が突き進んでいるように感じてしまいます。
どうする陳腐な語彙力
昔、時代ものを読み始めたとき、章末や巻末についている注釈を噛み締めるように覚えていたことを思い出しました。
こんな言い回しもあるのか……と感動を覚えたものです。
その感動を大河ドラマにより取り戻せたのが『麒麟がくる』でした。あの作品はそもそもが「麒麟」の意味を解釈させることで思考を鍛えてくれる喜びがあった。
漢籍の引用はいつも的確で、学ぶ喜びを取り戻してくれたものです。
ひるがえって本作の語句の薄っぺらさはいかがなものでしょう。
「誰にも何も奪わせぬ!」
「戦なき世を作る!」
「マザーセナと信康に誓った!」
どうしてこうなりましたか。心だの、夢だの、何だか怪しげなセミナーみたいなことばかりネチネチ言い合ってなんなのか。
『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題
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どうするカルトとヤバい草の臭い
レーシックお愛が、数正フィギュアから押し花を取り出す場面もズッコケました。
押し花は築山に手を合わせていた証だってさ。
植物は『らんまん』小道具さんの技術を使ったほうが……とは思いますが、彼らはまともな朝ドラ制作に忙しくてそんな暇ありませんね。
それにしても、なぜここまでカルト臭を漂わせたいのか。
大河ドラマを見ているのに、カルト追及に定評のある鈴木エイト氏の著作を読み返したくなる。
出演者の皆さん、目が虚ですよね。
しかも押し花から築山の香りってどういうことですか?
築山で咲く香の強い花ってどんな種類なのでしょう。
木犀の花を見ながら宴をしたとか?
梅ならわかる気がする。しかしこれはそうでもないし、なんなんだろう?
押し花ではなく、香木では駄目だったのですかね。
当時は香道が嗜みとしてあり、貴婦人が自分の家に伝わるお香を焚いた。それを嗅ぐと「ああ、あの人の香りだわ」となる。そんな演出ではいけませんか?
『麒麟がくる』や『鎌倉殿の13人』では、香木がうまく使われていたんですけどね。
香りが残っているかどうかもわからない枯草を前に、思い思いに叫ぶ連中は完ッ全に教団員ですわ。
ピロピロしたピアノも教団感をアップさせ、LEDウォールもなんか怪しげになっている。
で、「あほたわけー!」と絶叫。これはもう、教団の呪文ですよね。
全てが、カルト臭い。まったく、私の受信料は、お布施じゃないんですよ!
まさか吸ってはいけない系の植物ではないですよね?
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